8  決断

「兄者……冷酷のようだが、俺もガラスキスの言う通りにしたほうがいいと思う」


 カグラーンが、低い声で言った。


「いまから殿下を探すのは……正直、きつい。どこにいるのかもわからないし、そもそもアルグがどれだけまだ潜んでいるかもわからない。それに……一度『ダールの道』を外れたら、最悪、俺たち全員が、道に迷う……」


 その通りだった。

 リューンの目には、ウォーザ神の導きである「ダールの道」ははっきりと青白い輝きを発して見える。

 だが、この道が見えるのは自分とレクセリアだけなのだ。

 もしこの道から外れて森の奥深くに分け入れば……みなが道に迷うかもしれない。


「なんてこった」


 思わず舌打ちが漏れた。

 ある意味では、いままでリューンが迎えた窮地のなかで、今回のが最悪のものかもしれなかった。

 アルヴァドスと戦ったときも、また魔獣に襲われたときも、要するに戦っていればそれでよかった。なにも考えず、戦うことだけに身を投じていればそれでよかった。

 今回は、問題の質がまったく違う。


(王様ってのも……楽じゃねえな)


 いままで感じたこともないずっしりとした重圧が肩にのしかかってくる。

 戦っていれば道はとりあえず開ける。そんな状況であればリューンはいくらでも勇戦することができた。また戦うことはリューンにとっては歓びでさえあったかもしれない。

 だが、これほどの大事を決断するとなると……。


(ひょっとして……いや、前から本当は気づいちゃいたが……俺は、『王様なんてものにむいていない』んじゃないのか?)


 戦場で戦う。女を抱いて酒をくらう。そんな単純なことを繰り返してきた。

 むろん戦いにも頭は使う。だが、今回の問題は戦というのともなにかが違う。


「兄者……逃げるなよ」


 いきなりのカグラーンの言葉が、胸に突き刺さった。


「これは……いままでとは違う。兄者にもわかっているはずだ。もう俺たちは雷鳴団じゃない。リューン軍だ。兄者は王だ。みんなそれを信じてここまできた。そしていまは兄者の、形だけっていっても兄者の奥方がさらわれたんだ。さあ、どうするんだ?」


 ふと、カグラーンの目のなかに今までと違う「なにか」を感じた。

 試されている。

 いままでカグラーンは、常に自分に付き従っていた。弟だからそれは当たり前だとも思ってきた。そもそも母の虐待から守ってやらねば、カグラーンは幼いうちに死んでいただろう。

 そのカグラーンが、まるで「対等の立場」になったように自分のことを見つめている。

 つまり、いままで俺はカグラーンを「下」に見ていたのか、とリューンは今更ながら納得した。常にカグラーンは裏方として働いてくれる。それが当たり前だと思っていた。

 それが、こんなときに対等な存在として自分を見ている。


(ああ、そういうことか)


 つまりは、人として……否、「王としての力量」がいま、まさにリューンには試されているのだ。

 全員の命は、リューンの判断一つにかかっている。もしレクセリアを救出に向かうなら、皆を巨大な危険のなかに向かわせることになる。また、レクセリアを見捨てれば、まだ十六の少女を、あの残虐なアルグたちのなかに置き去りにすることになる。彼女がどれだけ悲惨な運命をたどるか、想像するまでもない。

 どちらに転んでも、楽な道はない。

 レクセリアを見捨てれば、あるいは皆の信望を失うかもしれない。しかもアルヴェイア王妹をアルグの餌にしたとなれば……この後、リューンは「王」としては決して立てない。そんな人間に誰がついてくるというのか。

 だがレクセリアを助け出そうとすれば、被害がでることは避けられない。最悪、この森で一同が全滅することさえ、ありうる。


(重いな)


 王者であり、決断を下さねばならぬというのは、かくも重いものなのか。

 だが、それは当然だ。王とは一国の統治者なのである。きれい事だけではつとまらないし、かといって苛烈なだけではやがて信望を失う。しかも誤った道に民を導けば王国の民がみな殺されるかもしれないのだ。


(これが、王になるってことなのかよ)


 とてつもなく、体が重い。幾重にも鉄の鎖で縛られ、大地に縛り付けられたかのようだ。肩に巨大な岩が載せられたかのようだ。

 そして、カグラーンの言う通り、ここで逃げることは許されない。

 王として助言を聞くことは出来る。だが、最後には……自分で、リューンヴァイス個人として、王としてこのとてつもなく重い選択を選ばねばならないのだ。

 レクセリア。

 小生意気なお姫様では決してない。恐ろしく頭がまわり、その癖、自らの才知をひけらかすでもない。おまけにアルヴェイア王家というもっとも高貴な、太陽神ソラリスの血をひく家系に生まれながら、傭兵のような連中とも「対等の者としてつきあう」変わり者だ。

 そして、リューンの、名目だけとはいえ妻でもあるのだ。

 幾つもの想念が頭のなかで激流となって渦巻き始める。

 友情。愛情。責任感。王としての判断。

 そして、とてつもない恐怖。

 みなの命がかかっている。自分の妻の命がかかっている。しかも、ぐずぐずと考え込んでいる時間の猶予すらない。まさに一刻を争うときなのだ。

 リューンはしばし瞑目した後、ついに、決断を下した。


「時間がないから簡単に言う!」


 リューンは一同を見渡すと叫んだ。


「俺は、王だ。王様ってのはレクセリア殿下の言うことにゃあ、民を幸せにする義務ってものがあるらしい。その王様が……自分の女房も幸せにできなきゃ、それこそ嘘だ。そんな奴に、王様を名乗る資格なんざねえ!」


 青と灰色の瞳を輝かせて、リューンは叫んだ。


「俺は、女房を取り返しにいく! だから、お前らもついてこい!」

 



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