9 運命の場所
ゆっくりと、「運命の場所」にむかって歩いていく。
体の調子は悪くない。すでに軽い食事も終えていた。
戦いの前は、固いが黒パンや果物を食べたほうがいいと経験で知っている。
肉類を食べたあとに戦場に出ると、胃がもたれたり、とにかくろくなことがない。
もちろん満腹になるまで食うような愚かな真似もしない。せいぜい、胃の半分といった量か。
「さてと」
リューンは背から長大な大剣を抜き放ち、臨時にしつらえられた決闘場にむかって歩いていった。
どこから調達したものか、白い砂が直径三十エフテ(約九メートル)ほどの円のなかに敷き詰められている。
その下には敷石が敷かれているようだから、砂は滑り止めなのだろう。
左手には、臨時に設けられた観覧席があった。
中央に座るのは、むろんガイナス王である。
その傍らには、レクセリア姫の姿もあった。
さらに多くのグラワリアの諸侯たちが、緊張した面持ちで木製の席に並んでいる。
(あんたらが緊張してどうするんだよ、戦うのは俺とアルヴァドス卿なんだぜ)
思わずリューンは、にっという笑みを浮かべた。
決闘場の四囲を囲むように、四人の鎖帷子に身を包んだ騎士らしい男たちが矛槍を手にしていた。
砂の敷かれた決闘場には、一度、足を踏み入れたら相手を殺すしか出る方法はない。
もし勝負がついていない……すなわち、相手を殺してもいないのに勝手に決闘場から出ようとすれば、あの騎士たちに即座に殺されることになる。
さらに、その背後には槍を構えた何人もの歩兵が控えていた。
どう見ても、いまさら脱出するのは不可能なようになっている。
さらに歩兵とはまた異なる、稲妻をかたどった胸当てをつけた女たちがいた。
彼女たちはみな槍を持っているが、グラワリアの兵士ではない。
彼女たちは個人的にガイナスに忠誠を誓うランサール女神の尼僧、いわゆるランサールの槍乙女たちである。
いざというときは、彼女たちが味方になってくれるはずだ。
つまり、もし決闘にリューンが勝っても、その勝負に貴族たちが異を唱えたりした場合、リューンが生きてこの場から出られるとは限らない。
ガイナスの命令を無視して、諸侯が独断で行動することもありうるのだから。
そうしたこともあってか、さまざまな意味でびりびりとした緊張感が、決闘場を押し包んでいた。
(さて、問題は生きてここから出られるかってことだが……)
緊張とかすかな恐怖に、苦い鉄のような味が口のなかに広がる。
だが、これはいつものことだ。
いくらリューンが歴戦の傭兵とはいえ、戦いとなればいつ死ぬかわからない。
むしろ戦場に出るのに恐怖を感じない者のほうが危険なのだ。
いつものように恐怖を制御しながら、それを戦場の興奮に切り替えていく。
全身の血管を、冷たいものと熱いものが交互に駆けめぐるような感覚がやってくる。
身につけた鎧、そして手に持った大剣、いま自分が装備しているものがすべて、自分の肉体の一部のような独特の感覚に、リューンはぶるっと体を震わせた。
(しかし……準備は万端だが……奇にくわねえな、まったくなんて天気だ……)
リューンは、北東の空にかかった太陽にちらりと目をやった。
いまはまだ午前なので、東の空にまばゆい太陽が輝いている。
いずれ時間がたてば北の空をそのまま横切り西に没する太陽だが、いまはちょうど、陽光を向かいにする位置のため、このままでは日の光が邪魔になる。
(まったく……太陽は、あくまで古い王たちの……昔からの王の味方ってわけか)
だが、とリューンは思う。
遙かに遡れば太陽神その人の血をひくとされる、グラワリア王ガイナス自らが言っていたのだ。
すでに太陽の王の時代は終わったと。
これからは、嵐の王の時代が始まる。
否、リューンこそが嵐の時代を切り開かねばならないのだ。
そのときだった。
向かいの天幕から、銀色のまばゆい鎧をまとった一人の巨漢が現れたのは。
予想通り、全身を鎖帷子で覆った重武装である。
さらに胸当てと頭の兜は、板金でできたものだった。
そして手には、リューンでさえたまげるような、ほとんど異常といっていい武器を手にしている。
(おいおい……なんだ、こりゃあ)
幾つもの戦場を駆けめぐったリューンでさえも見たことのないような、それは狂気じみた剣だった。
あまりにも巨大すぎるのだ。
刀身の長さは、下手をすれば六エフテ(約一・八メートル)はあるのではないだろうか。
さらに横幅もかなりあり、中央部にはどっしりとした厚みがある。
横から切られたら人間の手足など簡単に両断されてしまうだろう。
あえてひらの部分で鈍器として叩いても立派に武器として通用しそうな、それは凄まじい剣だった。
観覧席から、貴族たちの声が漏れる。
「おお……」
「あれがゼヒューイナス候ご自慢の、『巨人殺し』……」
「あれで鎖帷子を着た敵の騎士を、一刀両断にしたこともあるとか……」
常識的に考えれば、鎖帷子を着た人間を剣でまっぷたつにするなどということは不可能に近い。
だが、あの化け物のような剣であれば、不可能ではないかもしれない。
とはいえ、巨大すぎる剣というのは、実は致命的な弱点がある。
一端懐に入られれば一気に攻めにくくなる。
さらに言えば、どうしても斬撃が遅くなり、こちらとしては敵の動きをみながら攻撃を回避しやすくなる。
だが、アルヴァドスはまるでリューンに見せつけるかのように、『片手で』怪物のような巨大な剣を軽々と、とうてい信じられないような速度で振り回した。
そのたびにひゅっという風を切る音が鳴り、下に撒かれていた白い砂が舞い上がる。
(こりゃあ……すげえ)
リューンはまず呆れ……そして、次の瞬間、思わず笑った。
(すげえ……この侯爵様は本物だ……いままでいろんな戦場を戦ってきたけど、たぶん、俺がいままで斬ってきたどんな奴よりもあのアルヴァドスって野郎のほうが……強い!)
ほとんど歓喜にもにた感覚が全身を駆けめぐる。
それがリューンヴァイスという男だった。
敵が強ければ強いほど、嬉しくなる。
傭兵のなかには、まれにそういった、戦いという行為そのものに取り憑かれたような者がいる。
むろん、それは「勇者」としては重要な資質かもしれないが「傭兵」あるいは「戦士」としては、危険でさえある。
戦の基本とはすなわち「自分より弱いものと戦うこと」なのだから。
それでも、リューンの体の震えは止まらない。
「あの男……震えておる」
「ははっ……愚かな! ようやくアルヴァドス殿の真の恐ろしさに気づいたのか!」
だが観覧席の上のガイナスは、すべてをわかっているようだ。
金杯に注がれた赤葡萄酒を飲みながら、悠然としている。
(ちっ……どうせなら、あの王様ともまだ健康なうちに、一回、戦っておきたかったぜ……)
相手が王であろうが侯爵であろうが、そんなことはリューンにとって関係ない。
大事なのは、相手がどれだけ強いか、この一点に尽きる。
その点、アルヴァドスはまさに戦うにふさわしい相手といえた。
「皆の者……静粛に」
とても病人とも思えぬ朗々たる声で、ガイナスが叫んだ。
途端に、観覧席のざわめきがすっとひいていく。
「このたびの決闘の勝者こそが、次代のグラワリア王となる。諸侯のなかで、もしこの決闘に異議を唱えるものがあれば、腹蔵なく申すがよい」
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