9 嵐の女王
レクセリアは、半ば呆然としていた。
いま自分の眼前で起きていることが、理解できない。
いや、より正確にいえば違う。
彼女はこれ以上なく、なにが生じているのか完璧に理解している。
少なくとも理性では。
だが、感情と常識が、いま目の前で起きた出来事を拒絶している。
(こんな……こんなことは、ありえない)
ウォーザ神はリューンのために奇蹟を起こし、ガイナスは炎に包まれて死んだ。
そして、いままでグラワリア兵だったものたちが、一介の傭兵にすぎぬリューンを「嵐の王」だの「嵐王リューン」だと叫んでは足下に跪いているのだ。
時代が、変わる。
もう太陽の王たちの時代は、終わろうとしているのだ。
理屈ではそうとわかっていても、レクセリア自身、いくらアルヴェイア宮廷で変わり者と言われた身とはいえ、黄金の血をひく者……つまりソラリスの、太陽神の一族に連なる者であることには変わりがない。
(だが……私は、「嵐の女王」と呼ばれている!)
なるほど、確かに自分はウォーザの目の持ち主である。
この目をもつ者が嵐の王になるという伝承も知っている。
だが、まさか本当に嵐の王ならぬ、「嵐の女王」と呼ばれることになるとは。
(これはなにかの夢のなかの出来事なのだろうか? それとも……)
たちの悪い喜劇のようにすら思えるが、確かにリューンという男には、すでに恐ろしいほどの王気が感じられた。
下品な口調ではあったが、リューンはその場の空気を一瞬にして読み、まるで魔術の呪文でもかけるかのように、さきほどの演説でグラワリア兵たちの心を虜にしてしまったのだ。
(これが……これが、神すらも認める……真の王の姿なのかもしれない……)
いままでは出自、より厳密に言えば血脈、血統こそが王になるための当然の条件だった。
当たり前のように、人々は黄金の血をひく者のみが王になれると信じていた。
だが、ここに黄金の血など一滴もひかぬ「王」が、現に存在している。
雄々しい肉体と鋭い美貌、さらには覇気と野心に満ちた、野獣のようでいながら知性にも恵まれた男。
(この男は……)
レクセリアは、ぞくっと背筋に痺れのようなものが走るのを感じた。
(この男こそは……本物の王だ……ガイナス王のようにただ凶暴で破壊的なだけではない……ガイナス王ともまた違う、特別な力がこの男にはある……いや、さきほどの「奇蹟」によって備わったのか)
いや、すでにあのアルヴァドスとの決闘の最中で、リューンに心惹かれている自分がいたのではないか?
こうなることを、おそらくどこかで自分は望んでいたのではないか?
すでに三王国の王家の血は濃く濁り、腐り果てた。
その結果が兄王である惰弱なシュタルティスであり、あるいは戦をすることしか、破壊しか出来なかったガイナス王である。
だが、この男は違う。
この男こそは……自分の夫となる、新しい王だ。
すでにリューンは、てきぱきとグラワリア兵やどうやら彼の傭兵団の仲間らしい男たちにさまざま指示を下していた。
特に、小柄な蛙のようなぎょろりとした目の助言に従っているように見える。
何度も、男はカグラーン、カグラーンと名を呼ばれていた。
おそらく、傭兵団の知恵袋的存在なのだろう。
「ええっと……ところで、レクセリア殿下……って呼べばいいのかな?」
一瞬、当惑したような顔でリューンが言った。
それが自分にむかって放たれた言葉であることに、レクセリアはしばしの後に気づいた。
「好きに……好きにおよび下さい」
なぜ、この男に敬語を使うのだろう。
わからない。
だが、さきほどの決闘のときの獣じみた力といい、部下を率いる統率力といい、やはり彼はなまなかではない戦士として、そして指導者としての資質をもっている。
心の奥のなにかが、この男こそは真の王だとささやいている。
「じゃあ……その、レクセリア殿下ってことで」
考えてみれば、レクセリアはこの男を夫にしたのである。
だが、いつのまにか相手は傭兵団の首領から王へと出世していた。
なぜか、おかしくなってぷっとレクセリアは噴き出した。
「な、なんだ? 殿下、その……俺の言葉はなにかおかしいのか?」
「いえ」
レクセリアは微笑んだ。
「『陛下』はご自分の言葉で、語られたほうがよろしいかと存じます。そのようなことより……」
いまはとにかく、緊急時である。
これからどうするか、どう動くかで自分たちの運命は変わってくる。
おそらく観覧席の仕掛けに気づいて途中で逃げ出した貴族たちは、すでに紅蓮宮の外の兵を率いてこちらにむかっているだろう。
ぐずぐずしていれば、このまま殺されて首級を取られかねない。
いま、これからどうするかを即座に決める必要がある。
もちろんなにより大事なのは生きのびることだが、その前に、リューンがグラワリア王になるのであれば必ずしなければならないことがある。
「陛下。まず、宝物殿に赴いて、『王器』を確保してください。王器がなければ、王として諸侯に叙爵することができません」
「王器? なんだそりゃ?」
リューンが目を丸くした。
「馬鹿! 兄者、王器ってのは王が貴族たちを叙爵するときに使う、一種の祭器だ。その玉璽と同じで、王の権威の象徴みたいなもんだ。王器には新王が即位したときに葡萄酒を入れて、王の血をそれに混ぜる。その酒を爵具で呑んだ奴が、王家な忠誠を誓うって代物だよ!」
「へえ……なるほど、そいつは大事そうだが……」
リューンは、すっと目を細めた。
「あいにくと、王器とやらはここに置いておく。そんなものに構ってる暇はねえ!」
「でも、兄者! 王器がなきゃ……」
リューンが舌打ちした。
「馬鹿! カグラーン、お前らしくねえな! こんなことになって少し頭が変になったのか? 王器ってのがそんなに大事な代物なら、あのボルルスとかアヴァールとか、そういう貴族連中が真っ先に兵を送り出して確保するに決まってるだろう! 諸侯をあわせた兵の数は俺らなんかよりよっぽど多い! そんなところで王器とやらの取り合いをやってるうちに……こっちの首が飛ぶ羽目になるぞ!」
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