11  グラワリア王

 グラワリア第二十四代国王ガイナス一世。

 それは、言うまでもなくレクセリアをヴォルテミス渓谷の戦で打ち破り、彼女を虜囚として捕らえ、投降した兵を虐殺した男である。

 むろん、レクセリアとしては憎んでも憎み足らぬ仇といえる。

 だが、不思議と彼女のガイナスに対する心情は、悪くはなかった。

 むろん、全く憎しみを抱いてないといえば嘘になる。

 だが、レクセリアはガイナスを憎悪するよりも、むしろ自らの愚かしさを憎んでいた。

 であるから、ガイナス王のひさかたぶりの訪問にも、さして心動かされることはない。


「お久しぶりだ……レクセリア殿下」


 室内に足を踏み入れたガイナスはそう言うと、室の隅の椅子にどっかと腰を下ろした。

 いかつい顔だちはしているが、なかなかの美丈夫といえる。

 顔の造作は荒削りで、岩から彫りだした彫像のようだ。

 高温の炎のような、冴え冴えとした輝きを放つ青い瞳が深い眼下の奥で燃えているる。

 火炎王の二つ名にふさわしく、燃えさかる火炎の如き巻き毛がかった赤い髪が顔の周囲を取り巻いていた。

 額は秀でており、彼がただの粗暴な男ではなく、高い知能を持つことを示している。

 たとえ王ではなくとも、女からみれば十分、魅力的な男には見えただろう。

 事実、彼は幾人もの情人をはべらせている。

 だが、なにかがかつて戦場で出会ったころのガイナスとは異なっていた。

 かつてのガイナスは、ただ近くにいただけで肌がびりびりするような凄烈な覇気をまとっていた。

 たとえ彼が王であると知らぬ者がいたとしても、まとっている空気だけで、この男がただ者ではないことは即座に看破できただろう。

 しかし、いまのガイナスはどうだ。

 むろん並の男ではない。

 とはいえ、かつての周囲を圧するような、圧倒的ともいえる王気のようなものがずいぶんと衰えてはいないだろうか。

 さらにいえば肌の色合いも、かつての健康的な日に焼けた赤銅色から、どこか病的な、黒ずんだ色へと変化している。


「陛下」


 レクセリアは、自らを虜とした男を見据えると言った。


「なにか……お体がお悪いのではございませんか?」


「ほう」


 ガイナスが、にやりと笑った。


「さすがにレクセリア殿下は、なんでもお見通しとみえる……まあ、確かに、最近はいろいろと忙しくてな。この紅蓮宮につめてグルディア全土の戦線の指揮を行っていると、それだけで気疲れがする」


 やはりなにかがおかしい、とレクセリアは思った。

 そもそもガイナスはもともとが戦場で直接、指揮をとる類の武将だったはずなのだ。

 その彼が冬季とはいえこうして紅蓮宮に引きこもり、後方から指揮を行っているというだけで、十分に異常である。


「イリアミスの尼僧どもに、酒を控えろとも言われている。なんでも肝の臓がどうにもまずいらしい。まったく……いよいよマシュケルを獲り、これからスィーラヴァス側の諸侯の領地に攻め入ろうというときに……」


 王の健康は、国家の秘事である。

 なにしろ、その体調によって国政が左右されることも珍しくないのだ。

 ましてやガイナスには世継ぎがいない。

 もし万一、ガイナスが病で死するようなことがあれば、王位継承権は自動的に彼がもっとも憎む異母弟スィーラヴァスへと移ることになるのだ。

 そのわりには、ガイナスの態度はあっけらかんとしたものだったが、これにもレクセリアは不審を感じた。

 肝の臓の病は、高位の僧侶の法力でもなかなか完治できぬものとされている。

 その自らの秘事もこうもあからさまに明かすとは。

 あるいは、とレクセリアは思った。


(ガイナス王のこの病……あるいは、死病なのか)


 だとすれば、大変なことになる。

 このまま世継ぎをもうけずにガイナスが死ねば、グラワリアは一時的には混乱するだろうが、最終的には王弟スィーラヴァスを王として認めることになるだろう。

 もしそうなればいままでの、この五年の内戦は、まるで無意味だったということになる。

 少なくとも、ガイナスの身からすれば。

 傍らでヴィオスがなにやら目配せをしていた。

 ガイナス王の異常を察しろ、ということなのだろうがそれはすでにレクセリアも理解している。


「陛下……そのように、なにもかもあからさまに申されては……」


 レクセリアの言葉を遮るように、ガイナスが言った。


「なに。俺の病の噂は、いずれグラワリア全土に知れ渡るだろうよ。いまはまだ、こうして動けるがな……肝の臓の病とは厄介なもので、いずれあまりの体の重さに、寝台に伏せっているしかなくなるそうだ……まったく、冗談ではない」


 ぎりっとガイナスが歯を噛みしめる音がした。


「こんなことで……こんなことで、現世から退場させられるとは、夢にも思わなかったわ。これでは……スィーラヴァスとのいままでの戦は、なんだったのだ? 俺はあの男の首級が見たい……ただそれだけで戦をしてきた。むろん、戦そのものは愉しかったが……」


 こうして戦そのものを娯楽のように言うあたり、やはりガイナスはある種の異常者かもしれない。


「戦は勝ってこその戦……それなのに、いきなり病になって、戦すらも出来ぬとときては……とてもではないが、耐えられんわ」


 ガイナスの顔には、ひどく苦い表情が浮かんでいた。

 なるほど、と内心を吐露するガイナスを見て、レクセリアは思った。

 ガイナスは覇王である。

 少なくとも紅蓮宮の者たちならはそう見なされている。

 その覇王がこのような「愚痴」を、臣下たちのいる場で言うわけにはいかないのだろう。

 それに対し、レクセリアたちは言うなれば客人のようなものだ。

 外からきた来訪者にすぎない。

 だからこそ「愚痴」を言える、というところだろう。

 ガイナスもやはり人の子なのだ。

 そう思うと、不思議な感じがした。

 いままでどこかで、レクセリアはガイナス王は人を超越している魔神かなにかのように考えていたのだ。

 なにしろヴォルテミス渓谷であれだけ苛烈な戦を行い、そして虐殺を行ったのである。

 そのガイナスも、病にかかればやはり人の子として弱みを見せるということか。


(存外、ガイナス王も可愛らしいところがおありになる)


 思わず、レクセリアは微笑した。


「これは、珍しい」


 ガイナス王が、小さく肩をすくめた。


「レクセリア殿下の微笑など……あるいは、初めて見るのではないかな」


「これは、失礼いたしました」


 レクセリアは、率直に言った。


「案外……その、殿下にも生身の人らしいところがあると感心していたのでございます」


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