7  酒盛り

「おーい! 全然、たりてねえぞ! もっと酒、もってこい!」


 リューンの怒鳴り声が、酒場のなかに響き渡った。

 天井から幾つものミド油のランプがつるされ、卓の上には蝋燭が立てられた薄暗い空間である。

 いま、この「黄金の槌」亭は、完全に雷鳴団の貸し切りとなっていた。

 もともとそう広い酒場ではないので、溢れた連中が路地にまで出て酒を運ばせている。

 なにしろマシュケル市内での略奪は、御法度である。

 そのため、リューンは酒場の主人にきっちり酒代も払っていた。

 なにしろ今回、リューンのたてた軍功は大きなものだ。

 このマシュケル攻城戦での最大の殊勲者の一人にすら数えられている。

 そのため、特別に報奨金までもらったので、こうして酒場一軒、貸し切っての豪遊ができるわけだ。


「はいはい、いまお持ちしますよ」


 見事に頭の禿げ上がった主人や給仕たちが、麦酒をたっぷり入れたマグや葡萄酒入りの木製の杯を盆の上に載せて運んでいた。

 淡水イカのバター焼きに刻んだ香草をかけたものや黒亀の蒸し焼きといった、グラワール湖岸の名物料理が、ずらりと卓に並んでいる。

 さらには塩漬けにした大兎のあばら肉や牛肉、あるいは赤鶏の股肉を炙ったものなどもあった。

 なにしろ雷鳴団の傭兵は、荒くれ者揃いである。

 彼らは行儀もなにもかまわずに、溢れるような大量の酒を飲み干し、肉や魚料理を食らっていた。

 淡水魚のシチューをじゅるじゅると皿からすすっている者までいる。


「しっかし、あんたたち凄かったらしいね! なんでもガイナス軍の間じゃあ、雷鳴団っていえばものすごい傭兵だって噂されているらしいじゃないか」


 店の店主が、笑いながら言った。

 彼はどうやら「ガイナス支持派」らしい。

 マシュケルの街は、グラワリアの他の都市と同様、大きくスィーラヴァス支持派とガイナス支持派とにわけられていた。

 港を中心とした港湾地区や、商人たちの間には、スィーラヴァス支持派が多い。

 もともとスィーラヴァスは、グラワールの湖水を制することで力を拡大してきたのだし、商業や水運に力を入れてきた。

 対してガイナス支持派は、そうした連中がスィーラヴァスによって一種の「特権階級」のように扱われるのを面白くないと感じている者たちである。

 もともとグラワール湖岸の都市ではスィーラヴァス派のほうが多いのだが、誰もがスィーラヴァスを応援しているというわけではないのだ。

 この酒場の親父も、街では少数派のそうした反スィーラヴァス派……つまりはガイナス派の一人というわけだ。


「だいたい、スィーラヴァスなんて、もともとはただの商人にすぎなかったんですよ。私は、あの男がそもそも王家の血をひいているかも怪しい、そうにらんでますがね」


 そう言って、酒場の親父はどんとリューンの前に麦酒をなみなみとたたえた特大のマグを置いた。


「親父……そりゃ、どういうことだ?」


 髭面のガラスキスが、麦酒の泡を髭につけたまま言った。


「王弟スィーラヴァス、グラワール公がもともとただの商人だったって……」


「そういや、カグラーンの野郎もなんか、そんなことを言っていたな」


 リューンは麦酒のマグに口をつけると、麦の風味を愉しみながら言った。


「なんでも王家の血をひいているって認知されたのもここ何年か前のことだとか……」


「リューン隊長のおっしゃる通りですよ」


 そう言って、酒場の主人が笑った。


「あの野郎……スィーラヴァスは、そもそもは王都グラワリアスの、魚を売る行商人の娘の子にすぎなかったんですよ」


 グラワール湖でとれた魚は、塩漬けや日干しにして、湖より遠隔の地に運ばれることが多い。

 そうした商人のなかでも零細な業者の娘の子が、スィーラヴァスだったというのだ。


「先代の王様……ヴァラス三世陛下には妙な趣味がありましてね。上流階級の、貴族のお姫様とかよりも、なんていうか、下々の……まあ、言ってみりゃあ賎しい生まれの娘に、しょっちゅう手をつけていたそうですよ」


「へえ」


 リューンはしみじみと言った。


「俺が王様に生まれたら、貴族のお姫様連中をかき集めてやりたい放題やるけどなあ」


「ヴァラス三世陛下は、まあ下手物好きというか、とにかくそういう趣味だったわけです。で、たまたま手をつけた娘が子供を孕んで……」


「それがスィーラヴァスだったってわけか」


 リューンの言葉に、主人がうなずいた。


「スィーラヴァスの母親は、それを……つまりは、息子の父親の正体をひた隠しにしていたそうですよ。まあ、気持ちはわからんこともありませんな。なにしろ母親の身分が身分とはいえ、王家の血をひいていることにはかわりがない。もし正体がばれたら、王位継承権争いとか、そういうのに巻き込まれまう」


 主人の言っていることは、リューンにも理解できた。

 庶子とはいえ、相手は王の血をひく男子なのである。


「で、まあ、スィーラヴァスは父無し子の魚売りとして、成長してきたわけです。実際、二十歳になるまで奴は自分がまさか王家の血をひいているなんて、夢にも思わなかったそうですよ。ところが、母親が亡くなる直前に……スィーラヴァスは、自分の出生の秘密を知ったそうです。母親も、王家の生まれの子を、一生、魚売りで終わらせたくなかったんでしょうな……まあ、それも、本当にスィーラヴァスがヴァラス三世の御子だとすればの話ですが」


 どうやら、宿の主人はそもそもスィーラヴァスが本当に王家の血をひいているか、そのことすらも疑っているようだった。


「で、スィーラヴァスは、王が母親に与えたという紅玉の指輪を片手に、なんとそのまま紅蓮宮にむかったそうです。当時、すでにヴァラス三世は病床にあったそうですが……紅玉の指輪を携えてきたスィーラヴァスを、自らの息子として扱ったとか」


「はっ」


 リューンは笑った。


「なんだか信じやすい王様だな。そんなもの、王家の血を本当にひいているかどうか……」


「ですよねえ」


 酒場の主人はリューンに賛同するように大きくうなずいた。


「まあ一応、ソラリスの僧侶たちが、スィーラヴァスが『黄金の血』をひいているかどうか、確かめる法力を使って証明したそうですが……実はそれも、なんていうか、その……ヴァラス陛下が仕組んだ『芝居』なんじゃないかって……」


「おい」


 リューンは眉根を寄せた。


「ちょっと待て。そりゃおかしいだろ。だって、ソラリスの法力ってのは自分の息子かどうかを確認するためのだっていったよな? そこでなにか芝居っていうか不正があったとしたら、『スィーラヴァスは王家の血をひいていない』ってことじゃないか! なんで国王が、そんな馬鹿なことをする必要がある」


「それを理解するには、当時の紅蓮宮の内情を説明せねばなりますまい」


 主人は言った。


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