第8話 動乱の中を行く(6)


 目がさめると薄暗い部屋だった。

 天井のはりに覚えがない。

 地獄にしては、天井が低すぎた。


 ルニは、おもむろに毛布の中で自分の肩に触れてみた。


 右腕が……ある。


「なんで?」 


「きみの腕なら、俺がくっつけておいたよ。馬車係」


 声の方へ顔を回す。となりのベッドで狼頭が天井を見上げていた。 

 ルニはたっぷり時間をかけて、言葉を選んだつもりだった。


「礼は言わないからな。狼さん」

「いいよ別に。きみを助けた方がいいと言ったのは、ハティヤだから」


(あの子が……。余計なことを)


「兄貴たちは殺したのに、なんでおれを?」


 もう怒りも憎しみも湧いてこない。ただの疑問をとなりのベッドに投げた。

 そう、疑問だらけだ。このバケモノは、真実に迫る何かを知ってるはずだった。


「さあ。一応、〝影〟の事情も知っておかないといけない。と思ったんじゃないかな」

 面倒くさそうに応じられた。頭にこなかったのはそこまで昇る血が足りないせいか。


「偽善ってやつかよ」

「俺もそう思うよ。だから君を助けたのは善いことだと思ってない」


「なら、あのまま死なせてくれたら良かったのに」

「言ったろ。俺がきみを助けたかったわけじゃない。感謝なら後でハティヤにするといい」


 沈黙。雨戸の外では小雨が降り続いている。


「なら、今から、あんたを殺してもいいか」

「俺を偽善と言ったばかりじゃないか。きみまで偽善ぶるのかい」

「あんたを殺すと偽善になるのか」


「少なくとも俺にはそう思える。ただ、俺を殺せば、きみはここから出られない。ハティヤを始めとする仲間達が、きみを許さないだろうから」


「はっ。大した自信だな」

「自信じゃない。事実だよ」

「なら、周りから愛されてるって?」


「否定はしないよ。……なあ、死んだら、その愛はどうなると思う」

「さあな……恨みにでも変わんのかもな」


「違うね。愛は愛のままだ。愛はそこに残るだけ。どこにもいかない。ただ膨らんでいたものが縮むだけ。その隙間を恨みや悲しみや怒り、憎しみで埋め合わせるんだ。

 縮んだ愛こそが不変だ。醜く枯れて石となり、不変となるんだ。本人にも動かせず、しこりのように遺るだけ。怖いよな、愛って」


「あんた、その顔で詩人かよ」

「きみは……違うのか」


 ルニは目を閉じて兄の顔を思い浮かべる。仲間の顔を思い浮かべる。


「違う。仇討ちじゃない。〝影〟の掟のためだ」

「最悪の根拠だな。愛よりも青臭い理由で、俺は殺されかけたのか」


 ルニはムッとして狼を睨む。


「もふるぞっ」

「もしかして脅されているのかな?」


 狼がこちらを見た。金色の眼がルニを圧するわけでもなく。しずかに。


「どんな掟? きみ達はあのムトゥ家政長にどんな誓約をさせられたのかな」

 ルニに怒りがよみがえった。ムトゥ様をあざけることだけは許さない。


「一つ、任務は命を賭して遂行すべし。

 一つ、手にした情報を敵に奪われるべからず。

 一つ、仲間の血は敵の血をもってあがなわせよ」


「……それだけかい?」


「誓約はあくまで誓約だ。行動原理にしてはいけないんだ。怖じ気づいた時、行動に迷った時の基準だ。おれ達はこれに何度も助けられた」


「それじゃあ、きみは、仲間達の復讐に迷いがあったわけだ」

「えっ?」


「だってそうだろ。仲間の死を知って感情より掟を持ち出したってことは、私的な復讐に迷いがあったわけだ。きみをまっすぐ復讐へ進もうと決意させなかった理由はなんだい?」


 何を言ってんだ。コイツ。見つめてくる狼の視線が、心臓を鷲掴んでくる。


「それは……っ」


「俺ときみは、ヤドカリニヤ家の前で馬車を誘導するため、何度も顔を合わせていたはずだ。俺のこと知ってたよな。狙いやすかった。なのに復讐を迷ったということは、情報が足りてなかった。それはどんな情報だった?」


「そ、それは……っ」

「もしかして、きみは、仲間の死に関して殺すべき相手の素性を何も調べないまま復讐に踏み切ったのかい?」


「……っ」


「誰に、復讐を促された。掟には復讐せよとは掲げられていないのに」


「ふざけんなっ」

 ムキになって反論した。すると狼は盛大なため息をついて、すぐに短く呻いた。肺を貫いた傷が痛み出したのだろう。


「ふざけてない。三番目にあった〝仲間の血は敵の血をもって購わせよ〟というのは復讐を指示していない。復讐を奨励するのであるなら〝仲間のは敵の血をもって購わせよ〟でなければおかしい。

 あれは集団的自衛権──仲間がやられそうになった時は助け合って、みんなで立ち向かえという主旨だ。その文言を、単なる復讐にすり替えたのは、誰だい?」


 ルニは毛布の中で震えた。たたみ掛けてくる狼の尋問も怖かったが、初めて第三項がすんなり理解できたショックに言葉が出なかった。


「お兄さんたちは、復讐だと教えてくれたのか?」


「みんな、そう思ってた。だから普段は言わないようにしてた」

「ムトゥ家政長らしくないからって?」


 ルニは無言で応じた。


 ムトゥ様は、五人を大切にしろとおっしゃった。五人で行動すれば、大抵のことは間違わない。間違っても五人なら引き返せる道が見つかるからと。それでもダメなら、一〇人いても二〇人いても同じことだと。


 それなのに、報復は、もう五人ではない。


 四人か三人、最悪一人の場合もある。そんな時、遺された者だけで報復を判断するリスクに耐えられるのか。ずっと疑問だった。


「きみ達は、オイゲン・ムトゥに信頼を置きすぎていた。その弊害だな」


「当然だろ。おれ達を飢えや寒さから護ってくださったのは、あの方だ」


「信頼と依存は別物だ。わからないこと、納得できないことまで飲み込んだのは、きみ達がムトゥさんを信頼してたんじゃない。依存しすぎて思考停止になっていたんだ」


 ルニは寝返りを打って、狼に背を向けた。

 なんで、こんな畜生に泣かされなきゃいけないんだ。


 ひどく惨めだった。勝手な思い込みで突っ走って、一〇人以上の命を死なせてしまった。彼らは世間では死んでかまわないゴロツキなのかもしれない。でも、手駒として彼らを死なせてしまった自分の責任は軽くなかった。


「狼」

「んー……ん?」

 眠りかけてた。さんざんしゃべり倒しておいて急に興味を失われると、ちょっとムカついた。でも、未熟を隠すために知らないままでいるのは、きっと後悔する。


「おれ、兄貴たちがあんたにやられたのを聞いたのは、事件の二日後なんだ。それまでティミショアラに行っててさ。戻ってきても……〝影〟として恥ずかしいくらい何も知ろうとしてなかった」


「それじゃあ……。どうやって、お兄さん達の死を知った?」


「兄貴が表の顔で門番をやってた。その関係で顔を覚えられててさ。ティミショアラから戻って来たおれは、すぐヤドカリニヤ家に連れて行かれた。そしたら、ノルバートさんに死体安置所に行けって。それで、兄貴達を見て……。おれ、わけがわからなかった。頭が真っ白ってやつで」


「そんなきみを正気にさせたのは、誰だった」

「仲間。生き残りだ」


「生き残り……? 〝影〟の四人目、かな」


「うん。もう死んだけど」


「死んだ? その死体は、いつ。どこで発見したんだい」

 急に口調が硬く、強くなった。


「死体安置所……その前で、おれの目の前で毒を飲んだ」

「毒……例の、奥歯に仕込んだ、木の実臭のする毒のこと?」


「あんた、そこまで知ってるのかよ」

 狼は返事しなかった。寝返りついでに狼のベッドを見ると、天井を眺めていた。


「狼?」

「馬車係。俺はね。きみらを皆殺しにするつもりでいたんだ。〝霧〟が五人分隊だから、〝影〟も分隊行動していると見当を付けていた。だから、俺とうちの大精霊でたおしたのが三人。あと二人の所在がわからなくなっていた。そいつらを捜して殺すつもりだった。怒りが収まらなかったからね」


「ちょっと待ってくれよ。三人? 四人じゃないのか?」 


「ライカン・フェニア暗殺の実行犯は三人だ」

 断言した後で、狼は言葉を継いだ。

「俺は〝なぞなぞ姉妹亭〟から五人の臭いを追っていた。そのうち、ライカン・フェニアの前で三人を捕捉した。けど、残り二人の臭いはその現場から消失していた」


 ルニは思わず、毛布から右腕を出して話の腰を折った。


「待った。すまない。待ってくれよ……そもそもあんた、どうやって兄貴たちがライカン・フェニアを追いかけてると知ったんだ?」


「ペルリカ先生がライカン・フェニアを追ってる五人組がいると報せてくれた」


「その情報がそもそもおかしいだろ。おれは町の外から戻ってくる最中だった。それに確か、そのペルリカって人。目が見えないんじゃないのかよ」


「目が見えないのに、喫茶店の主人してるんだ。そっちで理解しなよ」

「うっ。そりゃあそうだけどさ……いや、兄貴たちは店の外を歩いていたんだろう。なにげに無理じゃないか?」


「っ……絶対、誰にも言うなよ。あの人は高名な薬師であると同時に魔法使いでもある。目が見えなくても、マナの流れで周囲の物の形状を捉えることができる」


「マジかよ……あんたもできるのか?」

「俺は魔法使いじゃない」


「けど、大精霊イフリートを召喚できるって聞いたぜ?」


 沈黙。ルニはその空気の硬さから、失言だったのかと焦った。


「それ、誰から聞いた?」

「えっ。それは……仲間から」


「四人目か。名前は」

「もう、死んだんだ」


「名前は……っ!?」

 問いが鋼のごとく鋭く硬化した。

 ルニは寝たまま耳許で尋問されてる気分がした。


「……ミェルクリ」


 どうせ死んでるんだ。そう思って渋しぶ名前を口にした。なのにじわじわと背筋に悪寒が這いのぼってきた。

 おかしい。なんで名前が必要なんだ。おれは馬車係で流されて、四人目の名前がなぜ必要なんだ。狼の質問の意図はなんだ。


「なあ、狼。なんで──」


「馬車係。重要な情報だ。もう一度訊くよ。俺とうちの大精霊は、あの日、三人しか殺ってない。そして、あの町にうちの大精霊が姿を現したのが、その日初めてだ。

 なのにどうして、ミェルクリは?」


「それは……ミェルクリから訊いてない。その時は不思議だとも思わなかったから」

「なら、きみもイフリートは知っていたのかい」


「うん。おとぎ話で知ってた。昔からこの世界のどこかに四柱いるもんだって。もちろん、実際の目で見たことなんて……あっ」


 嘘だろ。ルニは狼を見た。


「ミェルクリも、イフリートの実物なんて見たことがないはずだ」

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