第9話 動乱の中を行く(7)


 ベッドが二台並ぶだけの寝室の天井が、やけに視界を圧迫する。


「質問を少し変えようか。ミェルクリの死体は、その後どうしたのかな」

「死体?」


「きみにとっては最後の仲間が死んだんだ。その遺体を埋めてこなかったのか」

「ノルバートさんが、兄貴たちの遺体には触るなって」


「それは違うだろ。きみのお兄さん達の、いわば町で罪が確定している人達の遺体だ。そうじゃなく、あの四人目の遺体を埋めてこなかったのかって聞いてるのだけど」


 ミェルクリの遺体。


「えっと、ミェルクリは左腕を失って現れた。だから兄貴達と暗殺に関わって負傷しつつも生き残ったんだと思った。ミェルクリが毒を飲んだ後。おれ、このまま町に戻れば、私刑リンチに遭うと思って、死体安置所から町の外へ逃げたんだ」


 となりのベッドが静かになった。顔を向けたいが、逆にこっちを見つめられてたら怖いので動かないでいた。


「もう一度訊ねるよ。〝影〟の四人目ミェルクリとどんな話をした?」


 どんな話。

 ルニは目を閉じた。意識をあの町の死体安置所に飛ばした。


『ルニ……戻ったのか』

『ミェルクリ!? その腕、何があった?』


『ライカン・フェニアが〝徨魔〟の調査に出かけようとしていた。引き留めているうちに口論になって……。決めたのはジョイだ』

『そんな……徨魔って。正気かよ』


『いつのことだ。兄貴たちはいつ、こんなことにっ』

『二日前だ。運の悪いことに、狼に嗅ぎつけられた』


『はっ? あの犬頭がこれを? 嘘だろ。兄貴たちがあんな──』

『やつは大精霊イフリートまで呼びつけて、ヴィネリ達を……誰も歯が立たなかった』


『それで、ライカン・フェニアは』

『ジョイが胸を貫かれながらも仕留めた。その直後に、狼が激怒して襲いかかられた』


『ルニ。〝影〟の掟……忘れるなよ』

『うるさいっ。ほっといてくれ! しばらく……独りにしてくれよ。ミェルクリ』


『悪いが、オレはこの腕じゃあ、もう掟を遂行できねえ。後は頼んだぜ』


「──それで全部かい?」


 ルニは頷いた。

 監視役の主任務は記憶することだ。発見した機密文書、密談の内容を一言一句洩らさず憶えることが、〝影〟になれるかどうかの第一関門だった。


 狼は大きな欠伸をして、真っ直ぐ天井を見つめていた。


「最初に言っておくんだけど」

「……」

「ライカン・フェニアの〝徨魔〟調査は、ムトゥさんに非公式に認められていた」


「えっ。うそだろっ!?」

 思わずベッドから飛び起きた。右手をベッドについて身体を支えようとしたが、右肩からずるりと力が抜けて、床に転がり落ちた。まだ本調子じゃないらしい。


 狼は続けた。


「嘘じゃない。会話の内容は教えられないけど。博士は公国から予算を出してもらえないことを承知で、調査に出る予定だった。セニの町で高度医療を用いたのもの、その調査の資金稼ぎもあったんだ。

 だから、営利であってもムトゥさんに黙認してもらえるよう手紙を出した。俺の怒りは、その返事が、あの暗殺だったのだと誤解したということもある。俺はきみ達ほどオイゲン・ムトゥを信用していなかったからね。でも、〝徨魔〟調査の承認は、俺もその場にいてこの耳で聞いたから間違えようがないんだ」


 ルニは、床に両手をついたまま目の前がぐらぐらと揺れた。


「どういうことなんだよっ。おれは何を信じれば、誰の言葉を信じればいいんだよ」


「それは後でゆっくり考えて、自分で決めればいいよ。──というわけで、動けるようになったら、セニの町に戻ってきてくれるかな」


「はっ? 何言ってんだ、あんた。おれはあんたの敵──」


「だったとしても、使えるものはなんでも使う。俺は今、有能な調査員が欲しい。きみは、なぜお兄さん達がライカン・フェニアを暗殺したのか。その真実が知りたいのだろう。だったら働いてくれないか。旅費は出すよ」


「いいのか。おれがその金もって逃げるかも」


「旅費を持ち逃げして、その後は? 俺との取引関係を縛りたいのなら、期限でも打つかい? なら、十二日以内に決定的な情報を掴んできてくれ。集合場所はシャラモン神父の自宅だ」


「十二日?」

「その期日までには、俺がセニに戻れるはずだから」


「それまでに、おれが逃げてたら?」

「次に会った時、殺す?」

「なんで、そこ疑問系なんだよ」


「きみはこの場で、俺に有益な情報をくれた。殺すのが面倒くさくなった」

「ちっ。かっこつけるなよ。用済みだからって言えばいいだろう」


「使用済み前で逃げようとしてるの、そっちだからな。有能な人材はいくらいてもいいもんだよ。あと、調査中は、自衛目的以外の殺傷を禁じる、から……くふぁあ~」


 くわわと大口を開けた狼のあごに鋭い犬歯が並んでいた。中に人の顔はなかった。本物の狼頭らしい。


「真犯人を見つけても殺すなってことか……。あのさ。どこから調べればいいんだ」


 ベッド端に鉛のように重くなった腰をひっかけて訊いた。屈辱だった。逃げた町に舞い戻るのだ。誰も教えてはくれない気がした。本当に調査の糸口に見当がつかない。

 それくらい自分で考えろとか言われたら、銀色の丸い頭をもふってやるつもりだった。


「ミェルクリの死体を探してみてくれ」

「死体? なんで?」

「たぶん、ミェルクリは生きてる」

「えっ、はあっ!?」


 ルニは驚きのあまり、またベッドからずり落ちそうになった。

 狼は眠そうな目で言う。


「きみを報復として俺にぶつけて、どっちが死んでも損をしない情況を作るには、まず自分が死んで情況の外に出るのが、一番手っ取り早い」


(あのミェルクリが、おれを騙すために死を偽装した……なんでだ?)


「けど、戻って死体安置所にミェルクリの死体が残ってたら?」


「墓守さんに多めに金を渡して、埋めてあげればいいよ。ただし、所持品の中からメモ書きみたいなものが見つかれば御の字。鼻腔、耳腔、口腔、肛門、腋の下。腹腔に異物がないか調べ、他に外部と接触したような手がかりがないか調べてみてくれ」


(こいつ、〝影〟の基本検死術も熟知してる。何者なんだ……)


 ともすれば、自分がその基本のキを忘れてずっと狼狽えてる未熟さに顔が紅潮する。


「それからセニの町に残っている〝霧〟の情報を集めてみてくれ」

「〝霧〟を? あいつらは、あんたの監視役だろ」

「うん。実は〝霧〟を三人。俺の一存で、今ティミショアラに向かわせてる」


「ちょっ、ちょっと待てよ! あんた、どんだけムトゥ様に食い込んでるんだよ。監視対象にそんな権限はないはずだろ」


「いろいろあって、そうなったんだよ。もちろん経費は出してるから」


「タダ働きとかそういう問題じゃ……ちっ。あいつらと同列で使われてるのが気にくわないんだが」


「なら、彼らの頭目になってみる?」

「ぜってー嫌だ。技術も根性も忠誠心もドン底の連中の頭目なんか、惨めすぎる」


「そっかあ。グリシモン……苦労してるんだなあ」

「へぇ。グリシモンが〝霧〟のリーダーなんだ」


「知り合い?」


「あっ。いや、その……元〝影〟。監視対象が女になったから、女の監視役を入れるために外れたんだ」


〝霧〟に落ちたとはいえ、グリシモンの名まで聞き出せてるのか。こいつ本当なんなんだ。


「他に質問は?」

「え、ああ。……その、なんていうか。ミェルクリを調べて何が出てくるのか、とか」


 それを調べるのが仕事だろ。とは思うが、本当に思考が回らない。よりにもよって死んだはずの仲間と、交わることもない格下の裏固め調査なんて。


 狼は金眼だけをこちらに向けて、言った。


「俺は、自分の鼻に自信を持ってるし、ペルリカ先生の魔法使いとしての見識を高く買ってる。その二つの要因が、〝五人〟と断じたんだ」


「それってさっきの、ライカン・フェニアを追ってった兄貴達五人分の臭いか。けどさ、兄貴達の身体に、たまたま残り二人分の臭いが付着していた可能性もあるだろう?」


 すると狼が始めて笑った。人間みたいな笑い方だった。


「確かに、二人分の臭いが偽装されていたね。〝なぞなぞ姉妹亭〟から暗殺現場になった西城門まで三七〇セーカーある。俺はペルリカ先生から五人と聞いて、五人行動している臭いを追った。

 でも現場で交戦した結果は三人だった。うちの大精霊はマナ反応には敏感だから四人目五人目が魔法で隠れていても、気づいて殺せたはずなんだ」


「じゃあ、その二人か?」


「うん。事件当時、きみは町にいなかった。なのに五人行動していたのは〝影〟であることを装いたかったから──ではないと思うんだ。お兄さんは多分、ライカン・フェニアを襲ってない」

「えっ?」


「五人はいずれも男だ。ライカン・フェニア博士は女性。となれば、〝影〟の護衛役の中に女性と君のお兄さんだ。つまり、博士を殺害したのは、接近する俺とそれに気づいたお兄さん両方の目を盗んで、博士に近づき犯行に及べた〝影〟だ」


 兄が騙されていた。その可能性は、ルニの視界を少しだけ明るくした。


「わかった。調べてみる」

「うん……よろし……く」


 狼は半口を開けてくぅくぅ寝息を立てていた。ルニはそっと彼のベッドに近づく。


「うわ。なんつぅ、まぬけ顔……やっぱ犬じゃん」


 今なら復讐を果たせるか。とは、ルニはもう考えなくなっていた。


(やっぱり兄貴達が、ムトゥ様やライカン・フェニアを裏切るはずがないんだ。おれ達〝影〟は、志願して彼女の監視役についたんだから)


 銀色の頭をそっともふろうと手を伸ばす。

 その時、ドアが音もなく開いて、少女が半顔を出した。


「命が助かったからって……あまり調子に乗らないでくれる?」


 ルニは慌てて自分のベッドに潜りこんで、毛布を頭からかぶった。


(なんだよアレっ。なんなんだよアレっ。めちゃくちゃ怖ぇーっ)

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