第17話 婀娜(あだ)めく龍となるために(17)


「これがダンジョンで食う、メシ?」

 両手に持った真空パックを見つめて、スコールは怪訝を口にした。


「そうじゃ、〝スープカリー〟じゃ。熱処理はしてあるから、バケットはそこに刺さってあるのを一人一本持っていけ」


 振り返った先にあったのは、バスケットに積まれた色の悪いバケット。

 表面に艶がなく、小麦色というより土壁の色だった。


「ちなみに小僧。カリーを食ったことはあるかや?」


 年上だとしても、そんなに離れてねえだろ。全身ひとつなぎの赤い衣をまとった女に小僧扱いされて、ちょっとムッとしつつも、スコールはうなずく。


「カレーなら、狼がたまに作ってくれる。皿一杯の野菜と鶏肉で……ウルダも食べたよな」

「うん。ちょっと辛かけど、ばり美味うまかっちゃん」


 ウルダも力強くうなずいた。赤ずくめの女はちょっとつまらなさそうに視線を外にやると、気を取り直して笑顔を作る。


「味見してみるのじゃ。上の白いのを指でねじって取り、口で吸い出すのじゃ」


「ん……あ、カレーだ」スコールは目を見開いた。

「は?」ウルダが目をぱちくりさせた。


 赤づくめの女は得意げに腕を組んで、口の端を上げた。


「ここでは食事に関しては疑似調味と言ってな。本来の有機的な食材を補うために、科学的にその食品の味を作り出しておる。合成タンパク質にブドウ糖、グルタミン酸、イノシン酸ほか、そして塩化ナトリウム。つまり塩じゃな」


 なるほど。よくわからん。


「でもカレーならさ。ここんとこの赤いの。ニンジンなんだろ?」

 スコールが食品パック中の小さな赤い欠片を指さす。


「うむ。ニンジンを始めとする根菜は、再生力や宇宙空間で生育しても遺伝子に影響がない。そのため、有機酵素プラントで栽培しておるのじゃ」


 コイツ、何言ってんだ。訊けばきくほど意味がわからなすぎて、スコールは二の句が継げない。


「スコール。これっ」

 ウルダが、なんだか楽しそうにバケットを手渡してきた。


「うわ、めちゃくちゃ軽りぃ。しかも固てぇ! こんなのがパンかよ」


 スコールはバケットを両手にもって膝で折ってみた。枯れ枝のような音がした。中身は一応パンらしき見た目。そこから漂うにおいに、二人は眉をしかめた。


「小麦でもライ麦でも、こんな変なニオイ嗅いだことねーよ」

「焼いた粉が腐っとーと?」


「失礼じゃのぅ。小麦は遺伝子を組み換えておるが、有機態窒素で培養してある。まっ当な全粒粉じゃぞ。膨らませるのに食用重曹を使っておるがの」


 怪訝そうな二人の口から「まるでダンボール」という単語はさすがにでなかった。

 赤づくめの女は肩をすくめた。


「まあ、とにかく食べておけ。直ちに人体、健康に害はない。ここから帰るのにも体力が必要じゃからのぅ」


 釈然としないながらも、二人は〝カリー(笑い)〟と〝バケット(怪しみ)〟をプラスチックトレイに載せて食堂の長テーブルに向かった。


「狼の。そいつは無理ってもんだ!」


 デカい胴間声が食堂の奥から鳴り響いた。食堂の角隅でちっちゃいオッサンと狼が向き合って座り、書物を積み上げて議論していた。


「いいか。狼の。ここは採掘艦だ。あらゆる希少鉱物をひり出せる蓬莱山フジヤマじゃあねえ。たったそれだけの物を造るのに大事な資材や燃料を浪費するわけにはいかねぇよ」


「液漏れと冷却を早期に解決するためです。第一、それほどの資材消費でもないでしょう。この電池ケースは必ず有意義な投資になるはずです。ここの製作設備と、皆さんの技術力があれば、そう難しい手法ではないはずですよ」


「マジか。狼……もう働いてんのかよ」


 食堂の奥で喧々けんけん諤々がくがくやり合ってる狼を見て、スコールはあ然と立ち尽くした。

 横でウルダも信じられない様子で顔を振っていた。


 たぶん昨日の深夜。荒れ狂う吹雪の中を山の中腹まで登った。ダンジョン内で漂流する〝島〟を渡り歩いて、あの奇怪な空間を解放した。

 最後は火花を散らして落下してくる罠をかいくぐりながら塔をよじ登り、そして狼だけベッドにたどり着けずに倒れた。


 スコールもウルダもなんとかベッドに倒れこむことはできたが、目覚めたのは九時間を越えていたはず。

 それなのに狼は先に復活して、もう何かを嗅ぎつけて初対面のドワーフと何か〝悪企み〟を始めている。


「狼って、なんなん?」

 テーブルに座り、ウルダが〝スープカリー〟を少し吸ってから、まじまじと訊いてくる。


「もうわかんね。案外、ずっと働いてないと死ぬのかもな」

「それって、病気やん……。うちら、今からどうげんすっと?」


「さあ。ティボルもいねーしなあ」


 改めて訊かれると、スコールも決めかねる。

 今回は、あの四肢のない子供をここまで連れてくるティボルと狼の護衛を兼ねた荷物持ちだった。


 それは達成されたので、兵隊ならここで指示待ちである。

 だが冒険者だと目標達成後は、どうすればいいのか。


「なあ。ここ魔物とかいないのか?」


 赤づくめの女は見つめてくる目を冷ややかに細めた。


「小僧は、暇潰しで命を狩り取るのかや?」

「いや。それは……ダンジョンに巣くう魔物は狩るのが常識だろ?」


 至極当たり前のことを言ったつもりだったが、〝のじゃ女〟には興ざめだったらしい。

 

「なら、もうおらんよ。最下層のクエーサーの重力性逆流……いや浄化したと言えば理解できるか。なので、お前たちは身体をゆっくり休めると良いのじゃ」


「いや、けどさ。ティボルとおひい様のこと、一応生きてるか見ておきたいんだけど」

「ふむ。あの二人なら、この下の第17階層にあるリザレクトルームなのじゃ。あと二時間ほど……いや、待て」


「なんだよ?」


 聞き返すと、ライカン・フェニアはふと思案げに首を傾げた。


「ティボルだけは、そろそろあの部屋から連れ出したほうがよいかの。お前たち頼めるかや?」

「いいけど。なんで?」


 ライカン・フェニアは傾けた首を反対側に返した。


「艦内時間でかれこれ十六時間ほど、あそこにおる。これ以上放っておくと、そろそろこごえ死ぬかもしれんでのぅ」


 スコールとウルダは同時に席を立ち上がった。


  §  §  §


 リザレクトルームの培養槽は、大型ドラム型洗濯機によく似た機器が並ぶ部屋だった。

 閉じられた気密斜閉しゃへいハッチは魚眼の円窓がついており、中も覗けた。


 もっとも、二人にはティボルの回収しか頭になかったが。


「うわっ、寒っ! マジかよ。バッカじゃねえのか。おい、ティボル!」


 普段叱られることの多いスコールも、この時ばかりは倍の年齢もあるおとなを叱り飛ばした。


 部屋に入った時、通路に敷かれた毛布と寝袋にしもがどっさり降りていた。

 ひと目で床に転がる凍てついた蓑虫みのむしを見つけるや、手袋をしてかつぎ出す。


 だから、酸素吸入マスクをつけた少女が、その一部始終を円窓ごしに見つめていることまで気づかなかったのだ。


  §  §  §


 俺がドワーフ三兄妹に頼んだのは、ステンレス鋼の精錬だ。


 ステンレス鋼は、鉄と一〇・五パーセントのクロム合金である。これを〝角筒絞り加工〟というプレス機での加工法で打ち出す。


 板同士の貼り合わせをしないので接合部をつくらない。例えば、台所の流し台シンクを想像してもらえれば解りやすいか。

 角筒絞り加工を応用したステンレスケースでリチウムバッテリーの外面を覆い、液漏れによる発火やガス事故を防ぐわけだ。


 ところが、この案にリーダーであるマクガイアに難色を示された。


 遷移金属たるクロムは腐食に強いため、艦の外壁や設備の素材として使う。そのため〝ナーガルジュナⅩⅢ〟では電池に回す在庫量が心許ないと言う。


 塩化チオニルリチウムは一次電池。すなわち、再充電が利かない電池だ。現場判断として、使い捨て電池より外壁に回す方が、コスト的にも有用だと。


「近隣からクロム鉱を採掘できる場所はありますか?」

「アスワン帝国の北西部ガルバリン半島だ」


 即答された。このドワーフ。知ってて動いていない。


「もしかして、ライカン・フェニアがアスワン帝国で雇われていた目的も?」

「まあ、おめぇの考えにも行き着いてたのかもな」


 他人事みたいにしれっと言われて、ちょっとムカついた。お前らの問題だろうが。


「それじゃあ、なんで、あなた方は──」


 言い終わるのを待たず、手で制された。胼胝たこだらけのごつごつした職人の手だった。


「狼の。そこまでだ。オレ達はこの世界でも亜人種なもんでな。不必要にこの国の外に出て、差別だの、揉め事だのに巻き込まれるのはもうたくさんなのさ。

 あとな、これまでフェニアからの相談はなかった。本当になかった。今回初めて、おめぇから相談された。だからやらねぇとは言わん。時間をくれ」


「では、せめて試作品だけでも造ってはいただけませんか」


 マクガイアは浅いうなずきとともに席を立ち上がった。


「何百年ぶりかに,有意義な話ができて楽しかった。まあ、オレもここの保守業務が終わったら、また町に戻る。どこぞの町で会った時にゃあ酒でも飲もうぜ」


 マクガイアは弟と妹に書物を持たせて席を立たせると、お開きになった。

 ドワーフ三兄妹が食堂から見えなくなるまで見送った。


「……くそっ」

 俺は天井を見上げて負け犬らしく、そっと吠えた。


 ステンレスの廃材を集めて再利用すればできるはずだ。でも、それすら他に回す当てがあると言われたらお終いか。

 採掘艦なら鉱物資源の備蓄は豊富だろうと思っていた。


 だが俺の甘い読みは完全に外された。


 資源エネルギーは母星へ送り、溜め込んだ資材はこのダンジョンと呼ばれて久しい艦内維持に使われてきたそうだ。


 その間、この国と周辺地域の鉱物分布は把握しきっている。そう言いきったのだ。

 なのに肝心なところは資材不足で躱す、その姿勢……友好的拒絶のつもりかよ。


「疲れているようだな」

 今までどこに言っていたのか。ヘレル殿下がトレイに載せて補給パックを持ってきてくれた。いわゆる宇宙食というヤツだ。


「いえ。疲れたというか、向こうがのらりくらりして手応えがなかったというか。なんだかなあって感じで」


 ヘレル殿下はとなりに座って、器用に調理パックから中身を吸い出す。


「ん……カレーとはこんな味がするのか」


「え。カレー? スープカレーかな。……あー、なるほど。へぇ、よく再現できてる」


 ヘレル閣下のお口には合わなかったようだ。しきりにパックの中身を睨んでいる。


「再現? まがい物ということか」


「何年も保存が利くように調整、ですかね。中の空気を抜くことで腐敗を遅らせつつ、味覚調整用のアミノ酸群で味を調えてるんです。俺が子供の時、博覧会で食べた宇宙ビーフシチューはもっとひどかったです」


 と言ってもイメージしづらいか。

 小学五年生の頃。頑張って施設で貯めた千円で、なんとか買うことができたのが、宇宙食だった。

 その場で食べて即座に吐いたのは、一生の思い出だ。


 宇宙食なのに加熱処理しなければならなかったのを知らなかった。帰りは敗北感に打ちひしがれたものだ。


「あの者たちは、もはや戦いたくないのだろう」


 ヘレル殿下がぽつりと言った。


「お前が見ていた記録とやらを残した者は、ここが終着の地であると同時に、安住の地であることを願っていた。そうであろう?」


 俺は半分納得、半分悲嘆をこめてうなずいた。


【 我々は大きな判断ミスをした。だが、ささやかな幸福のためには、これでよかったのかもしれない。神よ、許したまえ』


 現在のこの場所に不時着したとき、記録者はそう締めくくった。


 見つからない目標。引きも切らさず続く戦闘。そして、死んでも代わりの利く複製人間としての存在意義。肉体が滅んでも戦い続けることを義務づけられた呪いの人生。


「きっと、みんな。心から疲れ切っていたのだと思います」


 ヘレル殿下は、食事を諦めたらしい。パックに触ることすらしなくなった。


 精霊は生命力であるマナを取り込んで生きる。科学食品にマナ含有量は少なかったのだろう。

 魔法力は絶大なのに、人間の生活に好奇心旺盛な上位精霊だ。


「あれを記した者だけの独白ではあるまい。この中で暮らした者達すべての心情ではないのか」


「はい。俺もそう思います。もう進むことにんでいるようでした」

「ならば、さっきの彼らの対応にもそれがあらわれていたではないか」


 悔しいが、認めざるを得ない。

 通りすがりの余所者が説いて奮起するほど、彼らの心神の摩耗は浅くない。

 もし、電池の問題が解消したことで、あの〝龍〟が飛べば再び戦闘の日々になる。


「狼頭よ。問題が解消されたからといって、未来が好転するとは限らぬ場合もある。少なくとも彼らの苦しみがまた始まるのだ。がために戦う旅という苦しみがな」


「ライカン・フェニアは……彼女の大義は、この船で孤立していたのでしょうか」


「さてな。しかし、心からの支持者は多くはなかろう。少なくともこの国の王は、フェニアの研究を表向き支援しながら、その成功を願ってなどいなかった。アスワン帝国と密約を交わしつつも、手に入らぬと解ればあっさりと手を引いたのが、その証だ」


「俺は、そんな彼女に焚きつけられて、踊らされたんでしょうね」


「ふっ。その思考は不毛だ。会って数時間で利用しようと思い立っても、はじめは貴様の背中を目的地までの馬車程度にしか思っておらんかったろう」


 ヘレル殿下は酷評する。だが、今の俺にはそれが心地いい。同意見だからだ。


「フェニアがこの国の王の不作為に見切りをつけ、もはや誰の手も借りず初志を貫き通すため、懐かしくも屈辱にまみれたこの場所に戻ろうとした。

 だがその目前で、雪と寒さで一歩も動けなくなった。狼頭。フェニアの信念もその時、敗北したのだ。〝徨魔〟打倒は一人では成し遂げられない。とな。雪の中で死を覚悟したとき、初めて彼女はそれを自覚しただろう」


「とはいえ、敗北はしたが、信念を折ることはなかった。ですか」

 ヘレル殿下はうなずいた。


「十六の頃。父と妹を、目の前でヤツらに食われたのじゃ」

 赤ツナギを着た黒眉の少女がポケットに手を突っこんでやってくる。

「その怒りと憎しみが、あの水槽の中で生きている限り、消えてくれんのじゃ」

「博士……っ」


「まったく。たった二時間で、この〝ナーガルジュナⅩⅢ〟の病み具合まで把握されるとはな。ついてくるのじゃ。見せたいものがある」


「なんですか?」


 その瞬間だけ、ライカン・フェニアの表情から人間性が消えた。

「……〝不滅の墓場〟じゃよ」

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