第12話 翅を伸ばすには狭すぎる(1)


「まことに、申し訳ないっ!」


 メドゥサ会頭が日本人のように腰を折って、頭を下げた。

 その背後で、顔をぼっこぼこに腫らしたタコ坊主が三匹、縄でぐるぐる巻きにされて座らされている。


 ここは、〝爆走鳥亭〟──町市場はとっくに終わって、日も暮れていた。


「おまひぇら、うひゅこふを怒らひぇて、ひゃひゃですむと思うなひょ」


 ボコボコに殴られたので、腫れあがったパラミダのタラコ唇はせっかくの捨て台詞も言葉にならない。


「バーカ。何言ってんのか、わかんねえよ」

 スコールが捕虜のこめかみにぐりぐりとT字棒の先を押し込む。


「メドゥサ。スミリヴァルは」カラヤンが訊ねる。

「族長には、すでに連絡済みだ。もうすぐ側近──コイツらの親を連れてここにおいでになる」


「けひ、けひひひ。お前へらひんだべ。ひなぼろひだべ」


 縛られても勝ち誇り続ける弟を見下すメドゥサ会頭は、怒りを通り越して悲しみに全身を震わせていた。


「もし、万が一、族長が貴様らのためにそうすると言うのなら。パラミダ。私は、貴様を殺す」


「……ッ!?」


「そして、貴様の肩を持った族長も族頭たちも皆殺す。そのような古くさい、虚勢と暴力だけの海賊など、もうたくさんだ!」


 事件発生は、昼過ぎ。

 俺が波止場でマスクしながら新しい水酸化カリウムの鍋を煮詰めている時だろう。


 俺が怪しんでいた通り、パラミダ他十二名のヤカラ達が町市場に押しかけた。海賊刀を持って。刃物持参はたぶん脅かす意味で、実際に誰かにむけて振り下ろすつもりはなかったはずだ。たぶん。


 もちろん、彼らの中学生ヤンキーに鉄パイプみたいな稚拙ちせつ示威しいを理解できる一般人もまた皆無だったろうが。


 彼らは黒歴史覚悟の中学生ではなく、れっきとした大人の扱いを受けた若者なのだ。

 これにスコールとハティヤが〝敵〟として、過敏に反応した。


 ここ一ヶ月余り。石けんの製造販売準備で大忙しの俺やマチルダとは別に、大して仕事もなかったカラヤンは、二人との約束だった五ロット分の指導を授けた。


 科目は、実戦戦闘技術。


 カラヤンはなんだかんだ言いながら、スコールとハティヤを気に入っている。授業料にかかわらず、かなり濃い指導をしたらしい。

 二人の顔つきが日に日に引き締まっていくのを見て、シャラモン神父も「一ヶ月で何をやったら、こうなった」と心配するほどだ。

 それだけ二人の「守る」「学ぶ」意識は高かったのだろう。


 襲撃に先立ち、ハティヤに「当たると痛いけど、死なない矢ってできない?」と提案されて、ちょうど炭酸カルシウムがあるから、ためしに作ってみた。


 漆喰しっくいの矢だ。漆喰は本来、砂や塩などと混ぜて壁の建材につかわれる。いわゆる貝から作った天然のコンクリートだ。


 のり状に練ったそれを鏃玉やじりだまにして乾燥させる。本来の鏃より矢の重心バランスが崩れないよう小指の爪ほどの大きさに接着する。


 その矢の効果がどうだったのか、俺は聞いていない。

 十三人の暴徒は町市場に一歩も入ることができず、死者を一人も出すことなく鎮圧された。ということだけ聞いた。それで充分だと思った。


 もちろん、活躍はハティヤだけではない。スコールも大活躍だったそうだ。


 町市場の屋根からハティヤが漆喰矢を射れば、側面から飛び出したスコールが彼らの死角を突いた。

 二丁のトンファーを手にした十四歳の少年に、刃物を持った集団が泡を食った。振り下ろされた海賊刀は空を切るばかり。周囲の客もあ然と眺めていたと、師範のカラヤンから満足そうな報告を受けた。


 そして、充分に浮き足だった徒党の中に、主力であるカラヤンが突っこんだ。あとは一方的な蹂躙じゅうりんが始まるのは想像にかたくない。


 十三人の暴徒は逃げ散ることさえ許されず、全員捕縛。一〇人が衛兵に運ばれて、主犯格のパラミダと側近二人はカラヤンが引き取った。


 事態が終息してから現れた衛兵は主犯格三人の身柄を欲しがったらしいが、「見物人は黙ってろ」とカラヤンが一喝して取り合わなかった。


 それで今、〝爆走鳥亭〟に三人が留置されているというわけだった。

 やがて、居酒屋の玄関の扉が二人の男によって開かれた。


 その中央を貴族の背広クロックコートを着た褐色肌の壮年男性が入ってきた。


 海賊の長というから、カラヤンに勝るとも劣らない強面大男がやってくるのかと思ったら、髪の毛ふさふさの紳士然としたナイスガイだった。


  §  §  §


 カラヤンが迎えに行き、二人はお互いの手首をがっちり掴む。

 スミリヴァル・ヤドカリニヤは、ニヤリといぶし銀の笑みを浮かべた。


「すまない。カラヤン。待たせたな」

「ふっ。首がつながって何よりだな。スミリヴァル」


「町市場での騒動鎮圧への尽力は、返す言葉もない。感謝する。さっき地方長官から小言をもらった。カラヤン・ゼレズニーという流れ者が余計なことをするから、ウスコクの歴史を絞首台に上げられなかった、とな」


「なんだ。今の地方長官は本国寄りか」 


「知らなかったのか? 三年前。お前がこの町に来た次の月にヴェネーシア執政庁から送り込まれてきた。ウスコクを町の歴史の一ページに封じ込めるためにな。──ロジェリオ。ビールを人数分、頼む」


 スミリヴァル族長たち父兄三人は、床で縛られた自分の息子たちを完全に無視して、カラヤンとともにテーブルに着く。俺たちも別のテーブルで傍聴する。


「ウスコクに対する締め付けが相当厳しいみたいだな」

 スミリヴァル族長は、疲労のたまった息をついてゆるゆると顔を振った。


「正直、ここ三年はジリ貧だ。ガキどもが一歩でも町市場に入っていれば、ウスコクの歴史は強制幕引きだった。守衛庁はこの事態を事前に察知していたらしい。衛兵を隠して監視させ、手ぐすね引いて待ち構えていたそうだ。今の地方長官はやり手だぞ」


「地方長官の名前は」

「ウゴル・フォン・タマチッチ。四十がらみの大男で、元ヴェネーシア法曹界の巨鯨クラーケンなんだと」


「そのタマチッチが、余計なことをしたおれのことを何か言ってたか?」


「とくには。だが後日、何か言ってくることは確かだろう。あの場を海賊同士の抗争として放置すれば、自分が町住民から不信を買いかねないからな」


 ビールのジョッキが四つテーブルに供されると、カラヤンたちはジョッキをぶつけあって乾杯をした。


「だったら、あの騒ぎのことを訊かれたら、ヤドカリニヤ商会に雇われた護衛だと言っておくが。いいか?」


 とたん、スミリヴァル族長は目を剥いて、ビールをむせ返らせた。


「ゴホッゴホッ! なんだとぉ?」


「事実だ。おれ達はメドゥサから商売の相談を受けて、協力していた」


「呆れたヤツだ。娘を真っ当な道に連れ込んだまま責任も取らずに消えるから、親なりに頭にもきてたのに。またふらっと戻ってきて……あーっ、腹が立つ! ヤドカリニヤ商会は、今日から塩に変わって石けんを売るんだったな」


「ああ。だから、あの大立ち回りが客寄せの三文芝居や、自作自演を疑われないよう動いたほうがいいかもな。娘よりお前の足下を掬われたら、元も子もない」


 カラヤンは、別テーブルに控えていたメドゥサ会頭を呼んだ。


「メドゥサ。この場で、今日の初売りの売上げを発表してくれないか」


「承知した。……無香料の石けん単価一二〇が六〇瓶、完売。ラベンダーの香りをつけた石けん単価二〇〇が六〇瓶、完売。合計の売上額は一万九二〇〇ペニーだ」


「おい、待て。石けんに、二〇〇だと!?」


 たまらず族長の側近──族頭が令嬢に振り返った。


「たかが石けんだぞ? 一瓶一〇〇ペニー超えの石けんなんて聞いたことがない。なぜそんな無茶な値段設定を?」

「だが、正当にすべて売れたのだ」

 メドゥサ会頭はこれまでにない会心の、不敵な笑みで答えた。


「これが生まれ変わったウスコクが行く、商売の道だ」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る