9 神の力
言うまでもなく、たとえ下級、低級なものとはいえ、仮にも「神」と呼ばれる存在と戦うのはリューンにとっても初めての経験である。
神々は「使徒」と呼ばれる存在を地上に使わすこともあれば、また自ら実体化して顕現することもある。使徒と戦った者の記録は幾つか残っているが、たとえ物質化できないような、憑依先を必要とする下級神とはいえ、神と戦ったものは史上、ほとんどいないだろう。
しかもいまは一対一、という状況である。
だが、もはやそんなことはリューンの頭にはなかった。
いまのリューンは、もはやただひたすらに戦うだけの獣だった。
「おらああああああああああああ!」
絶叫しながら振り下ろした大剣の速度は、まさに神速といえた。普通、刀身が長くなれば重量も増大し、剣速はどうしても低下しがちなものだが、いまのリューンにそんな常識は通用しない。
ガジャック神も攻撃を回避しようとしたようだが、リューンの斬撃の鋭さに対応できなかったようだ。かざした右手が、大剣により即座にはじき飛ばされた。上腕から切断された手がくるくると虚空を回転する。さらに神の右手の骨すらも斬ったリューンの剣は、相手の胸の肉すら切り裂いていた。
「キイアアアアアアアアアアアア!」
ガジャックが、吠え声をあげた。
ただの獣じみた声ではない。そのなかに残忍な知性と、凶暴きわまりない憎悪をひそめた恐ろしい音声だ。
確かにガジャックの胸は斬った。だが、浅い傷で分厚い肉の鎧を打ち破り肋骨に届くことはない。
さらにおそろしいことに、斬られたはずのガジャックの右腕のあたりから、白いもやのようなものが吹き出し始めていた。
リューンは魔術的な知識はあまりないのでよく知らなかったが、これは霊的物質と呼ばれるものだった。ガジャックは下級神であり、基本的には幽霊じみた魔術的な存在として地上に顕現する。だが、どうやら体の一部くらいなら、物質化するくらいの力はあるらしい。
たちまちのうちに切り落とされた右腕が、完全に再生したように見えた。
(くそっ……さすがは『神』か! ていうかどんな化け物だ!)
こんな相手に果たして人間ごときが勝てるというのか。
正直にいえばいまでも恐い。恐ろしいことには替わりがない。だが、リューンのなかのなにかが、この神を殺せとせきたてている。
神ですらも、俺の邪魔をするのであれば殺す。
いまのリューンは、そうした意識に覚醒していた。レクセリアを守る。王国を築き、嵐の王となる。
そのためには、神でも殺すくらいのことはしてのけるつもりだ。
「キシャアアアアアアアアウッ!」
ガジャックが、いきなりもの凄い速度で左腕をよこざまに振ってきた。
あまりの高速に、並みの視力の人間であったならば腕の軌道を捉えることすらできなかった。さすがに神は伊達ではない。常人なら一撃で長いかぎ爪に顔をそのまま持って行かれるところだろう。
だが、あいにくとリューンは並みの人間ではなかった。
素早く体を沈めたその頭上をガジャックの巨腕が空振りする。否、まったくの空振りというわけではなく、何本か髪の毛がもっていかれたがリューンにとってそんなことはどうでもいい。
いまが好機だ。
「おらあああああああああああっ」
右下から左上にかけて、ガジャックの左脇腹から右肩にむけてを大剣で下からすりあげるようにして切断していく。
「きゃあいいいいいいいいいいいいい!」
おぞましいガジャックの悲鳴があがった。
心臓が破裂する手応えを、確かにリューンは感じていた。いくら強力な肉の塊に覆われていても、心臓が生物にとって急所であることにはかわりない。
さらに刀身は何本もの肋骨をばきばきと音をたてて砕き、敵の右鎖骨にまで達していた。凄まじい一撃をうけてガジャックの胸は内側から爆ぜ割れたかのように白い骨や脂肪層、さらには桃色の肉をむきだしにしていた。大量の鮮血が驚くほどの量の滝となってリューンに真紅の洗礼を浴びせた。
(勝った!)
リューンは、己の勝利を確信した。
心臓を破壊された生物は死亡する。それがいままでさまざまな敵と戦ってきたリューンの経験則だった。アスヴィンの森に住む魔獣たちもつまりは魔術的な力をもった生き物であり、生物としての理を越えることはできない。
であるならば、ガジャックも死んでしかるべき……そう考えたのは、決してリューンの油断、慢心とはいえまい。むしろ、そう考えるほうが普通なのである。
だが、リューンはこの一瞬、致命的な事実を失念していた。
つまり、相手は人でも獣ではなく……「神である」というおそるべき事実を。
(勝った……なんだ、神っていったってぶった斬れば殺せるような簡単な相手じゃねえか……)
満足げにリューンが血まみれのまま笑みを浮かべたその瞬間だった。
「オオオオオオオオオオオオオ!」
ガジャックが天を仰いで吼えた。
同時に、恐ろしい力でリューンの肩は、さきほど再生したガジャックの右腕を掴まれていた。
「!」
かぎ爪が背中の筋肉に食い込む激痛が走る。痛み、などという生やさしいものではない。負傷や苦痛には慣れているリューンでさえ悲鳴をあげるような、それはまさにこの世のものとは思えぬような激甚な金属質の激痛だった。痛みそのものが呪いかと思えるような代物だ。
そのまま、全身が上にゆっくりと引き上げられていく。
必死になって大剣を振ろうとしたが、無駄なことだった。相手の鎖骨のあたりに大剣がひっかかってしまっているのだ。
(ちょっと待てよ……おい、だって……心臓ぶち破ったんだせぞ! 死んで当たり前じゃあ……)
卒然と、リューンは悟った。
これが、神と戦うということだ。相手はただの生き物ではない。破れた心臓も、今頃、また再生しているのだろう。
(化け物……どころの騒ぎじゃねえ)
心底、慄然とした。
「ギャハハハハハハハハハハハハッ」
奇妙に人間に似た奇怪な哄笑をアルグの下級神は放った。いや、実際、この怪物猿のような神にしてみれば、リューンなどただの人間という名の餌に過ぎないのだろう……。
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