6  涙の茶番

「私は、ただの人です」


 ゼルファナスが、目から涙を流しながら言った。


「しかもこれから、五万もの民を殺戮する大悪人です」


 エルナス公は、ただ事実のみを語っている。だが、セムロスの老人たちからすれば、それはまた、まったく別の意味を伴って聞こえた。


「なにも自ら……そのような汚名をかぶらずとも。略奪も行わず、ただ殺す……そのような真似をすれば、御身の名に傷がつきましょう。さらには……」


「ご老体の仰せられる意味は、よくわかっているつもりでいます」


 あくまでも礼を失せず、年長のものをたてながらゼルファナスが答えた。


「しかしながら……これは、必要なことなのです。貴殿らの領主、ディーリン卿がどれほどのおかたかは、私も存じております。しかしながら、いまのディーリン卿は権力という怪物に呑まれ……ネヴィオンから、恐るべきものを招き寄せてしまった」


 それを聞いて、老人たちが顔をしかめた。

 ディーリンの妻は、ネヴィオン四公家の一つ、リュナクルス公家の出身である。だが、彼女の人気はセムロスでは決して高くはない。ディーリンの数少ない「失政」は、ネヴィオンなどという異国から、嫁を娶ったことであるといまでも多くのセムロスの領民は信じている。


「西方鎮撫将軍セヴァスティス……それが、あのネヴィオンでのかのものの名だという。しかしながら彼の成しようはあまりにもむごい。五万もの民を、ナイアスの都で王軍はむごたらしく殺した……もし、私も同じことをしなければ……アルヴェイアの諸卿は、ただちに王軍のもとにつきましょう」


「なぜ」


 信じられない、というふうに老人の一人が頭を振った。


「そのような馬鹿なことが! そんな恐ろしい軍勢の味方につきたいと、誰が望むというのですか!」


 ゼルファナスはひどく哀しげにかぶりを振った。


「ご老人は、私より遙かに長い時間を生きておられる。しかしながら、あなたは善良な、良きセムロスの領民のようだ……人とは、残念ながら、そのような優しき理では動かぬものなのです」


「優しき理……」


 老人の言葉に、ゼルファナスがうなずいた。


「セヴァスティスは恐ろしい。誰もがそう思うことでしょう。もしこれが賊軍であれば、誰もがセヴァスティスを憎む。しかしながら……セヴァスティスは、王軍だ。『彼は王により殺戮を許可されているということ』なのですよ」


 老人が恐ろしげな顔をした。


「そのような……仮にも太陽王の血に連なる者が、そのような……」


「だが、現にそれは、起きてしまった」


 ゼルファナスが声を低めた。


「そうなれば、どうなるか? 放置しておけば、多くの領主たちは、王軍になびくでしょう。なぜなら王軍を補佐するセヴァスティスは、王命によってどれだけ人をむごたらしく殺しても、誰も非難できない。そのようなことになれば……もし、王の機嫌をそこねれば、セヴァスティスの兵は、『王が不愉快だと感じた貴族の領地』にむけられることになる」


 老人が唾を呑んだ。


「そんな……そのような、恐ろしい……」


「恐ろしいことですが、そうなれば貴族たちはこぞって王軍につく。だからこそ、王軍に背く者は……すなわちこの私は、たとえ人非人とののしられようと、『いざとなればセヴァスティスと同じ事ができる』とアルヴェイアじゅうに知らしめねばならない」


 その論理の奇妙さに、老人が眉をひそめた。


「なぜ……むしろ、逆に御身であれば、セムロスの民に慈悲をかけて、その徳望により……」


「哀しい話ではありますが、徳望では人は動かぬのです」


 そう言ったゼルファナスは、老人の目には、心底、哀しげに「見えた」。


「いま、王軍は『恐怖』というおそるべき武器を手にしている。その『恐怖』から逃れるためには、王軍に下るしかない。どれほど無法であれ、力と恐怖を備えたものが、世を統べる。それが残酷な人の世の真実なのです」


 ようやく老人にも、ゼルファナスの言いたいことがわかってきた。


「では……御身は、自らの名に傷をつけようとも……『恐怖』という、王軍と同じ武器を身に帯びようとしている……」


 ゼルファナスがうなずいた。


「哀しい話ですが、人は絶対的な恐怖の前では、理性を失う。であるならば……恐怖に対抗するためにこの私もまた『恐怖そのもの』とならねばならないのです。人々は、セムロス伯に報復するために五万の民を殺した恐るべき男として、私に怯えるでしょう。あるいは憎むかもしれない。しかしながら、王軍と同じ武器を、この『恐怖』という武器を携えて初めて、私は王軍とまともに戦うことができる……」


「なんと……」


 老人の肩は震えていた。

 それは、自らに迫る恐怖のためではない。

 老人は、ゼルファナスの言葉に……感動を覚えていたのだ。


「自らの名に傷をつけ、名誉を汚し、我らのような下々の者にさえ頭を下げて……御身はそこまでして、王と戦うおつもりか」


「悪しき王は」


 ゼルファナスは、言った。


「廃されねばなりません。そのためには、私はどのような汚名をもかぶりましょう。あるいは後の世のものは私を王位簒奪者と呼ぶかもしれない。あるいは、セムロスで五万もの無辜の民を殺した悪逆な殺人鬼とののしるかもしれない。ですが……もしそれで、アルヴェイアが過日の栄光を取り戻し、王道楽土となるのであれば……」


「御身は」


 老人の目から、涙が溢れた。


「御身はそこまで……そこまで考えておられるのか」


「私はこれから、セムロスの民を五万、殺します」


 ゼルファナスの顔に、鬼相が宿った。


「あるいは私を死の女神の信徒と呼ぶものがいるかもしれない。だが、それはそれでかまいはしない。誰がなんと呼ぼうと……私は、自らの手を汚しても仮にも王族の身に生まれついたものの責務として、アルヴェイアの民に繁栄と安らぎをもたらす責務がある……」


「郷よ……御身こそが、真の王にふさわしい……」


 そう言って、老人が頭を垂れた。

 ゼルファナスは、自らの帯剣を鞘からゆっくりと引き抜いた。


「許されよ、とは言わぬ……しかしながら、私は必ず王となり、ご老人のお心に報いよう……貴殿のことはこのゼルファナス、決して、忘れぬ!」


 そう言って、ゼルファナスは鮮やかに剣を翻して老人の首を、切り落とした。

 誰もがその光景を見つめ、なかには「感動のあまり」涙を流す者すらあった。

 むろん、彼らは……ゼルファナスがうっすらと、口の端に笑みを浮かべていたことになど気づかなかった。

  

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