3  ダールの伝承

 室内はさほど明るくはなかった。

 すでに夜であり、おぼろな蝋燭の光が部屋のなかをぼんやりと照らしている。

 正直にいって、青玉宮や紅蓮宮に出入りしたことのあるリューンから見れば、ひどくみすぼらしいといった印象しかなかった。

 この城館そのものが、いかにも田舎の城といった感じだが、それにしてもみすぼらしきすぎる。

 だが貴族といっても富貴の差はあることくらい、リューンは理解していた。

 壁には、恐ろしく古びた綴れ織りがかけられている。

 年月によって色が退色してしまいよく見えないが、どうやら木立と道、そして稲妻が描かれているようだ。

 その綴れ織りの前に寝台があり、そこに小柄な老人が横たわっていた。

 顔はしわに埋もれ、頭は禿げ上がっている。

 ただ後頭部にはふさふさとした白髪が残っていた。

 部屋そのものの壁や床の石材に、独特の臭気が染みついている。

 カグラーンがよく呑んでいる薬草茶を連想させる匂いだった。

 あるいは治療用の薬草が、ここでは日常的に用いられているのかもしれない。


「このような姿で、失礼します」


 寝台に身を横たえた老人が、かすれた声で言った。


「本来であれば……グラワリア王のおなりとなれば……」


 そこで老人は咳き込んだ。


「いや……その、いいんですよ」


 リューンは正直に言って、困っていた。

 なにしろグラワリア王に名ばかりはなったとはいえ、周囲の者はレクセリアをはじめ、昔からの仲間もまるでただの傭兵団の首領のように扱っているのだ。

 近衛騎士たちは当初はリューンがそばにいると身をこわばらせていたが、いまでは彼らもこの「王」を親しい同志のように見なしているようだった。

 そのあたり、リューンとしては「王になったのに」という不満がないこともないのだが、現実にこうして男爵位を持つ貴族にまでグラワリア王として目上の扱いをうけるのも、また調子が狂う。


「俺はまあ、王たって名前ばかりみたいなもんです。ガイナス王が……」


「お聞きしました。陛下のお話は」


 老人の目が潤みだした。


「ガイナス陛下が……リューン王を新たなるグラワリア王として任ぜられたと! ガイナス王こそは、王のなかの王であられた! そのガイナス陛下が、貴殿を王として選ばれた以上、スィーラヴァスや他の者がなにを言おうが、私にとってグラワリア国王はあなた様ただお一人です」


 勝手にまるで信仰の対象のようにされるのもなかなかに居心地が悪いものだが、そこで老人の幻想を打ち破るほどリューンは無粋でもなければ愚かではなかった。


「なるほど……そ、そのほうの忠誠、その、ええ……痛み入る……」


 こうした七面倒くさい貴族風の言葉のやりとりを一応、レクセリアに教えてもらってはいるのだが、あまり上達はしていない。

 さらに王家のものともなれば、古代ネルサティア語の習得が必須なのだが、あいにくといまはそんな暇はなかった。

 付け焼き刃でも、とりあえず王者らしくふるまうしかない。

 だが、そんなリューンの姿を見て、ダルクス男爵は感銘をうけているようだった。


「おお……やはりあなた様こそ、真の王にふさわしい……古代の王は自らを飾らず、側近たちにも遠慮のない直言を許したと申します。まさにあなたさまこそ……嵐の王」


 嵐の王。

 その言葉に、レクセリアが反応した。


「嵐の王の話……ご存じなのですか」


 老人が乾いた咳をすると、うなずいた。


「ええ。レクセリア殿下。ダルクスの家にはネルサティア人がやってくる以前からの伝承が伝わっておりますゆえ」


 途端に、レクセリアが目を驚いたように大きく見開いた。


「ネルサティア人来訪以前の! それは……真ですか?」


 リューンには、なぜレクセリアがそんなことを驚いているのかよくわからない。


「なあ、殿下。それって……そんなにすごいことなのか?」


「陛下」


 さすがにダルクス男爵の前ではいつものようにリューンを冷たくあしらうわけにもいかないのか、丁寧な言葉でレクセリアが言った。


「賢明なる陛下は、このセルナーダの地の歴史をご存じでしょう。いまの三王国ができる前、この地はセルナディス帝国という一つの帝国が支配していました。この帝国をつくったものたちこそ、海のむこう、乾いたネルサティアの地より渡ってきたネルサティア人です。彼らは文字を持っていましたが……セルナーダの先住民は、文字をしらなかった。そのため、先住民の伝承はほとんど失われているのです」


「なるほど」


 リューンはしかつめらしくうなずいた。

 とはいえ、実はリューンにとって、セルナーダ先住民の伝承や物語は珍しいものではない。

 なにしろ彼の母は、先住民の地を濃く受け継ぐ流れ巫女であり、先住民系のさまざまな物語や歴史を語ってくれたからだ。


「陛下は……『狩人ダール』の話はご存じでしょうか?」


 ダルクスの言葉にレクセリアが、驚いたように言った。


「狩人ダール! 確かアスヴィンの森に関わる古代の部族の説話ですが、いまではその物語の名のみが伝わってるという、あの……」


「はあ?」


 リューンが呆れたように言った。


「おいおい、狩人ダールを知らないって? 物知りの殿下でも知らないことがあるんだな。そんなもの、俺のおふくろがガキの頃によく話してくれたよ。昔、昔、ダールっていう狩人がいた。そいつは大きな狼を追ってアスヴィンの森に入ったが、そこで迷ってしまった。それで……」


 そこから先を、よく思い出せない。

 リューンは頭を掻いてなにか言おうとしたが、ダルクス男爵がうなずいた。


「やはり陛下はよくご存じだ……実をいえばそのダールの子孫こそが、我らダルクス男爵家の先祖とされているのです」


 これにはリューンも驚かされた。

 まさか昔話のなかの人物の子孫と出会うことになるとは考えたこともなかったのである。


「あんたが……い、いや、貴殿がダールの子孫なのであるらっしゃるか?」


 明らかにリューンのセルナーダ語は用法に間違いがあったが、レクセリアもあえて指摘してこない。


「さようです、陛下。我が父祖ダールは、アスヴィンの森で迷いました。そこで彼は、自らの前の巨大な狼が、雄々しき戦士に……否、神に姿を変えるところを見たのです。その神の右目は太陽の黄金、左目は銀の月の銀……つまり……」


「ウォーザ神」


 リューンは低い声で言った。



  

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