第5話 シャラモン神父の変心


 ペロイの村。

 ムラダーは、三日ぶりにしょぼくれた村集落へ中古の荷馬車で戻った。


 荷台には、小麦の麻袋三袋とイモの麻袋二袋。チーズをハーフ。そして、旅の装備を二人分積んである。


 狼が狩った燭台大鹿ジランドールを売った金は、これで終いだった。


 馬車で例の聖堂所の裏手に回ると、狼は外に出て薪割りをしていた。


 すっかり元気そうで安堵したが、薪割り斧を構えたそのへっぴり腰を見て、武器を買ってこなかった自分の直感にムラダーは満足した。


「元気そうだな。狼」


 御者台から返事を期待せず声を掛ける。すると狼が振り返り、寄ってきた。

 目が人の知性をもって輝いている。


「ああ、ムラダさんっ。はい。神父のおかげで」


 正直、たまげた。

「お前っ。人の言葉を話せたのか!」


「修得してしまったのですよ。あなたがいない、たった三日の間に」

 屋敷の勝手口から神父が小さな子供達に手を引かれて現れた。


「三日で修得だぁ? 神父様よ。どんな魔法を使いなすった」

「それよりも約束通りでしたね。ところで、紅茶はお買い求めですか」


「紅茶? まあ、旅用の安い茶葉なら……。まあいい。おい、狼。積荷を降ろすのを手伝ってくれ」


「承知しました」


 知らず虚空を見上げていた。言葉遣いに品位までありやがる。訛りのない帝国公用語。ムラダーは御者台から荷台にうつり、小麦の麻袋を地上の狼に下ろす。


 袋を受けとりながら、狼が密やかな声で言った。


「昨日から、ここが見張られています」

「っ……知った顔か」


 狼は袋を肩に担いで、その陰に口許を隠す。


「今朝までは、二人。ギーツとロシェでした。今日は、一人。よろず屋の角です」


 ちらっと目だけで、よろず屋の看板下から覗かせている顔を確かめる。


「ちっ。ティボルかよ。面倒くせぇな」


 バルナローカ商会から借りてるチンピラだ。本来は商会との連絡役つなぎだが、弓が使える。それ以上に口が達者で、その優男風な顔立ちから女によくモテた。自称〝百耳のティボル〟だ。


 たしかに情報収集として役立ったが、討伐軍に急襲されたとき、姿がどこにもないことに気づいていた。合流は早かったが、あの如才ない男が軍に売った気がしている。証拠はないが。


「アイツまで向こうに寝返るのは、ちょっと意外だがな」

「信頼していたんですか」


 狼が上目遣いに見あげてくるのを、ムラダーは受け止めて鼻息をついた。


「さあな。商会の手代(従業員)ってだけあって、誰にでもいい顔をする。本心ハラは読ませねえ。少なくとも中立だと思ってた」


 だがあの優男がここにいるということは、ザスタバはアイツを信用しなかったらしい。あの牙を自分で換金しに行ってるか。バルナローカ商会に、次のシャンドル盗賊団のボスは自分だと顔見せでもしにいったか。


「でも。彼がここにいるということは、ザスタバに商会とのつなぎ役を断った。という見方もできますよね。もちろん、いまだ中立という意味で」


 とっさに反論に困る。しゃべりだした途端、頭の回転まで人並みになったらしい。


「そりゃあ、そうかもな……にしても、お前。本当にどうしちまったんだ」


 狼男が人間くさく肩をすくめてみせた。


「ムラダさんから、いろんな話を聞いてみたかったんです。俺はこの世界のことをまるで知らないから」


「へっ。気色悪いこと言うんじゃねぇや。お前はおれの馴染み女かよ」

 ニカリと笑って、ムラダーは荷台の上から狼の頭をわしゃわしゃとかきまぜた。


(弟も生きていれば、コイツみたいに小賢しかったのだろうか……)


 洞窟でうずくまる狼男。

 その異形の出で立ちを一目見て、ムラダーはなぜか安堵した。

 弟が、ジョルトが自分を迎えにきたのだと思った。

〝狂戦士〟に改造された弟を殺すことでしか救えなかった、不甲斐ない兄を。


 §  §  §


「端的に言って、彼に語学の素養があったというだけです」

 安い紅茶をひと啜りして、神父は言った。


 かつて書斎だった部屋。床に敷かれた絨毯からややえた臭いを放っていた。もっとも誰も気にする様子はないが。


「素養があった? でも始め、アイツは片言も話せていませんでしたよ」

「盗賊どの。あなたは帝国の生まれですか」


「は?」


「帝国の文法は、合理的に洗練された言語体系をとっています。あなたも日常会話に帝国の文法を使っておられる。もちろん、ところどころ伝法なネヴェーラ王国訛りは生まれつきでしょうが」


 こいつ。さりげなくおれの素性に感づいてるな。


「いや、そりゃあ確かに……だが、それと関係は」


「彼はその帝国の文法を、単語を覚えるよりも前から知っていました。知っていた。であって、日常的に使っている言語ではないようですが」


「んっ? そりゃあ、つまり。どういうことですかい?」


「ふむ。そうですね……。喩えるなら、彼は我々の知らない土地の本を持ちつつも、帝国の文法表現を本棚として持っていた。自分の手にした本を本棚のどこに収めれば良いか、ということです。

 アウルス帝国の文法ですと、西方世界でアフトワズ帝国。北のクリムゾン騎士団も同じ文法を採用していますね」


 ムラダーはとっさに頷いてしまい、また素性を引き出された気がしてムッとした。


「じゃあ、アイツはそっちからの流れ者ってことですか」

「わかりません。今朝、本人に訊いてみたら、記憶がないと言っています」


「そいつぁ、本心ですかい?」


「いいえ。本心ではないでしょう。ただ、思い出したくないし、話したくないのかもしれません。背中には死んでいてもおかしくない、ひどい火傷がありましたし」


「火傷……っ?」初耳だ。


「まあ、そんなわけですから名詞の品格変化、派生、スラングといった経験の定着は当然、遅れています。ですが、日常会話はほぼ完璧に修得できています。あなたとお話がしたかったそうですよ」


「や、やめてくれよ。神父様まで」


 思わず頭を熱くして、手を振った。二人で、笑う。

 ひとしきり笑うと、神父の顔がふいに強ばった。


「では次に、あなたの話をしましょうか。ムラダー・ボレスラフ特務大尉どの」


 沈黙。屋外から薪割りの音や、子供達が騒いでいるのが聞こえた。


 ムラダーはとっさにイスから腰を浮かせると、剣の柄に手を置いた。

 それから相手の瞑目めいもく顔をしげしげと見つめた。


「まさか、お前っ。〝水蜘蛛のシャラモン〟。レイ・シャラモンか!? 生きてたのか!?」


「ふふっ。本気で忘れていたら、その頭に雷を落として無理やり思い出させて差し上げていましたよ。隊長さん」


 ムラダーは立ち上がって、神父の肩を掴んだ。


「はっはっはっ。おいウソだろ。お前が神父に化けるたぁ、ジナイダ団長でも気がつくめぇ。いや、それにしてもあの政争の中をよく……もしかして、その眼」


 シャラモン神父はなんでもないように微笑んで、うなずいた。


「はい。アウルス3世に、助命と引き替えに百年かけて培った〝魔眼〟を奪われました」

「なんてこった。それじゃあ、お前が帝国で、さんざ自慢していた魔法は?」


「ええ。高位はもう無理でしょうねえ。業者から魔眼を買うにも、帝国外ではツテもお金もありませんし」


「そうだったのか……。しかしなんでまた、こんな廃屋敷で神父のまねごとを?」


「いえ。実際、追放された後にネヴェーラ王国サンクロウ正教会神学校で五年かけて、司祭の職位を受けました。いわゆる〝転職〟したのですよ。

 そこそこの学績でも一応れっきとした神父です。治癒魔法にいちいち詠唱効力のない聖人の名を織り込むのが不効率で、使う気にもなれませんが。

 あとは、そうですね。長文が書けなくなってしまったので、念願の帝国史の出版は諦めました。その代わり、子育ても奥深く、それなりに穏やかにやっています」


「そ、そうか。だが、こんな寂れた村でお布施があったとしても、全部あのガキンチョどもの腹ン中だろうが」


 長い横髪を耳の後ろにき掛けながら、シャラモン神父は吐息した。


「それを言われると、耳が痛いですね。実は、恥をしのんで、あなたに無心するつもりでいたのですよ。隊長さん」


「よせやい。おれはもう帝国騎士じゃねえよ。ただの悪党だ。仲間の裏切りにもあって、行きずりに拾った狼に情が移ってノコノコ舞い戻った、間抜けなお尋ね者だよ」


「裏切りに。外から感じる強い視線は、そういうことですか」


「ん。まあ、なんだ。……すまねぇ。ここを嗅ぎつけられたことは詫びておく。だがもう一日だけ待ってくれ。なんとかする」


 するとシャラモン神父は、にっこりと微笑んだ。 


「隊長さん。さっきも言いましたが。私は旧友と呼ぶにはまだ抵抗がある腐れ縁のあなたに、無心をお願いしたいのです」


「あん?」


「この際、盗賊退治をしませんか。迷惑料こみで七対三などと欲張ったことは言いません。三日前に大きな食い扶持が一人増えてしまったので、多少おおめに戴きたいのです」


「ああ、わかったわかった。なら、三〇ロットだ」


「はい?」


「こちらは、おれとあの狼と二人で三〇ロット。それより上澄みが出たら、そっちにお布施だ。それでいいだろ」


 気軽に取り決められて、シャラモン神父はがっくりと肩を落とした。


「まったく。金のことになるとまともに交渉もさせてくれないのですね。相変わらず、あなたは欲がない。だから周りから簡単に裏切られるのですよ」


「おいおい。折角のおれの功徳くどくに説教か? お人好しは独身のまま子持ちになったお前もおんなしだろう。

 金は天下の回りもの。あとは風の吹くまま気の向くままってな。皇太子暗殺未遂に端を発した政変からもう十年だ。今さら奉職時代どうこうは、野暮だぜ」


 屈託なく微笑む大男に、シャラモン神父は見えずとも声の抑揚で察したのか、笑顔を返した。それから今一度、表情を引き締めて、


「それなら、そちらの〝とらぬ狐の皮算用〟は今、どうなっていますか?」


 ムラダーは、たくましく盛りあがる胸の前に傷だらけの腕を組んで軽く唸った。


「まず、赤牙猪ワイルド・ボーの牙と毛皮をプーラの町で換金できたとして、あいつらの信用なら一本で六〇〇から四五〇ロットまで買い叩かれるはずだ。

 その金を元手に酒場で人手を集めて、次に襲う村を探したいところだろう。その前に逃げたおれと狼を追って後顧の憂いを断つつもりなら、その半分は消えると思っていい」


「野党の規模は、どれくらいまで膨らみそうですか」


「そうだな。盗賊団が潰滅した後だし、ザスタバの器量なら二〇で手に余る。あと、おれが集めた馬が七頭残ってる。だから、町から換金した半分を使ったとして、よくて七、八人ってところだろう」


「ちょっと待ってください。たった十人足らずの人員のために、二〇〇ロット以上の経費とは、傭兵を集める気なのですか?」


「違ぇよ。ザスタバという男には浪費癖がある。金のニオイを嗅ぎつける鼻は犬以上だが、一度掴んだ金は目先ばかりで、広く金勘定ができねえのさ。だから町でテメェの飲み食いとバクチにそれだけ散財するだろう、っていう公算だ」


 シャラモン神父は、つまらない冗談を聞かされたみたいに細く嘆息した。


「都にもそういうたがの外れた手合いは、上にも下にもいましたが、呆れましたね」


「だから人間ってのは、りもせずいくさをするんだ。お前が書いてた歴史にもそう書いただろ?」

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