第18話 婀娜(あだ)めく龍となるために(18)
桜の頃。
年度末にもかかわらず、ぽっかりと二日間の空きができる。
この二日間。四八時間を〝ターニングポイント〟と俺は勝手に呼んでいる。
神の悪戯か。悪魔の気まぐれか。
そのタイミングを見計らったように、ツカサから電話があった。
『なあ、タクロウ。明日、デートしぃひん?』
ツカサの
「いいよ。今なら、京の桜巡りとか、かな」
『こっち来る? それやったら伏見辺りでもぶらぶらしまひょか。お豆腐アイス奢るわ』
豆腐をアイスに。豆腐を愛すツカサらしいスイーツだ。
「わかった。待ち合わせは、駅でいいか?」
『うん。いつものバス停で。すぐ京阪電鉄、乗りますからなあ』
「了解。バスの時間は?」
『朝十一時ごろ見といて。
京都伏見の五百羅漢といえば、江戸期の画家・伊藤若冲の墓所でもある禅寺だ。でも確かあそこ、なぜかカップルが多いイメージがある……。
「うん。了解。じゃあ、明日な」
『なぁ……タクロウ』
「ん?」
『花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の
(花見に大勢の人が来ることだけが、惜しむべき桜の欠点なのだ)
俺はとっさに息を飲んで、恐るおそる返した。
「浮世と見るも 山と見るも ただ人の 心にあり 無心の草木。花に科はあらじ」
(浮世と見るか、山と見るかは。人の心次第。無心の草木はもちろん、桜にも罪はありませんよ)
途端、スマホの向こうで、ツカサが楽しそうに笑った。
(せ、セーフ……)
普段はふざけてるのに、ふいに高等な謎かけをしてくるから心臓に悪い。
『西行桜』という能楽の一節だ。
とある日、西行んちの桜の噂を聞きつけて毎年集まってくる見物客を見て、西行が桜の人気をぼやいた。
すると夜に老桜の精が「桜の罪とはなんぞ」と夢に現れ、「桜はただ咲くだけであるから、そこに集まるのも、煩わしく思うのも人の心」と諭す話だ。
「花見にと~」の歌は、歌集『山家集』にも収録されている。
西行とはもちろん、平安末期の歌人・西行法師だ。
この人、僧名を円位といい、西行は歌号になる。
大の桜好きとしても知られ、とある山桜に一目惚れすると世俗を全部捨てて隠棲した。なんて逸話ができるほど桜愛に溢れたお坊さんだ。
この人のせいで「日本の花」が梅から桜になったのではないか、という説もある。
「願はくは花(桜)の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」
そんな予言めいた歌を残して、結局その通りに
『なんかなぁ。桜を見てるとなぁ、ぼくも西行の気分になってきてなあ』
(桜、西行、入寂……まさかっ。死!?)
俺はまた心配になってきた。
「つ、ツカサっ。本当に大丈夫か? ファンに絡まれたのか。身バレか!?」
『ふふっ。何言うてはるの? ほなな~。……ありがとぉ』
それで電話は一方的に切れてしまった。
どこにも寄りつかない浮草のようなツカサの声が、俺の耳に危うさを残した。
たまに作家さんで、その天境地まで登り詰めて、降りてこなくなる人がいる。
(燃えつき症候群かも。先週、新作を上梓したばかりだし……)
あの時の打ち上げは東京でして、顔も口調もしっかりしていた。相変わらず東京駅を目指して歩き出す方向は、間違っていたが。
今や、ツカサは一流作家の仲間入りだ。
嫌々ながら受けた一冊の文芸雑誌インタビューで女性ファンが急増。時の人となった。
テレビ局から連絡先を教えてくれと頼まれたが、編集長を女子高生との援交をネタに円満交渉して、俺の責任で断り続けている。
会社には悪いが、ツカサは見物客が増えても咲き誇れる桜ではないから。
「とりあえず、予定の二時間前に京都に現着して、家に顔出しとくか……っ」
家の中も確かめて、危険物がないかも確認しよう。まず向精神薬や睡眠薬の有無をチェックだな。ヨシ。
そんな俺の空回りは、京都に行って本人から「君、アホかいな」と痛笑されるまで続いた。
§ § §
ライカン・フェニアは、【第13階層】を〝不滅の墓場〟と言った。
俺はそうには見えなかった。
ここは──、〝戦場の残骸〟だ。
【第13階層】は、【第8階層】まで円筒形にくり抜かれた吹き抜けになっていた。
青白い照明。白いクローアームを備えた
おそらくここは〝ナーガルジュナⅩⅢ〟の中枢部。
今いる底面からでは上層の活動はよくわからない。
四ケタの番号が刻まれた棚を動き回り、そこに鍵を挿したり、抜き取ったりしているようだ。
抜き取った鍵は、中央にあるキノコのオバケみたいなセントラルターミナルモジュールまで運び、そこの傘スロットに挿入する。
まるで受粉作業。ロボットに管理された有性生殖を見せられているようだ。
問題なのは、俺たちがいる床だ。
ライカン・フェニアは、突然、走り出した。
背中や腹や顔面を容赦なく踏みつけて、すり鉢状の勾配をおりて行ってしまう。
「狼頭。これはなんだ?」
「行き詰まった狂気のなれの果てですよ。殿下はここにいてくださいっ。いつでも脱出できる援護をお願いしますっ」
「わかった」
虚を突かれている上位精霊をおいて、俺は床に敷き詰められた、今にも動き出しそうなそれの上を走って赤いツナギを追いかけた。
そして、
[警告。Dr.Lykan Fenyr。
貴方には艦内セキュリティプロトコルならびに
管理者権限情報のアクセス権の停止。
および、主要情報端末への接近禁止命令が出ています。
すみやかに当エリアから離脱してください。
離脱しない場合は、セキュリティ条項第九条に基づき、排除措置も出ています。
繰り返します──残り二回。警告。Dr.Lykan Fenyr。貴方には──]
女性めいた機械声で警告アナウンスが始まっても、赤い火の玉は止まらない。それどころか捨て身の決意まで感じられて、俺をうんざりさせた。
[繰り返します──残り一回。警告。Dr.Lykan Fenyr。貴方には──]
別の方角から、二門の砲身を抱えた浮遊機が三機も飛んでくる。
俺は走るライカン・フェニアの奥襟をひっ掴む。空中に浮かせると腰を片腕に抱える。急速反転。来た道を一心不乱に駆け戻った。靴裏から伝わる肉感が俺を不快にさせた。
「離せっ。離すのじゃ!」
涙声で手足をばたつかせる魔女に、俺は耳を貸さなかった。ヘレル殿下にアイサインを送り、この忌まわしい空間を三人で出る。
「離せ! この犬っころめっ。離せと言うに……っ!」
「博士っ。今さら〝元凶〟の死体があそこに転がったところで、先に
「うっ、うわぁあああああっ!」
エレベーター内で響く魔女の
交戦記録によれば──、
彼ら〝ハヌマンラングール〟の
この見切り発車の宇宙遠征十字軍は、戦闘をともなった。
漂流物のごとく頻繁に現れる徨魔との
やがて艦内で薬物使用、暴力犯罪、集団暴動が横行した。
死んでも再び生き返ってしまう終わりのない生に、彼らは精神を病んだ。人類有史において渇望した不老不死とは、痛みや苦しみが続いても死ねないという呪いだった。
その〝
両親は脳神経系の医者。彼女は家族の復讐を誓って乗船。
十年後。同じ艦内の仲間から命を狙われ、三度の拉致監禁。謀反者グループから〝パンドラシステム〟の〝元凶〟とされた。
その三度目に囚われた時に、彼女はようやく気づいたらしい。
自分の作り上げたシステムが、艦内条項によって自分の手の届かないところに置かれていたことを。
艦内条項。要するに艦内の生活規則だ。
罰則は、数ヶ月の独房生活と艦内重労働。そして再生期の繰り延べ。
肉体が滅んで再び肉体を得るまでの順番を後回しにされる。というものだ。その期間はわずか最長一年。肉体の死亡期間が一年ということだ。
この罰則は、「不老不死生活とか、俺氏の人生勝ち確定っ」というコンセプトで始まった遠征だから、ちょっと辛い反省を促すニュアンスだったと思う。
実質の「死ねない社畜俺氏の人生、罰ゲーム」になるとは想定してなかったようだ。
不老不死を功績にするか罪状にするかは運用者の責任だし、個人の選択だ。
そう、運用者側の責任を果たすため、ライカン・フェニアは自分が作り上げてしまった世界を壊そうとした。
だが、時既に遅かったらしい。
宇宙と異世界に漂流を続けた、このちっぽけな世界は、彼女が組み上げた通りの培養システムに〝掌握〟されていた。
こうして【第13階層】の床に敷き詰められた死体は、日常化。そう、俺が見た惨状は、日誌にたびたび現れた酸鼻を極めた日常風景にすぎなかったのだ。
彼らは死んだ後で、真なる死がもたらされなかったことを嘆く産声をあげるだろう。
その
悠久の時を無心で働くシステムたちは、罪なのだろうか。
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