8 対面

「どうもこう、落ちつかねえなあ」


 青玉宮の回廊を歩きながら、リューンはぼりぼりと頭を掻いた。

 アルヴェイア王宮の内部には、壮麗な装飾がほどこされている。

 柱廊の柱にはさまざまな神話の神々や怪物の似姿が刻まれていた。

 壁に設けられた壁がんのなかには、ネルサティアからもたらされた非常に写実的な白亜の彫刻が置かれている。

 まさに贅を凝らした、セルナーダを三分する大国の宮廷なふさわしい豪華さである。

 むろん、リューンは王宮になど入ったのは初めてだ。

 普通であれば、王宮内の荘厳な空気に触れれば、庶民などは誰もが圧倒され、萎縮するものである。

 だが、リューンはあいにくとさまざまな意味で普通ではなかった。


「おっ……カグラーン! みろ、あの彫像。女の裸だぞ、裸! まったく、王宮のくせにいやらしいもの飾っているなあ」


「いやらしいのは兄者のほうだ」


 緊張した面もちでカグラーンが言った。


「ああいうのは……ええと、その『芸術』だからいいんだよ。女の裸、裸って……」


「ゲージュツだがなんだかしらんが、女の裸には違いあるまい。一体、なんで裸にしてあるのかな。王様とかになれば、なんかこう、生身の女だって抱き放題だろう? 裸の女の彫像なんて一体、なにに使うんだ?」


 彼らを先導していた男が、呆れたような顔をした。

 エルナス公家に仕える騎士である。

 リューンたちは、エルナス公本人から、招待をうけていた。

 昨日、暗殺者から助けてもらった礼を改めてしたい、ということだ。

 それは、異例といってもいい処置だった。

 エルナス公といえば、王国一の貴人の一人である。

 たとえ命を救ってもらったとはいえ、相手のリューンはといえば一介の傭兵隊長に過ぎないのだ。


(ただ……『他にも話がある』らしいからなあ)


 黒狼亭に訪れた使者は、なにか特別な仕事があるようなことをほのめかしていた。

 リューンからすれば、思いもかけぬ好機到来、といった気分だ。


(へっ……どうもあの戦以来、ツキが回ってきたような気がする)


 考えてみれば過日のフィーオン野の会戦で、リューンはアルヴェイア王国の第二王女レクセリアの危機も危ういところで救っているのだ。

 ここまでただの「偶然」が続くというのは、不自然である。

 となればこれは「宿命」と考えるべきだろう。


(やっぱり、「宿命の書」には、嵐の王リューン、っていう名前がちゃんと書かれているのかもしれねえな)


 セルナーダの地では、運命の女神は二人いると考えられている。

 一人は偶然と幸運を司る女神エルミーナ。

 そしてもう一人は、宿命の女神ファルミーナである。

 神話によれば、どんな力ある神々でさえ、運命の二女神の力にはかなわぬという。

 神々だけでなく、あらゆる人々の運命も、ファルミーナ女神が書き留めた「宿命の書」に描かれているというのだ。

 もっとも、ファルミーナ女神は、あまり人々には好かれていない。

 彼女は性悪な女神で、運命の皮肉や仕組まれた偶然といったもので人間の運命を文字通り弄ぶような存在だと考えられているのだ。

 それに対し、偶然の女神エルミーナは、気まぐれで姉のファルミーナ女神の宿命の書を、勝手に書き換えてしまうという。

 そのため、思わぬ幸運が転がり込んできた際にはエルミーナ女神に感謝をするのが普通だった。

 ただし、エルミーナはなにしろ偶然の女神でもあり、きまぐれである。

 吉を与えられたと喜んでいる者に気まぐれで凶の運命を与えることも多い。

 いずれにせよ、運命の二女神は決して侮ってはならぬ、恐ろしい女神たちと信じられている。


(まあ、エルミーナかファルミーナか知らないが、ようやく俺にも幸運が転がり込んできたわけだ)


 この好機を逃す手はない、と弟のカグラーンも興奮していた。

 だが、いまは彼は王宮の空気に、すっかり呑まれてしまっているようだ。

 もともと剛胆を通り越して無神経なところのあるリューンとは違い、カグラーンは慎重、悪く言えば臆病なところがある。

 極端な性格を持つ二人だが、彼らは互いの弱点を補い合うことで、いままでなんとか雷鳴団を率いていたのだ。

 どうしても兄のリューンのほうが目立つことが多いのだが、弟がいなければ今頃は傭兵団の長どころか、ただのごろつきの一人になっているだろう、とリューンはそれなりに弟に感謝している。


「しかし、兄者……やはり、俺たちに用があるってことは、エルナス公は……」


 弟がなにを考えているかは言われなくてもわかっている。

 兄弟同士、以心伝心という奴である。


「ま、エルナス公も傭兵に興味がある、そういうことだろうな」


 傭兵の社会的な地位はいまだ低い。

 だが、三王国が三つどもえになって争う長い戦乱の時代が続き、戦場では傭兵は必要不可欠な存在となっていた。

 戦いの際、傭兵で兵力を補充して戦に望むのはもはや常識となっている。

 事実、先日のフィーオン野の戦いでもリューンたちは林檎酒軍に雇われたのだ。

 とはいうものの、平時に諸侯が、それも諸侯会議の開催中に傭兵団の長に会うというのは、異例といっていい。

 カグラーンなどは、こう判断していた。


(エルナス公は、なかなか頭の切れる奴らしいからな。たぶん、俺たちみたいな傭兵団をこの時期に王宮に呼びつけるには、それなりの意味があるんだろうよ。南部諸侯の乱は収まったとはいえ、これからもアルヴェイアの国政の主導権を握って、宮廷のなかで政争が続くだろうからな。まだよくはわからないが、俺たちを王宮に入れること自体に、政治的な意味があるのかもしれない……たとえば、王家に対する牽制、とかな)


 カグラーンの推測では、エルナス公は傭兵であるリューンを王宮に呼びつけることで、さりげなく王家に威嚇を行っているのだという。


(わざわざ諸侯会議の最中に、俺たちみたいな傭兵を王宮に入れれば、軽い脅しにはなるってことさ。なんたって、傭兵の仕事は戦をすることだ。エルナス公が武力を誇示しようとしても、諸侯会議の開催中に王宮に連れてくることが出来る供回りの者の数は、限られている。だが、いま俺たち傭兵を王宮に招待すれば……エルナス公は、いざというときには傭兵の力を頼って『なにかする』こともあるかもしれないぞ、とまわりの連中……特に、王族に対して自分の意志を示すことができるってことさ)


 ひどく回りくどいやり方のような気もするが、リューンにも弟の言いたいことは理解できた。

 つまりは自分はいつでも新しい手駒を使って「なにか」を……はっきり言ってしまえば、「戦」をすることもできるぞ、とエルナス公は王家に対し自らの力を誇示しているのだ。

 その、いわば道具としてリューンは使われていることになる。

 政争の道具にさせられているとはいえ、別に不快感はない。

 これから自分にどんな運命が転がり込んでくるのかという期待で、リューンの頭のなかは一杯になっている。


(なんだか面白いことになってきやがった)


 ぞくぞくと血がたぎるのがわかる。

 なるほど、フィーオン野での会戦は終わったが、王家と貴族諸侯……特に、エルナス公との間では、依然、戦は続いているということらしい。

 戦場のようなわかりやすい形ではないが、これも戦の一つの形、ということか。

 ましてやリューンは、エルナス公の命の恩人である。

 もし理由もなしに王宮に傭兵を呼びつけたとなればさすがに度が過ぎて他の諸侯のひんしゅくを買うかもしれないが、エルナス公にはリューンに礼をのべる、という大義名分があるのだから、王家の者も文句を言うわけにはいかないだろう。

 それにしても、と思う。


(なんていうか……エルナスの殿様は、やっぱりとんでもない野郎だったな)


 噂にたがわぬ美貌の持ち主ではあったが、リューンが感心したのはそんなことではない。

 あの夜色の瞳に、ほとんど魅入られたといってもよかった。

 またあの目と対面すると思うだけで、ぞくりとさせられる。

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