第7話 動乱の中を行く(5)


 ルニは、震える手でボウガンの弦を引きながら何度も兄を罵った。


「クソ、クソッ。ジョイ。お前のせいだぞ。なんでライカン・フェニアを殺したんだよ」


 ほんの五日前。人生が一変した。


 旅からセニの町に戻ると、ノルバートさんに呼ばれた。

 詳しい説明もなく、ただ町外れの死体安置所へ行けと言われた。

 いつも温和な上司が、この時はひどく冷淡な目をしていた。


 兄が、何かひどい失敗をして死んだのか。茫洋ぼうようとした喪失感を抱えて、死体安置所へ向かう。冷え冷えと狭い室内に横たわる兄を見て合点がいった。


 死んだのは、兄ジョイだけでなかった。

〝影〟三人の死体が並んでいた。


 棺どころか骸布さえ用意されてなかったのは、この町では罪の証だ。


 ジョイの胸に氷の刃が貫かれまま溶けずに残っている。ひと目で魔法による死とわかった。美人だったヴィネリは首を焼き落とされていた。こっちの人の形をした炭は、生前より二回りも縮んでしまっているが、マルツィだろうか。


 みんなこの町でキマイラと交戦したような惨状だった。悲しみ以前に、わけがわからなかった。たった十日で何が起こった。


「……ミェルクリ。……ミェルクリの死体がないな」


 そもそも、監視対象だったライカン・フェニアはどうなった。


 公国の禁則事項。国外での使用を禁止された高度医学の使用。その是非を求めに本国に戻っていた。「無報酬であれば、是とする」という素っ気ない裁可をもらうための旅だった。


 兄から報告書とともに命じられた時、使いっ走りだとわかっていた。


 ヴィネリには、ハチミツ買ってきてとからかわれた。マルツィから家族への手紙と石けんを渡された。里帰り気分で請け負ってしまった自分も自分だが。


 オイゲン・ムトゥ様が人道救命の高度技術を、営利によらなければ大目に見てきたことは公然の秘密だった。ライカン・フェニアは、その恩寵に浴した〝医師〟だった。


 だから旅足は軽かった。


 接見したオイゲン・ムトゥ様は顔色が優れないご様子だったので、手短に報告をし、報酬の金貨も授かった。「監視を続けよ」と命を受け、部屋を下がった。


 主人の体調以外は何の心配もない帰路だった。

 なのに、この惨劇は、まさに青天の霹靂へきれきだった。


「ルニ……戻ったのか」


 背後から聞き馴染みのある声に振り返ると、ミェルクリが玄関口にもたれていた。

 コートを肩に引っかけて、ブラウスの左袖が雪風に揺れていた。


「ミェルクリ!? その腕、何があった」


「ライカン・フェニアが〝徨魔〟の調査に出かけようとしていた。引き留めているうちに口論になって……。決めたのはジョイだ」


「そんな……徨魔って。正気かよ」


 徨魔は、公国の禁忌。その集められた情報は上層部のごく一部しか閲覧が許されない、この世界の厄災とされる邪神だ。それ以上の詳しいことはセニも知らない。だが見かけた場合は、味方の犠牲をはらっても報告を上げるように言われていた。


「いつのことだ。兄貴たちはいつ、こんなことにっ」

「二日前だ。運の悪いことに、現場を狼に嗅ぎつけられた」


「はっ? あの犬頭がこれを? 嘘だろ。兄貴たちがあんな──」

「やつは大精霊イフリートまで呼びつけて、ヴィネリ達を……誰も歯が立たなかった」


 あの間抜けた犬面で、精霊と契約できる大魔女クラス。信じられなかった。


「それで、ライカン・フェニアは」

「ジョイが胸を貫かれながらも仕留めた。その直後に、狼が激怒して襲いかかられた」


 思わずその場に膝から崩れ、頭を抱えた。

 リーダーである兄亡き今、未来が一斉に襲いかかってくる。いろいろな負担や義務がのしかかってきて、立っていられなくなった。


「ルニ。〝影〟の掟……忘れるなよ」

「うるさいっ。ほっといてくれ! しばらく……独りにしてくれよ。ミェルクリ」


 入口から金袋を投げ落とされた。


「悪いが、オレはこの腕じゃあ、もう掟を遂行できねえ。後は頼んだぜ」

「ミェルクリ? ……ミェルクリっ!?」


 もう返事はなかった。安置所の外で毒を噛んでいた。

 安らかな顔で、逃げられた。


「独りにしてくれとは言ったけどさ……。独りぼっちにしないでくれよ」


〝影〟として生きてきたせいだろう。涙は出なかった。


  §  §  §


 仇敵となった狼は、大魔女クラスのバケモノである可能性があった。

 おまけに配下には、あの〝灰髪のウルダ〟がいる。


 オイゲン・ムトゥ様の秘蔵っ子で、前頭領アオイダの娘。隠密技能はたった十二歳で、大の大人を軽く凌駕した。

 ムトゥ様以外に懐かず、ちょっとの揶揄からかいや陰口にも牙を剥く気性難のため、頭領の器ではないと周りから見なされ、いつも孤立していた。


 それでもムトゥ様は、亡きアオイダの忘れ形見を次期頭領に推そうとして〝ハドリアヌスの魔女〟暗殺を命じ、失敗した。


 それが処分もされず、狼の下についている。経緯は動あれ、実力は本物だ。情けないが、まずまともに一人でぶつかって、勝てる連中ではない。


 だから、カーロヴァックで、人を二〇人雇った。


 計画は、行商馬車の襲撃と説明した。だが話が具体的になっていくうちに標的が〈ヤドカリニヤ商会〉の狼頭だとさとられるや、八人がその場で契約解除を申し出た。残った連中もなぜか士気が下がった。


 口の軽そうなヤツを捕まえて情報を引き出せば、予想外のネタだった。


 狼は、三ヶ月ほど前にカーロヴァック市郊外の町カールシュタットを牛耳っていた〈リンバロムナ商会〉の頭目を破滅。同日に、バイデル大司教を暴行。大司教の金蔵から金貨一六〇〇枚を奪って逃走していた。


 このことで土地に根を張りかけていた三万人以上のアラディジ旅団が大司教暗殺の疑いをかけられ、大移動に追い込んだ張本人と目されていた。


 さらに、この放棄された町にノボメストの避難民六〇〇〇人の移住を誘引。この場にいるならず者の居場所をことごとく奪ったとか。さらには悪名高い石炭商人〈ゼムンクラン商会〉の会頭を討伐。裏業界で、あの狼頭はメキメキと頭角を現しているようだ。


「殺せれば大金星の大悪党だが、目をつけられたら根絶やしにされかねないのさ」

「そうだったのか。わかった。なら、あの狼頭を獲ってきたヤツには金貨三〇〇枚だそう」

「三〇〇っ!? マジかよっ。へ、へへっ……それなら」


 口約束で交わした空手形の額面に目が眩むような人間は長生きできない。

 ルニは目の前の男に失望した。


  §  §  §


 計画は、初手で王手をとった。

 狼の弱点は、火だったらしい。


 大きな水溜まりで馬が止まり、狼はそれを怪しんで水溜まりを調べに馬車を降りた。

 本来は水溜まりを通過するところで斉射をかける予定だったが、馬が思いのほか感づくのがはやかった。だが計画に変更はない。


 ルニは合図を出した。

 

 直後、雨のヴェールを突っ切って火矢が飛来した。

 狙うのは水溜まり。弓を触ったことがあれば、子供でもできる。


 水溜まりに火矢が触れたとたん、音をたてて黒煙の炎が燃え上がった。

 狼は、全身を痙攣させて、恐怖に満ちたけたたましい悲鳴をあげた。


 黒い水溜まりの正体は〝油母ケロゲン〟と呼ばれる可燃性の半液体だ。


 草むらの中に突如として湧いている黒い水で、火を近づけると燃えた。けれど悪臭がひどいし、燃料として使うにも粘性が強くて使えない。

〝影〟はこれを破壊活動に使ってきた。臭いがひどいので金属の筒に入れて携帯した。今回は四人分。復讐の怨嗟をしっかり込めた。

 

 馬が炎にではなく、主人の悲鳴に驚いて暴れ、前脚で主人を炎の中に蹴り出した。


 狼が炎の壁を破って向こう側へ投げ出される。と、彼は地面にのたうち回り、泥畑の方へと転がっていった。

 炎に対する尋常な恐怖心ではない。まるで過去に焼き殺された経験があるみたいだった。

 だが、死んでいない。


 のたうち回る狼に、ボウガンの照準が定まらずイライラが募った。するとようやく狼が畑の真ん中で動かなくなった。


 好機。を発射する。

 だが冷たい雨の中、同じ黒い泥をまとって風景に擬態した標的を遠距離から狙うのは容易ではない。

 案の定、予想よりも手前の土に箭が刺さった。思わず舌打ちが洩れた。素早く次の箭を装填する。その時だった。


 耳そばを風がかすめ、樹幹に矢が突き刺さった。

 身を潜める間髪を入れず、第二矢が同じ場所に刺さる。


 捕捉された。狼の仲間が正確にこちらの位置に気づいたらしい。向こうにはいい目を持っている射手がいたようだ。ルニはたまらず場所を移動した。


 森から煙幕玉を投げて合図を送る。

 騎馬十二頭が、狼に向けて前進を始めた。


「ウルダっ、行って! 狼に近づけさせないで!」


 聞き覚えのある少女の声で、ルニは馬車に顔を戻した。

 ウルダが馬車から飛び出す。その行き先は狼ではなく、十二頭の騎馬。たった独りで足止めする気のようだ。

 そして馬車からもう一人。少女が飛び出してくる。


(あの子……ハティヤ、だっけか)


 町の教会、シャラモン神父の娘らしい。話したことはない。メドゥサ会頭とも仲がいいらしく、たまに〝なぞなぞ姉妹亭〟で狼が何を作っているのか話をするらしい。


(……ごめん。関係ない君を殺せば、狼をもっと苦しませて殺せるはずだから)


 少女が泥だらけになりながら、狼を見つけた。

 ボウガンの照準を少女に向ける。そして。引き金をひいた。

 せつな、今まで泥からピクリともしなかった狼が、突然起き上がって少女にしがみついた。今度は彼の肩甲骨あたりに箭が突き刺さる。


「なっ、なんなんだよ、あいつはぁっ!」


 炎に大恐乱した挙げ句に失神したかと思えば、気づくはずのない距離の射撃に身体を張って少女を守った。

 こちらに気づいた。いや、あり得ない。わけがわからなかった。


「落ち着けっ。次こそ終わりだっ。次で殺せる……っ」


 自分に言い聞かせ、急いで箭を装填する。

 すると狼が肩の箭もそのままに、少女を抱えて動き出した。馬車へ戻ろうとしているらしい。

 ボウガンは本来、鎧をも貫く威力から一時期は国際条約として使用の禁止が定められたほどだ。革の服なら箭はとうに肺を貫いているはず。


 バケモノ……まさに怪物だ。ルニは氷雨でかじかむ指で、引き金を引いた。


 瞬間、指が意思より早く引き金に触れたのがわかった。箭が的をそれて狼の影に突き刺さる。

 いっそ刺さっている箭に毒でも塗っておくんだった。後悔が次の装填を急きたてる。指先がすべり箭を地上へとり落とした。ルニは手に噛みついて刺激した。


「クソ、クソッ。ジョイ。お前のせいだぞ。なんでライカン・フェニアを殺したんだよ」


 我知らず、この場にいない兄を罵っていた。

 致命傷を与えたにもかかわらず、標的が死なない。死んでくれない。まるで死神に見放されている心地がした。


「くそったれ。冗談じゃねえ! 狼の死神はおれだぁ!」


 否定しなければならない。復讐は運に頼らない。

 ルニはムキになって箭を装填してボウガンを構えた。

 箭の先で、狼は少女を馬車の幌の中へ押し込み、代わりに戦斧を取りだしていた。


「戦斧で、灰髪を助けに行く気か。させるかよっ」


 もう外すもんか。ボウガンの引き金に指をかけた、その時だった。

 狼が振り返りざまに戦斧を振った。

 直後、ルニの脇を乱旋風が駆け抜けた。


 巨人が山刀マチェットで草を左右に薙ぎ払われたみたいな猥雑わいざつな切り口を残し、破壊風が森を縦断していった。


「魔法、ってのはさ……。もっと格好良くさ。……バーンって、感じだろ?」


 ルニは、さっきまで手にしていたボウガンを捜すかどうか迷った。

 それが見つかれば、きっと自分の腕も見つかるはずだった。


 どうしようかと決めかねている間に、視界は容赦なく暗くなっていった。

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