4  涙の虐殺

「私はセムロス伯に、自らの過ちを知らしめねばならぬ。諸君、セムロスの民を……セムロス伯が、それこそ我が子よりも大事な、慈しむべき宝だと申されるのを、以前、私は青玉宮で伺ったことがある……」


 それは、事実だった。


「だからこそ……だからこそ、諸君らの命が必要なのだ。セムロス伯は道を誤り……暗君シュタルティスを庇護しようとしている! なるほど、それこそがセムロス伯の王家への忠誠の誓い方かもしれぬが……だが、それはどうみても誤りである! その誤りを、セムロス伯は早く気づかねばならぬ! だからこそ……諸君ら、五万の民の命が、必要なのだ……」


 それは、冷静な判断力を持つ者が聞けば、あるいは狂気の神ホスに憑かれた者が言うようなただの妄言、と看破したことだろう。

 だが、いまのセムロスの都の民は、みな一種、まともではない状況にある。すでに彼らはエルナス公が、自分たちの命を握っていることを理解している。

 しかしそのエルナス公は、略奪などは行わず、セムロス伯を改悛させるために命を差し出せ……そう主張してきた。

 実利的に考えれば、この行動には、意味がない。

 もしどうしても殺したければ、わざわざこんな宣言をする必要はない。完全武装した兵士が一万もいれば、五万の民草の命を奪うなど、造作もないことなのである。

 だが、エルナス公はそれをしない、という。

 なんのために。

 もしセムロスの民を殺し、ディーリンの地盤の力を徹底的に削ぎたいのであれば、略奪を伴う虐殺を行い、このセムロスの都を瓦礫に変えたほうが効果的なはずだ。

 それなのに、王位継承権すらもつ貴人が自ら頭を下げて……ただの平民に過ぎぬセムロス市民に、謝罪するが如き真似をしている。

 どう考えても、いままでの常識では考えられない。


「なんで……なんで、殺さないんだ! 普通に略奪でもなんでも……」


 鎧戸の奥からエルナス公の姿を覗いていた男は、混乱していた。

 なにかここまでくると不気味である。もちろん殺されることは恐ろしいが、それ以上に、エルナス公がなにを考えているかわからない。

 そのときだった。

 一人の老人が城の前の、普段なら民が集まるための広場へと、ふらふらと歩み寄っていった。

 それは、男も知っている相手だった。


「ありゃ……ガルスの爺さん」


 ガルスの店は酒場であり、特にうまい大兎のシチューを出すことでセムロスでも有名である。


「エルナス公閣下……わたしのような、下々の者が直接、お声をかけてよいのかはわからぬが……あえて、そうさせてもらう」


 城の下から、ガルス老人は言った。


「どうやら……今回、うちの殿様は……ディーリン卿は、とんでもないことをしでかしてしまったようだ。しかしながら……わしらは、セムロス伯家の領民……ディーリン卿は、わしらをまるで家族のように扱って下さった。うちは酒場をやっているのだが、ときおり、閣下おん自ら、足を運んでくださることもあった……もつとも、いくらお忍びとはいえ、すぐにばれてしまったがのう」


 老人は愉しげに笑った。


「確かに、閣下の仰る通り、ディーリン卿は……おそるべき災いを異国より招いてしまったようだ。であるならば……わしらにもその責はあるのかもしれぬ」


 続いて、何人もの老人が、あちこちから夜の街を歩いては、城の前の広場で合流した。


「エルナス公爵閣下にお願い申し上げる」


 老人の一人が言った。


「わたしらは、ご覧の通りのおいぼれだ……こんな枯れ首が欲しいと仰せられるのなら、喜んで進呈しよう。しかしながら……まだ子供たちには、未来がある。彼らにはなんの罪もない。五万、殺すと仰せになったが……せめて、子供たちは残してはくれんか」


 それを聞いて、露台の上からエルナス公が言った。


「了解した。あくまで、必要な命は、五万。それが、セムロス伯が祓う対価だ。子供たちは、できる限り、生きのびさせよう」


 現在のセムロスの人口は、八万近い大都市である。子供の人口を割り引けば、ちょうど、五万になるだろう。

 続いて今度は、女たちが街路に姿をあらわした。


「子供たちの命さえ……子供たちさえ助けて下さるんなら……閣下、私たちも命をお捧げしましょう。それでもし、ディーリン卿が改心して下さるというのなら……」


「私もです! その替わり、子供たちはお助け下さい!」


 エルナス公は、うなずいていた。

 そして、その両目からは涙が溢れていた。


「なんだ……これ……」


 鎧戸から目を離した男は、完全に混乱していた。


「こんな……馬鹿なことがあるか! いつのまにか……なんだか、殺されたほうがいいみたいになっちまうなんて! こんな馬鹿なことがあるものか! みんな、好きこのんで殺されるつもりなのか!」


 だが、そうは言いつつも、男もなぜか、熱いものが目から噴き出していくのを押さえることが出来なかった。

 王の従兄弟という貴人がセムロスの民に命を捧げてくれと謝罪している。それはディーリンを、いわば正気に引き戻す対価のようなものらしい。

 ああ、と男は思った。

 我ながら信じられないことだが、どうやら自分は……エルナス公の行為に、感動してしまっているらしい。

 馬鹿馬鹿しい。これから殺される運命にあるというのに、なぜこれほどに胸が打たれるのだ。

 それは、すでにエルナス公が、とうに生殺与奪の権を握っているからだ。無血開城した時点で、セムロスの運命はすでに決まっていたのだ。

 なのに、エルナス公は自ら、ただの平民風情に頭を下げてまで、殺されてくれと頼んでいる。

 もはやすでに男の頭のなかからも、平常時の冷静な判断力は失われていた。戦時、あるいは非常事態で、群衆となった人間はとうてい、正気とも思えぬ理屈で動くという好例である。

 こうして、後の世に「涙の虐殺」と呼ばれる、歴史上、例をみない不可思議な殺戮が行われることになったのだった。


 

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