2  エルナス公

 通常、こうした攻城戦の後では、市内に乱入した兵士たちが略奪を行うのが、言うなれば時代の常識というものである。略奪は、勝者の当然の権利だからだ。

 だが、エルナス公の軍隊はよく統制がとれており、無法な行為を働こうとする者は誰もいないようだ。

 おそらくは、エルナス公は略奪を禁止する布告を兵たちに発しているのだろう。なにしろ犯罪などには厳しく対処することで有名なエルナス公なのだ、あるいは略奪を行った者は即、死罪に処するというくらいのことはやるかもしれない。


「畜生……こんなにあっさり、敵に負けるなんて悔しいなあ」


「でもよ……もちろん、ディーリン閣下が、『うちの殿様』がアルヴェイア一、いや三王国一の殿様なのは確かだが……あのエルナス公ってのも、なかなかやるじゃねえか」


「どのみちタイクスの馬鹿あたりが寝返ったんだろうが……まあ、確かにエルナス公ゼルファナス……うちの殿様と戦おうってだけあって、なかなか大したタマではあるな」


 人々は、思わぬ展開にほっと胸をなで下ろしていた。

 もし略奪を行うつもりであれば、すでにセムロス市内は阿鼻叫喚の巷と化しているはずなのである。だが、エルナス公の軍隊の規律はよほど厳しいらしく、兵たちはあくまで街路や主要拠点を制圧するだけで、セムロスで略奪を行うつもりは、まずないとみて良さそうだった。

 だから、セムロス城の塔の頂きに、エルナス公家の旗が翩翻と翻ったときも、セムロスの人々はまるで「魔法」でもかけられたような思いを味わいながらも、どこかで安心していた。

 確かにあっさりエルナス公の軍勢に下ってしまったことは残念だが、幸いにして市民にはまったく被害は出ていないのだ……と。

 とはいえ、実のところ、それはまったくの勘違いなのだが。


「おっ……見ろよ、あれ」


 セムロス城には、領主であるディーリンが人々の面前に出て、布告などをたれるための露台が設けられている。慶事のときなどもこの露台は用いられる。言うなれば、領主と市民の交流の場、ともいえる。

 その露台に、一人の、信じられぬほどに美しい男が姿を表したのだ。

 実際、城の近くでその若者を見ていた者は誰もが「あまりのこと」に仰天し、言葉さえ失った。


「なんだありゃ……」


「あれって……本当に、人間なのか?」


 人々は、なかば本気でそれが、かりそめに人の姿をとった妖魅の類なのではないかと恐れていた。

 なぜなら、その人影は、あまりにも美しすぎたのである。

 凛々しい軍装に身を包んではいるが、全体に華奢で、すらりとした肉体の持ち主である。

 その白銀の髪は、まるで銀の月の輝きを集めてつくったかのようだ。驚くほどに白い肌は、雪花石膏の彫塑、あるいは純白の処女雪で造られているかのようにも見える。整った顔の造形は、もはや生身の人間を超越し、神々にのみ許される段階にまで到達しているようですらあった。青年というより、どこか可憐な少女のようにさえ見える美貌なのである。

 だが、なんといっても印象的なのは、その瞳である。

 普通、肌や髪の色が明るいものは、当然のように瞳の色も明るいものだ。

 しかしこのエルナス公ゼルファナスという若者の瞳は、まるで深淵のような黒々とした輝きをたたえていたのだ。

 本当に底のない淵のような、あるいは光さえも吸い込んでいくかのような、およそ人とは思えぬ、ほとんど魔性の者の目としか形容の仕様がない。

 そしてゼルファナスは、声を発した。


「私の名は、エルナス公ゼルファナスです。今夜は、セムロス市民の皆さんに、大切なお願いがあります」


 その声は、むろん、城の露台の近くにいる住民にしか届かない。

 だが、このとき、すでにエルナス公は幾つものセムロスの主要な辻に、特に美しい声を持つものを配置して、ほぼ同時に声をあげさせていた。

 そのため、エルナス公の声は、まるで魔術かなにかで増幅されたかのように、都市全体に一斉に響き渡ったのだ。


「そもそも今回、アルヴェイアが二つに割れ、不幸な戦を行うことになったのは……セムロス伯ディーリンの、つまりはあなたがたの領主の野望が、原因です」


 なにを言ってやがる、そんなうめき声をもらす者も少なからずいたが、誰もがそのままエルナス公の言葉に聞き入っていた。


「セムロス伯ディリーンは、王家を私しようとし、シュタルティス二世に取り入りました。それにのってしまったシュタルティスも、暗愚としかいいようのない王です」


 シュタルティス二世が暗君だというのは、すでにアルヴェイアではほぼ常識となってしまっている。


「セムロス伯とシュタルティスは連日連夜、アルヴェイアの民が苦しんでいることも知らず……否、知っているのに宮廷で豪華な宴を繰り広げました」

 

 これはセムロス市民にとって、耳の痛いことだった。その噂は、ちゃんとセムロスに届いてたからだ。


「あげくにシュタルティスは、酒色におぼれ、まともな政務を行いません。さらに各地から王家に反旗を翻すものが現れると、愚かなシュタルティスはセムロス伯ディーリンにそそのかされ、なんとかつての敵国であったはずの、ネヴィオンの軍勢を国内に引き入れたのです」


 これもまた、すでにセムロス市民の知るところである。


「そしてすぐるナイアス攻防戦で、ネヴィォンの将軍セヴァスティスという残忍な男に率いられたネヴィオン兵は、実に五万ものナイアス市民を虐殺したのです。なかには半アルグも混じっており『生きながら喰われた』者もいたそうです」


 さしものセムロス市民たちも、これには慄然とさせられた。彼らはディーリンが仁に篤い者であると知っていたのだから。


「そこで……私から、みなさんにお願いがあります」


 ゼルファナスは、とうてい、信じられないようなことを言った。


「この五万の死を償うために……セムロス市民のうち、五万人に、これから死んで頂きたい」

 

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