13  道化の神の僧侶

 その男の姿を見て、リューンは呆然と口を開けた。

 まるで、道化のような姿をした男が、眼前でぷかぷかと浮いていたのだ。

 頭には金と銀との縞模様の帽子をかぶり、体は緑地に桃色の水色が散っている胴着に、目にも鮮やかな青い、脚の線をくっきりと浮き立たせるタイツをはいている。さらにはくるりと先端の曲がった白黒の靴をはいているその姿は、どう見ても美的感覚もかけらもなにも感じられないものだった。

 年は二十代半ばといったところだろうか。男の顔立ちそのものは悪くないのだが、あまりにも奇妙奇天烈なその衣装のほうについ目が行ってしまうのか仕方のないところだろう。実際、これほど派手な姿の道化を見るのは、リューンにとっても初めての経験である。


「な、なんだあ、あんた」


 さきほどまでの亡霊よりもある意味では不気味というか……それを通り越してほとんど滑稽ですらある。

 道化のような男は、にやりと笑った。


「はははは? やれやれリューン王、この僕を知らないとはまったく大した奴だ! 僕はこの世で一番強くて偉くて格好いい神様に仕える僧侶のニアーランという!」


 リューンとしては、ぼんやりとうなずくしかなかった。

 一体、これはなんの冗談だというのか。これもまた、森の怪異のなせる技だというのだろうか?


「おっと! 僕をこんな薄気味の悪くてついでに趣味も悪い森の怪異如きと一緒にされたら困るね! いいかい、僕はこの世で一番強くて偉くて格好いい神……に仕える僧侶だと言っているだろう!」


 一体、それはどんな神なのか。

 ウォーザの僧侶にはとても見えない。というよりも、そもそもこんなふざけた格好をした僧侶など……。

 いや、昔、どこかの都で似たような男を見かけたことがある。

 その男はあちこちでいたずらを繰り返し、ついに縄で縛られたのだった。だが、男は不可思議な術を使って縄をとき、外に出た。あの男が仕えていた神の名は……。


「あんた、ナルハインの僧侶か。たしか、道化の神様の」


 すると、ニアーランがにやりと悪童のような笑みを浮かべた。


「いやはやまったくその通りだよ! さすがにリューン王、おっかないウォーザのおっさんが選んだだけのことはある!」


 荒ぶるウォーザ神のことを平然とおっさんと呼ぶこの男の度胸が、リューンにはちょっと信じられなかった。


「なに、おっさんはおっさんさ。ただあのおっさん、怒ると稲妻とか投げつけてくるからね。昔は僕もこんがりとほどよく焼かれたものだよ、実際」


 むろんそれは法螺だとはわかっている。道化の言うことをいちいち、真に受ける馬鹿はいない。

 だが、問題はそんなことではない。


「ええと……ニアーラン、だったか。あんた、なんのためにここにきた? こんな、アスヴィンの森の真ん中にたった一人で……」


 おかしい、とリューンの戦場で鍛え上げられた直感が告げていた。

 明らかに、おかしい。ニアーランというのがどんな法力、すなわち神から賜る力を使えるかはしらないが、いくらなんでもアスヴィンの森の深部にまでやってくるのは大変だったはずだ。

 だとすれば……むしろこの男は、いや「人のふりをしたなにか」は、やはり森の怪異の生みだしたもの、あるいは人をたぶらかす妖魅の類ではないのか?


「ああもう、疑いぶかいねえ。せっかくこうやって僕の出番がまわってきたのに、人を魔の森の怪異や妖魅扱いだなんて失礼がすぎるってものだっ」


 この男と話していると、だんだん調子がおかしくなる。あまりの能弁ぶりにふだんの自分が崩されていくかのような感じだ。


「なんなんだ……なんなんだよ、あんた! 一体、なにが目的で俺のもとに現れた!」


 リューンは思わず、剣を構えた。

 これがあるいは霧の怪異の生みだした幻覚の一部であれば、我ながら滑稽なことだとは理性は告げている。だが、リューンの深部、いままで苛烈な戦場を幾度も生きのびてきた本能が確かに告げているのだ。

 一見、無害そうなこの道化が、実は恐ろしい力を秘めていると。

 いや、恐ろしいなどというものではない。いま、長剣をむけたというのに、不思議とリューンには、この男を自分の剣が切り裂く姿など想像もできなかった。

 強力な術を使う魔術師と、どこか雰囲気が似ているが、それともまた異質な……なにか、とてつもない存在と自分が対峙しているような気がしてきた。

 体が、勝手に震えでしていることにリューンは気づいた。

 わからない。なぜこんな、馬鹿みたいな男相手に……俺は「怯えている」のだ?


「ほう……なるほど、やはり『嵐の王』に選ばれるってのは伊達じゃあないね」


 ふいに、すっとニアーランと名乗った男が目を細めた。


「これでも僕は、この世で一番強くて偉くて格好いい……ナルハイン神に仕える、まあ高僧といってもいいようなもんだな」


「なにが」


 リューンは全身からいやな汗がだらだらと流れていくのを感じていた。

 一歩、扱いを間違えればこの男はとてつもない災厄をあたりにまき散らすのではないか……なぜかそんな気がしたのだ。


「なにが、目的だ? あんたがナルハインの高僧だというのを信じるとしても、道化の神様の坊主がなんで俺なんかに……」


「道化とは」


 ニアーランが、偉そうに咳払いをした。


「こほん。道化とは、日常を『日常でなくす存在』ということだ。まやかしや偽りを使って人々を笑わせ、『いつもとは違う状況』をつくりあげる者のことだ。それはうまく使えば大いなる進歩の礎ともなる。たとえば君は母上から聞いているはずだ。そも、人間という存在は『誰によってつくられた?』」


 リューンは母から昔、聞かされた先住民系の神話を思いだしていた。


「人間は……ナルハがつくった。いたずら好きのナルハは神々にいたずらをしていたが、やがて神々が怒りナルハは大変な目にあった。そこでナルハは、いくらいたずらしても怒られないように最初の女と男をつくって、これが人間の始まり……」


 ナルハとは、ナルハインの古名である。


「然りっまったくその通り!」


 からからとニアーランが笑った。


「道化の神は、笑える神だ。幸せを呼ぶ神だ。だが道化の神は、ときには恐ろしい神だ。災いをもたらす神だ。どちらが真ということではない。どちらも道化の神の本質だ。世界をひっくり返そうとするとき、道化の神は策謀の糸を操る……」


 そういえば、ナルハイン神は道化でありながら、同時に「策謀」をも司る恐るべき神でもあるのだ。

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