13  ハルメスの敗北伯

 何台もの馬車が、数十騎の騎士たちの護衛をうけて南へと向かっていた。

 茜色の空のもと、そろそろ日が暮れかかっている。

 だが、ここはもうウェレシス伯爵領のなかだった。

 すでに、グラワリアは遠く、アルヴェイアの東部にあたる地域である。


「ようやく人心地つける、というところですかな」


 箱馬車の隣の座席に座っていたエルキア伯ヴァクスが、深く吐息をつくと言った。

 どこか鼠にも似た顔を持つ小男だが、彼は岩塩を産することで知られるエルキア山脈一帯を所領として有している。

 アルヴェイア有数の大貴族の一人だった。


「とにかくもう、戦はこりごりというところですが……ハルメス伯はいかがです?」


 それを聞いて、ハルメス伯ネルトゥスは苦い笑みを浮かべた。


「南部諸侯としての『義挙』、そしてヴォルテミス渓谷の戦い……なるほど、まったくこのところ、武運からは見放されておりましたからな。私もヴァクス殿と同感、というところですよ」


 実際、それはネルトゥスの本音だった。

 彼は発達した犬歯をもち「ハルメスの鮫」なる異名でも知られている。

 それほどに勇猛果敢な武将、騎士だということだ。

 だが、南部諸侯の乱では林檎酒軍に参陣して敗北し、一度、アルヴェイア王国軍に捕らえられている。

 その雪辱をそそぐためにアルヴェイアに侵攻してきたグラワリア軍とヴォルテミス渓谷で激突したが、その結果も無惨なものだった。

 レクセリアが降伏したことにより、ネルトゥスは捕虜となったのである。


「しかし……我らは、まだ幸運なほうでしょう」


 あの忌まわしい、ヴォルテミス渓谷での戦いを思い返して、ネルトゥスは苦い口調で言った。


「我ら貴族諸侯や騎士たちは、確かに捕虜にされた。しかし兵卒たちは……」


 それを聞いて、ヴァクスも苦い顔で顔をしかめる。

 兵卒たちは、降伏したにもかかわらず、あのグラワリアの火炎王、ガイナスによって虐殺されたのだった。

 まさに無法の極みというものである。

 むろん、ネルトゥスやヴァクスといった諸侯が命を助けられたのは、身分が高いから、といった理由ではない。

 単純に実家がそれなりに富裕なので、身代金を請求できるからだ。

 高貴な身分の者は捕虜にして莫大な身代金を請求し、敵の力をさらに削ぐというのはこの時代ではごく一般的なことだった。

 ネルトゥスの実家、つまりはハルメス伯爵家もグラワリアにかなりの額の金銭を払っている。

 考えれば考えるほど腹の立つ話だが、もし支払いをしぶればいまも紅蓮宮の地下牢に閉じこめられているか、あるいは死ぬかしていただろう。


(それにしても負け戦が二度、か……)


 ネルトゥスは深く息をついた。

 むろんこと戦となれば、常に勝ち続けることはできない。

 だが、それにしても二回連続して、しかもこれほど完膚無きまでに負けるというのはネルトゥスにとっても初めての経験だった。

 彼にとっては、とても愉快とはいえない噂も耳に届いている。

 曰く、ネルトゥス卿はかつては「ハルメスの鮫」として知られていたが、いまではあるいは「ハルメスの敗北伯」と呼んだほうがよいのでは、といった類の話である。

 もともとがネルトゥスには、戦場で必ず活躍する、という印象が強かった。

 ネルトゥス自身はそんなことを意識したこともないが、周囲からみればそうだったらしい。

 であるがゆえに、負けが二度も続くと、かえってネルトゥスのふがいなさが際だってみえる、という格好である。


(敗北伯か)


 不名誉な呼び名ではあるが、あるいはいまの自分にはふさわしい呼び名かもしれない。

 ネルトゥスはぼんやりとそんなことを考えていた。

 少なくとも、遙かアルヴェイアの南西の果て、故郷のハルメスから付き従ってくれていた多くの兵たちを、死なせてしまったのは事実なのだ。

 彼らの無惨な運命に比べれば、たとえ「敗北伯」などと呼ばれるくらい、大したことはない。


「それにしても……ガイナス王の奴め、いままでの非道でソラリス神より罰があたったのですかなあ」


 傍らでエルキア伯ヴァクスがふいに言った。


「どうも、相当に重い病に伏せっているとか……そんな話がありましたでしょう」


「らしいですな」


 ネルトゥスはぼんやりとうなずいた。

 アルヴェイア、グラワリア国境で馬車に乗せられて以来、何度となく話題に上ってきたのがガイナス王の体調について、である。

 ネルトゥスやエルキア伯をアルヴェイアに送還する際、さすがに外交上の儀礼ということでガイナスも出席した。

 そのときの、ガイナスの様子がどうにも、なにかの病にでもかかっているように見えたのである。


「もし亡霊の祟りというものがあれば……まさにそれでしょうか。少なくとも、ガイナス王は相当、重い病であったような……」


 ヴァクスがにやりと笑った。


「あの男め……やはりこれは、神罰というものでしょうな。なにしろヴォルテミス渓谷での虐殺は、あまりにも酷すぎた。私も、自らの兵の多くを殺されたのです。彼らの無念は、察してあまりある……」


 亡霊の祟り。

 呪い。

 神罰。

 そうした超自然の現象が、まったくないとはいえないのがセルナーダの地である。

 少なくともある種の魔術師たちは、無惨な死に方をしたものの意識が亡霊として残留すると主張している。

 それゆえ、戦場で悪霊払いの呪札をつけて戦う兵がいても、それだけでは決して迷信深いとはいえないのだ。

 祟りにせよなににせよ、ガイナスがかなり篤い病にかかっていることは明らかに思えた。

 だが、問題はその病がこれからのグラワリア政局に……否、アルヴェイア、そしてネヴィオンをも含めた三王国の行く末にどんな影響を与えるか、だ。


「このまま死ねば……ガイナスめ、犬死にということになりますな」


 ヴァクスが暗い笑みをたたえたまま言った。


「なにしろスィーラヴァスとの五年の内戦が、無駄になる。いま王家の直系の血をひいているのは、ガイナスとスィーラヴァスの二人のみ。王族からみて傍系で『黄金の血』をひく者もいますが、スィーラヴァスに比べればあまりにも血が薄すぎる……」


「しかし、相手はあのガイナス王ですぞ」


 ネルトゥスは言った。


「ダルフェイン伯ボルルス……あるいは、ゼヒューイナス候アルヴァドスあたりは、かろうじてとはいえ黄金の血に連なるはず。そのあたりを後継者にすれば……」


「なるほど」


 エルキア伯はうなずいた。


「まあ、手としてはないこともないですが……いかにも主張しては弱いですな。正統な王位継承権者は、スィーラヴァスであると誰もが見るはず……いや、こととしだいによれば……」


 エルキア伯は狡猾そうな目を細めた。


「ガイナスのたてた王と、スィーラヴァスとがともに王位を主張するかもしれませんな。そうなれば……」


「アルヴェイアとしては、喜ぶべきことでしょうか」


 ネルトゥスが肩をすくめた。


「なにしろグラワリアが二つに割れてくれたままであれば、我らとしてはありがたい。まあ、またヴォルテミス渓谷のときのように、一時休戦してこちらに侵攻してくる、という恐れはありますが……」


「二つに割れたといえば」


 エルキア伯ヴァクスが、ささやくように言った。


「どうにも、青玉宮も我らのいない間に、大変なことになっているようですな。すでにいわゆる『六卿』の時代も終わり……ゼルファナス卿がミトゥーリア妃をつれて、エルナスにもどったとか」


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