11 帰還
大敗したアルヴェイア軍が王都メディルナスに帰還したのは、すでに夏もそろそろ終わろうかという時期だった。
軍勢は解散し、メディルナス市内に入場したのは諸侯と彼らが率いる騎士だけである。
敗軍とはいえ、彼らの姿は威風堂々たるものだった。
メディルナスの市民たちは歓呼の声をあげることこそなかったものの、道に並んで帰還したアルヴェイア軍を迎えたのだった。
「しかし、こんな立派な軍隊がグラワリアに負けちまうなんてなあ」
「いま戻ってきたのは、エルナス公が率いていた兵士らしい。レクセリア殿下のひきいていた軍は、全滅したらしいぞ」
「全滅? そりゃひでえな。やっぱり、王女様には将軍なんてつとまらなかったってことか」
「いや……レクセリア殿下は、無用な流血を嫌って、敗北が明らかになった時点でガイナス王に降伏したらしい。降伏した軍の兵士は、そのまま武装解除して生かして返すってのが文明国ってもんだろう? でも、ガイナスの野郎はアルヴェイア兵たちを皆殺しにしたらしい……」
「ガイナスの野郎……人間じゃねえな!」
「でも、エルナス公の率いていた軍は、かなり活躍したらしいな。なんでもエルナス親衛隊とかいう、エルナス公家の歩兵が特に働きをみせたとか……」
「やっぱり、レクセリア殿下じゃなくて、エルナス公を大将にしたほうが良かったのかもしれないな。レクセリア殿下もおかわいそうに。いまじゃガイナスの捕虜だろう?」
「いや、そもそもレクセリア殿下に軍を任せた陛下がおかしいんだ」
「しっ……滅多なことはいうもんじゃ……」
「いや、こいつの言いたい気持ちもわかるぜ。いまのシュタルティス陛下は、ご自分で兵を率いるべきだったんだ。相手だって、ガイナス王っていうグラワリア王本人が出陣しているんだからな。それなのに、いまの陛下ときたらろくに国政もみずに、青玉宮で宴会三昧らしいじゃないか……」
それは完全な事実とまではいかなくとも、少なくとも嘘ではなかった。
レクセリアの遠征中に、シュタルティスのやったことはといえば新たな税を増やし、王宮に楽士たちを招いて宴を開いたことくらいだった。
新しく王位についた若き国王としては、戦の行方が気になってならなかったのだろう。
なにしろことと次第によっては、ガイナス軍はこのメディルナスまで攻め込んでくるかもしれないのだ。
もともとが臆病なシュタルティスは酒に溺れ、自らの愛好する音楽に逃避して、現実から逃れようとした。
確かに一国の国王としては、資質を問われても仕方のない態度ではある。
即位してからまだ一月にもならぬというのに、シュタルティスの民の間での人気は低かった。
普通であれば、どんなに人気のない者でも即位直後くらいは、ご祝儀とでもいうべきか、それなりの期待をかけられ、人気もあるものである。
だが、シュタルティスの場合、まだ十五の妹であるレクセリアをグラワリア軍討伐の大将に任じた時点で、人気は急落していた。
確かに南部諸侯の反乱を打ち破ったレクセリアはアルヴェイアの戦姫などととも呼ばれ、その軍事の才は人々に広くしられることとなった。
またシュタルティスは王であり、いまだ子供の一人のいない身で玉体を戦場などという危険な場所にうかつに運ぶのはさけるべきだ、という声もあった。
だが、それでも人々の目には、国王は面倒を妹に押しつけて自分は逃げた、というふうに映ったのである。
事実、その通りなのだが。
これでは人気はとうてい、あがりようがない。
さらに人々を失望させたのは、シュタルティスが発案したさまざまな新税だった。
戦争にはとかく金がかかるため、軍費を徴収するという意味ではこの時期に増税するのはさけられないことではある。
その時期が即位直後というのは、シュタルティスにとっては災難としかいいようがなかったろう。
彼はいきなり、「即位した途端に増税して、戦争を妹に押しつけた自堕落な王」と見なされてしまったのだ。
さらに悪いことには、シュタルティスは開明的な王であることをめざし、庶民の噂を積極的に臣下に集めさせた。
その結果、聞かされたのは悪評ばかりである。
自分の不人気ぶりに失望したシュタルティスは酒色に溺れ、趣味でもある音楽と詩の世界に逃避してまともな政務をほとんど行わなくなっていた。
そこにレクセリア軍惨敗の悲報が届いたのである。
主の気分をそのまま映すかのように、青玉宮のなかにも重苦しい、そしてどこか退廃的な空気が漂い始めていた。
主人の堕落は、臣下にも感染する。
文官たちはいままで以上に不正に励み、職務を怠り、女官たちは退廃的な遊びに興じるようになった。
また戦場にゆかず、王都に残った諸侯たちも国を憂えることもなく、王と一緒になって享楽的な宴に浸った。
ウナス伯ではないが、もし、ヴォルテミス渓谷で虐殺されたアルヴェイア兵がいまの青玉宮の様子をみれば、怒りのあまり化けてでてきてもおかしくなかったかもしれない。
俺たちはこんな奴らのために死んだわけではない、と亡霊たちは悔し涙の一つも流したことだろう。
だが、ゼルファナスにとって堕落と退廃の空気は、むしろなじみ深いものですらある。
青玉宮に帰還し、最初の城門をくぐった途端、エルナス公は王宮の雰囲気が以前に比べてすっかり様変わりしていることをすぐに悟った。
(家の空気は主によって変わるとはいうが……先王ウィクセリス六世陛下の頃は、青玉宮もここまでひどくはなかったな……)
青玉宮を人にたとえるのであれば、死にむかいつつある病人、といったところだろうか。
饐えた腐臭めいたものが青を多用した建物のなかに、どんよりとよどんでいた。
普通、新王が即位すれば宮廷内の空気はそれなりに刷新されるものである。
ましてやシュタルティスはいまだ若い王だ。
にもかかわらず、青玉宮が抱え込んでいるのはいままで以上の、ある種の滅びの臭気だった。
(もはやアルヴェイア王朝も長くはない……ということかな)
それは新たな王位を狙い、アルヴェイアに「エルナス朝」とでもいうべき新王朝を開くつもりのゼルファナスからすれば、都合のよいことでもあった。
だが、ゼルファナスは強引に王位を簒奪するつもりはない。
ゆっくりと慎重に手をうって、だれもが納得する形で王位を手にいれる。
(そして私は姉上と、夫婦となるのだ)
ゼルファナスをはじめとして、ゼルファナス軍に属していた諸侯たちは、新王に敗戦の報告を行うために玉座の間へとむかっていた。
ゼルファナスだけでなく、他の諸侯も王宮の空気の変化には気づいたようだ。
ナイアス候が、ぼそりとつぶやくように言った。
「我らが戦場にいる間に……のんきなものだな」
それが、誰にむけられて発された言葉が、諸侯たちはあえて問おうとはしなかった。
実をいえば、彼らもみな、似たような思いだったからだ。
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