5 大樹の宴
最近、青玉宮でとみに増えたものといえば、宴席の回数である。
なかでも、セムロス伯の主催する、俗に言う「大樹の宴」は、その豪華さで宮廷人たちの間に知られていた。
大樹とは、セムロス伯領の中央に生えている、高さ一千エフテ(約三百メートル)もある魔術的な巨樹のことだ。
この不可思議な木は、かつて世界の中心に立つという世界樹として、古代のセルナーダ人に崇められていたという。
そのため、セムロス伯領の住民たちの間では「自分たちの住んでいる土地こそが世界の中心」といった思いこみがある。
それは、セムロス伯領の民だけではなく、セムロス伯ディーリンの心にも似たような作用をもたらしていた。
セムロス伯家は、名だたる伯爵のなかでも特筆に値する富裕さをもっている。
「セムロスの大樹」の魔術的な力のせいか、領内の地味がきわめて豊かなのだ。
農産物が驚くほどよく育ち、それはそのままセムロスの富となっている。
いままで、セムロス伯は領内の富をひたすら蓄え続けてきた。
決して吝嗇というわけではないが、無駄な金は使わなかったのだ。
だが、それが嘘のように、いまのセムロス伯は毎夜のように、王宮の広間で大規模な宴を開いていた。
むろん、突然、ディーリンの金遣いが荒くなったわけではない。
これには当然、理由がある。
(いままでセムロス伯領に籠もって、あまり積極的には中央には出てこなかったけど……セムロス伯、なるほど、どうやらいままでは『私たち』を欺いていたようね)
燭台に灯された無数の炎を見つめながら、ヴィンス侯爵夫人ウフヴォルティアは胸のうちでそうつぶやいた。
巨大な卓が三つも、広大な「アシャルスの間」に置かれている。
その上に並べられた酒も料理も、豪華きわまりないものばかりだった。
まず、ウフヴォルティアの領地……厳密には夫のものだが実質的には彼女のものだ……ヴィンス候領産の最上の葡萄酒の瓶が、ずらりと並べられている。
ヴィンスの赤といえば、王侯貴族の呑む葡萄酒の代表格のようなものだった。
さらには、より高価なことで知られる、ネヴィオン王国のシェルディア産の葡萄酒の瓶まである。
料理も肉料理を主体とした、素晴らしいものばかりだ。
銀の皿に載せられた山鳩や雉の丸焼きに、毛を剃って口に林檎をくわえた大兎の丸焼き。
アマリス牛の骨付きあばら肉は汁気たっぷりで湯気をたてていたし、そばには鵞鳥のこれまた丸焼きが並べられていた。
赤鶏の股肉に、香草や香料をたっぷりと詰めた大兎の腸詰め。
牛の舌をとろけるように煮込んだ濃厚な赤葡萄酒入りのシチュー。
そして牛の尾のシチュー。
ウナギにヤツメウナギ、さらには死人貝や東の大海で採れた牡蛎の薫製、さまざまなキノコ類と香草を摘めた野ウサギの丸焼き、雲雀の舌のゼリー寄せ、さまざまな獣の肝臓を焼いた寄せもの。
パンも庶民が食べるような無発酵の黒パンとは違う。
上等なネルドゥ麦の粉を練り上げ、発酵させて焼き上げたふっくらとした白パンだ。
このパンは通称、「貴族のパン」などと呼ばれることもあり、通常は騎士階級くらいはないと食卓で目にすることもない。
他にも先年の戦のもとになった林檎酒や、アルヴェイア各地の風味豊かな麦酒、さらには麦の蒸留酒にイマムの実をつけ込んだイマム酒といった酒もあった。
まさに山海の珍味、と呼ぶにふさわしい豪勢な料理である。
もっとも、セムロス伯家の富裕さからすれば、この程度の料理をそろえるのは大したことはない。
この宴席でつくられる「人脈」というものを考えれば、セムロス伯からすれば実に安い出費なのである。
宴席に出席する者たちは、主に中央集権国家アルヴェイアの行政を担当する文官たちだった。
貴族としての爵位は持っていないが、それでも彼らがこのアルヴェイアの政事の中枢にいることは間違いない。
要するに、セムロス伯が行っているのは王国官僚たちに対する、積極的な接待攻勢なのだった。
(わかりやすい……あまりにもわかりやすいけど、実に効果的だわ……)
ウフヴォルティアは皮肉げな笑みを浮かべると、自らの領内で産する濃厚な赤葡萄酒をそそいだ銀の杯に口をつけた。
王国の官僚は、基本的には王立研鑽所と呼ばれる学問の府で学んだ、国家の選良である。
平民にも一応、門戸は開かれてはいるが、実質的には爵位を継ぐことのない貴族の次男、三男といったのなかでも、騎士としての才覚がないような者たちが王立研鑽所で学び、それなりの試験をうけて文官として任官されることになる。
財務院、法務院、渉外院、軍務院などといったこれらの役所は、かつては文字通り王国の国政を決定するのに重要な役割を果たしていた。
こうした役所の決定が、アルヴェイア王国の舵取りを行っていた頃は、貴族諸侯は地方行政を安定させるための国王からの代官にすぎなかったのだ。
だが、今は時代が違う。
もはや地方行政官にすぎなかった諸侯のほうが、財を蓄え、国政そのものに口を出している時代である。
セムロス伯の大樹の宴も、なぜ開かれるのか、その意図は明らかだ。
要するに蓄財に励んだ地方行政官による、中央官僚への一種の買収である。
むろん、貴族が開いた宴に文官が参加してはいけない、などといった法はない。
であるから、いま行われている宴に参加しても、文官になんらの咎めがあるわけもない。
だが、それでもこうした宴に臨席し、旨い者を食い、旨い酒を飲めば、文官たちは自然とセムロス伯びいきになろうというものだ。
実際、にぎやかな宴席のなかでときおり聞こえてる文官たちの声も、セムロス伯をたたえるものが多い。
「いつもながら、しかし見事な宴ですな……これからはやはり、セムロス伯の時代、ということでしょうか」
「なにしろセムロス伯は子だくさんでもあられる……いずれ、娘御を陛下に嫁がせることもあるかと……」
「陛下には妹御でもあられるミトゥーリア王妃がおられますが、王だけは近親でも、また幾人でも妻をめとれる。それが古来からの定法ですからなあ……」
実際、セムロス伯はそんなことを考えているかもしれない。
シュタルティスの現在の正妃ミトゥーリアは、彼の妹である。
黄金の血、尊い王家の血をひくものにのみ許される聖なる近親婚の相手だ。
一般に、セルナーダでは一夫一婦制が主流である。
ソラリス寺院は一妻多夫制を認めてはいるが、実際には貴族でも妻を複数、持つものは珍しい。
そのため、庶子は蔑まれることもある。
だが、こと王に限っては、幾人、妻をめとっても良いのだ。
セムロス伯は子だくさんなことでも知られている。
実際、そのうちの幾人かは父に似ず、なかなかの美形だった。
そんなことを考えているウフヴォルティアのもとに、ついと緑の瞳と褐色の髪を持つ若者が近づいてきた。
より正確にいえば、まったく同じ顔をした者が二人、である。
「ヴィンス侯爵夫人。護衛以外に供回りのものがおられぬとは、いささか寂しいですな」
ネス伯ネスファーか、あるいは弟のネスヴィールか。
恐らくは兄のネスファーだな、とウフヴォルティアは思った。
顔こそ瓜二つだが、さすがにしばらくともに過ごすうちに、この兄弟の差異もウフヴォルティアは気づくようになっていた。
兄のネスファーは陽性な若者である。
内実はむろんかなりひねくれた性格の持ち主ではあるが、少なくともそこに陰湿なものはない。
対して弟のネスヴィールは、一見、兄とそっくりな容姿を持ちながらもどこか陰性の影のようなものを抱えている。
あるいは常時、兄に対する「日陰者」のような意識を持っているせいだろうか。
もっとも、ウフヴォルティアにとってはネス伯家の双子のどちらにも、人間として、あるいは異性としての興味はまったくなかったが。
そもそも、彼女が興味を恋の相手として選ぶのは同性ばかりである。
「もしや……どこかに美しい姫でもおらぬかと探していた……そんなところですか?」
ネスファーが愉しげに言った。
相手によれば、それは立派な侮辱となりうる。
女であるウフヴォルティアが、同性である女を愛するような行為は、俗にウォイヤと呼ばれている。
ウォイヤは、決して褒められた行為ではないのだ。
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