3  垣間見る玉座


「なんだあれはっ」


「あの傭兵……なにをやった?」


 観覧席の貴族たちがわめき声をあげている。

 白い粉が、アルヴァドスの兜を白い染めていた。

 その色は、決闘場に敷かれている白砂の色そのものだ。


「さすがに傭兵だ……きちんと、自分の置かれた状況を利用するか」


 ガイナスが愉しげに言った。

 自分の置かれた状況。

 なるほど、リューンというあの男は、さきほど一度転びかけて顔に白い砂を浴びた。

 それを貴族たちは嘲笑していたが、実はあの転倒がわざとだったとしたら?


(アルヴァドスの攻撃をよけながらわざと転んで……顔に、白い砂をつけた。そうすれば、注意はどうしても顔にいく。その間に……手に、砂を握っていた!)


 レクセリアはリューンの機転と、行動力とに感嘆した。


(あの一瞬で……しかも、アルヴァドスの攻撃は速度を落としたとはいえ、一撃でもくらえば致命傷になりかねない! それでも賭けを行い……そして、リューンはその賭けに勝った!)


 ガイナスとヴィオスの目は完全に正しかったということになる。


「あああああああああ」


 アルヴァドスが、剣を上段に構えながら絶叫していた。


「卑怯だ! 卑怯だぞ! このような……このような真似は……」


 やはりアルヴァドスという男の、それが限界なのだろうと冷徹にレクセリアは状況を観察していた。

 確かにリューンの手は、卑怯だ。

 だが、彼にしてみれば卑怯であって当たり前である。

 戦場とは要するに殺し合いの場所であり、自らの生存のためにはあらゆる行為が正当化される。

 リューンにしてみれば、下にある砂を利用しない手はなかったのだ。

 彼にはあの白い砂がただ闘技場の床を敷き詰め、すべりにくくするためのものではなく「武器」として認知されていた、ということだろう。


「卑怯な!」


「なんという下劣な! これだから傭兵というのは!」


 グラワリア貴族たちの悲鳴じみた声が、ひどく醜悪にレクセリアには思えた。

 所詮、戦とは殺し合いである。

 どのような道理を尽くしたところでその本質は変わらない。

 そのことを、あのリューンという男は知り尽くしている。

 死ねば、少なくとも現世においてはそこから先はない。

 そのことを肌身に染みて理解している。

 ぞくっと背筋に興奮のようなものが伝っていった。

 呼吸が早くなっていく。

 体が熱っぽくなっていく。

 この感情はなんだ?

 なぜリューンヴァイスとかいう傭兵の行動に、自分はこんなに心動かされるのだ?

 理性ではわからぬ未知の感情に半ばおののきつつも、レクセリアはリューンの一挙手一投足を見入っていた。


「ああああ! ああああああああああ!」


 アルヴァドスはといえば、むちゃくちゃに巨大な剣を振り回している。

 恐怖だ、とレクセリアは思った。

 視界を一時的に封じられたという恐怖が、アルヴァドスの肉体を動かしている。

 もし剣を振り回していなければ、間合いに入りこまれてしまう。

 そうなれば、リューンの持っていた針のような短剣も意味をもってくる。

 一見すると裁縫に使う針のように頼りなげな武装だが、あれが「鎧抜き」であることをむろん、レクセリアは知っていた。

 先端に加工を施してあるため、勢いさえあれば鉄板さえも貫くという恐るべき代物だ。

 ましてやアルヴァドスは鎖帷子をまとっている。

 鎖帷子が、突きの武器に弱いのは常識である。


(これは……ひょっとすると……)


 もし、リューンが勝ったら。

 勝ったら一体、グラワリア王位はどうなるのか。


「ふん……いかんな」


 ガイナス王が、眉をひそめた。


「リューンヴァイス……『無心』ではいられなくなったか」


 無心。

 それはある種の練達した戦士だけがたどり着ける一種の、無の境地であるという。

 そうしたときに、戦士は最強の強さを発揮するという。


「いままでは『死兵』であったリューンも、欲が出てきた、ということか……」


 欲。

 言われてみれば、さきほどと比べてリューンヴァイスの動きがどこかおかしかった。

 アルヴァドスが無茶苦茶に剣を振り回している。

 一見すると、リューンのほうが今度は優位に立ったように見える。

 だが、レクセリアの目にも、リューンの焦りのようなものが感じられた。

 すでに戦いは長時間におよんでいる。

 実際の戦場では、何刻にも渡って戦闘が続くわけだがそれでもアルヴァドスのような超人的な相手と戦うことはそうはないだろう。

 さすがのリューンも、疲れ始めているのだ。

 なにしろ巨大な剣をよけるだけで、体を左右に飛ばしたりとかなり筋肉を使う。

 受けにくらべて、よけるという行為は筋肉の使用量が圧倒的に多い。

 さらにいえば、なにか精神的なものがリューンの動きから生彩を奪っているようにも思える。


「グラワリア王位……なるほど、ついに玉座が本当に見えてきて……あれほどの男でも、臆するものか」


 ガイナスの言葉に、レクセリアは納得した。

 リューンは自らが優位になったことを知り、気づいてしまった……というか、思いだしてしまったのだ。

 このままアルヴァドスを倒せば、自らが次代のグラワリアの王になる、ということに。

 一介の傭兵隊長が王位に就くなど、セルナーダの地の歴史が始まって以来、なかったことだ。

 帝国期などは軍人が帝位を簒奪したこともあったが、そうした者もちゃんと皇帝家の血をひいていた。

 つまり太陽神ソラリスを源とする黄金の血はちゃんと流れていたのだから、簒奪というよりは帝位を巡る内紛といったほうが正解かもしれない。

 だが、リューンにはまったくそんな尊貴な血は流れていない。

 あくまで流れ者、一歩間違えれば即座に野盗に化ける傭兵団の首領にすぎない。


(もしこれでリューンが勝てば……歴史が……歴史が変わってしまう)


 ほとんど恐怖にも似た戦慄にレクセリアは身を震わせた。

 史上、例のない、黄金の血をひかぬ者による王位継承。

 それは一体、グラワリアにどれだけの動揺をもたらすのか。

 波乱をもたらすのか。

 否、グラワリアだけではない。

 アルヴェイアやネヴィオンにも、この驚愕の一報はいずれもたらされるだろう。

 そうなれば、いままで人々が当たり前のように考えてきた身分制度すら、崩壊するかもしれない。

 まず人々の頂きに王がおり、その下に貴族がいて、さらに騎士たち、そして一般の民がいた。

 この階層構造そのものが、一気に破壊されるとしたら?


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