3 破城槌
マシュケルの東側の城壁の外は、一万を越えるガイナス軍の軍勢により取り巻かれていた。
タキス伯やゼヒューイナス候、ダルフェイン伯といったガイナス派のグラワリア諸侯の軍旗が、赤い軍装に身を包んだ兵士たちの上で翩翻と翻っている。
さきほどまでは空は薄曇りといった感じだったが、やがてしのつくように小雨が降り始めた。
グルディアはアルヴェイアの北、つまり南極よりは離れているので遙かに温暖ではあるが、それでもいまは冬なので雨は冷たい。
「ちっ……」
何人もの部下たちが破城槌を載せた車を引っ張ってくるのを見つめながら、リューンは舌打ちした。
「グラワリアは、暑くて乾いているって聞いたのに……せこい雨が降ってきやがった」
「こちらだと、冬から春にかけてよく雨がふるらしいですからな」
リューンの傍らにいた、鎖帷子をまとったいかつい顔の男が言った。
左右の両目の周囲に、それぞれ円形をした独特の形のまびさしを持つ、変わった衣装の兜をまとっている。
軍神キリコに仕える僧侶の証だった。
彼は雷鳴団の古参の兵士であり、名はイルディスという。
「しかし確かに……雨のなかに戦はやりにくいですな。まあ、アルヴェイアあたりに比べればそれほど寒くないのが救いですが」
「イ、イルディスの言う通りなんだな」
キリコの僧侶のそばで、連接棍を手にした肥満漢が言った。
その巨体は不自然なほどに白く、頭は剃髪している。
「こ、こ、これが雨で助かった……俺、ゆ、雪は苦手だし」
「ひゃひゃ……クルール! お前はそんだけ太っているんだ! ひゃひゃ……ちっとくらい寒くたって脂肪が守ってくれるんだからきにすんな」
笑いながらそう言ったのは、長槍を手にしたやせぎすの男である。
このアシャスという男は、どういうわけか、笑いながらでしか話せない。
「しかし……リューンの旦那! 本当に俺たちが先鋒を受け持っていいんですかねえ」
濃い顎髭を生やした大男が、自らの髭を手でまさぐるようにしながら言った。
「そりゃ、この状況で先鋒をつとめるってのは光栄ですが……」
どのような戦であれ、先鋒というのはそれなりの名誉を伴うものである。
普通、先鋒はその軍勢でももっとも優秀な兵たちが担当するものだ。
逆に言えば、それだけ危険だということでもある。
さらに先鋒の責任は重大である。
もし、下手な戦をすれば攻める勢いを削ぐことになり、後に責任問題となりかねないのだ。
「なに、いまさらびびってやがる、ガラスキスよ!」
豪快な笑い声をあげると、リューンは言った。
「いいじゃねえか。俺たち雷鳴団を、あの城門をぶち破る先鋒に決めたってのは、他でもねえ、ガイナス王直接の指示だって言うじゃねえか。だったら、ここは派手に一暴れしてやればいいだけのことよ」
そう言うと、リューンはガラスキスと呼ばれた髭の巨漢にむけてにやりと笑ってみせた。
だが、ガラスキスの心配ももっともといえるだろう。
そもそも、今回の戦で先鋒をつとめれば、どれだけ雷鳴団に被害が出るか、わからない。
すでに三基の攻城塔が、城壁に近い位置で攻撃準備を進めている。
今回の攻撃は、一斉総攻撃だ。
三つの攻城塔を昇って城壁の上に一度に兵を送り込むのと同時に、破城槌で城門を打ち破って兵をマシュケルの城壁の内側に送り込む。
この、一種の飽和攻撃をしかければ、城門の上からの敵兵の攻撃も、攻城塔から続々とやってくる兵士への対処におわれるため、さほど心配しなくてもいいだろうというのがこの作戦の骨子である。
とはいえ破城槌で城門を破壊されれば、防衛側からすればまさに最後の防衛戦が突破されることになる。
おそらく、相当の抵抗が予想される。
さらにいえば、城門をぶち破ったところで、戦が終わるというわけではない。
扉の内側ではかなりの数の兵士たちが待ちかまえているはずだ。
そこを一気に突破する先鋒の兵たちは損耗を強いられることになるだろう。
だが、そうとわかっていても……あるいはだからこそ、リューンは体内で血がうずくようなものを感じていた。
いままでは、言うなれば「待ち」もしくは「忍従」の戦いだった。
攻城塔の設置なども作業自体は地味で、上から油だの石だのといったさまざまなものを浴びせられながら作業を進めなければならなかったのだ。
攻城塔を城壁に接触させても、たちまち城壁の上の道を左右から兵士たちに挟撃され、とても城壁制圧には至らなかった。
リューン自身はかなり暴れ回ったものの、それでも限界というものがある。
だが、城壁を打ち破れば、その奥には大量の敵兵が控えているはずだ。
そうすれば、たっぷりと大剣をふるって、忌々しい敵どもを何人も何人も切り倒すことが出来る。
想像するだけで、ぞくぞくしてくるではないか。
そのときだった。
背後から、総攻撃を告げる戦笛の重厚な音がこだましてきたのは。
「ワアアアアアアアアアアアアアッ」
すでに城壁に設置された三つの攻城塔を、兵士たちが一斉に昇り始めた。
また、十基を越える巨大な投石機がうなりをあげて、城内にむけて巨石を投じはじめていく。
宙に放り投げられた巨大な石の塊が、次々に綺麗な放物線を描いて城内へと投げ込まれていった。
石が空を切る、ごう、ごうっという不吉きわまりない音が、湿気を帯びた大気のなかでやけに大きく聞こえてくる。
「俺たちもいくぞ! 破城槌を前進させろ」
リューンの命令によって、何人もの雷鳴団の兵士が破城槌を城門めがけて近づけていった。
破城槌は台座には車輪が取り付けられ、前進が可能になっている。
この台座の上に木製のいわば「天井」のようなものがあり、そこから太い綱で巻かれた、先頭を鉄で補強された木製の破城槌が丸太のようにつるされていた。
いざ城壁を破壊する段になれば、この吊られた丸太状の破城槌を、思い切り城壁に打ちつけるのだ。
とはいえ敵兵も黙ってこの、致命的な武器を見逃してくれるわけでは、むろんない。
城壁の上の矢狭間から、たちまちのうちにあたりが黒く霞むような膨大な量の矢が降り注いでいた。
破城槌もむろん、こうした攻撃は予想してそれなりの防備は施している。
「天井」の部分は厚い獣皮や木材で、装甲されているのだった。
兵たちはこの天井の下で、破城槌をひっぱっているのである。
とはいえ、それで守られるのは破城槌を実際に動かしている者だけだ。
他の兵士は、身を守るものといえばせいぜい手にした盾程度のものだった。
装甲にいつしか何百本もの矢を生やして針鼠のようになった破城槌が、やがて埋められた堀の上を通り抜け、城門の扉の前へとついに達した。
マシュケルの都の東門は、カシ材に鉄板で要所を補強したものだ。
「せーいの!」
ずん、という重い音とともに、破城槌の最初の一撃が扉を鳴動させた。
だが、まだ一撃程度で、分厚い城門の扉が破壊されるわけもない。
「まずいですぞ……リューン殿!」
イルディスの声に上を見上げると、城壁の上にいた兵士たちが、黒い釜のようなものを倒そうとしていた。
それがなにか、考えるまでもない。
おそらくは、この戦で何度も使われた、煮立った油だろう。
黒い釜が傾けられたかと思うと、黄色っぽい液体が激しく湯気を吹き上げながら破城槌へと降りかけてられていく。
たちまちのうちに、破城槌のなかから悲鳴があがった。
どうやら装甲の隙間、あるいは破城槌と、「天井」の間の空間から熱い油がなかに入り込んだらしい。
さらに二つの黒い釜が傾けられ、沸騰した油が破城槌にかけられた。
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