第6話 葬滅の都(6)


 なんてこった……。

 声にしては言わなかったが、カラヤンは徒労感に手綱を引いて馬を歩かせた。


「隊長」

「ああ、神蝕だ。しかもこの規模は尋常じゃねえ」


 中央都・クローンシュタット。


 いつ途切れるとも知れない黒煙が空を覆う。魔物の骸が都市を隙間なく埋め尽くしている。噂では、スタンピードに残された魔物のほとんどが〝狂死〟だといわれている。極度の興奮で、心臓麻痺や頭の中で出血を起こして暴走しながら死に絶えるという。


 宗教者は、それを「神の怒り」とご高説のたまうが、耳を貸す者は少ない。


 魔物は動物と同じだ。食い物がなければ他を当たる。エサをくれないのなら神であっても相手にしない。畜生は生まれながらにリアリストだ。そんな彼らも縄張りを侵されれば怒るが、神蝕は縄張りの外。いかなる崇高な理念の下に憤って自分の縄張りを飛び出してくるのか。


 ロイズと二人で馬を進めていくと、町の手前で見慣れた大型馬車を見つけた。


「狼の馬車だ。あの巨馬は見覚えがある」

 二人で馬を下りて近づく。


「狼は、どうして馬車をこんな町の外に?」

「まあ、さっさと用事を済ませて逃げるためだろうな」


 自分だったらあんな危険のニオイしかしない都市には、入っていくのも面倒だ。それでも入っていったのなら、滅び去る都に、いまだ大公がいるというのか。


「ちょいとそこのお人、何か食べ物を持ってないかい」


 唐突に馬車の荷台から女の声がした。

 ロイズが先に動こうとしたのを、カラヤンが肩を掴んで止めた。


「……っ?」

「ロイズ。悪いが、都市の偵察にいってきてくれるか」

「えっ、ですが隊長」

「頼む。三〇分、いや十五分でいい。深入りしなくていいから」


 ロイズは馬車と上司を見比べて、うなずいた。


「わかりました。三〇分ほどしたら戻ります」

「すまん」


 ロイズが大鉄橋を渡るのを見送ると、カラヤンは無表情で馬車の荷台に回った。

 荷台に座っていたのは、濃紺のフードローブをまとった女だった。口から煙管をくわえてカラヤンを見るなり、口許に嬉しそうにつやめいた笑みを浮かべる。


「隊長さん。何か食べ物を持ってないかい?」

 カラヤンは胸ポケットから携帯食料を渡す。それから水の入った水袋も置く。


「ありがとね。隊長さん」

「ここには、どれだけいた」

「んー、そうさね。小一時間ほどかな」


「その時には、この馬車も」

「ああ。あったよ。争った形跡もね」

「争った?」カラヤンは眉根をひそめた。


「荷台の床に擦った痕がある。一人は娘だろうね。年の頃は十二から十五かな。背後から殴られたかして、荷台の床に倒れた。そこから都市の中へ運ばれていってるみたいだねえ」


 直に見ていたのではない。彼女はこの場の痕跡で何が起きたかを見通しているのだ。


「下手人の数は」

「一人みたいだね。だから身内の犯行かもね」


(あのウルダが不覚をとった。ということは、ティボルかグリシモンが寝返った?)


 カラヤンは毛皮帽子ウシャンカを脱いで、頭をつるりと撫でた。


「腹が減っていたのなら、なぜこの馬車の中の食糧に手をつけなかった?」


 荷台の中には、狼があちこちで売買している商品が雑多に積まれている。


「やめとくれよ。腹は減っても、あたしは物盗りじゃあないよ」

 あっけらかんと応じられて、カラヤンも素直に謝った。


「すまん。そうか……旅は、あの都市に用があったのか」

「いんや。そっちじゃないね」


「そっちじゃない? じゃあ、どっちだ?」

「この馬車の主どのさ。そろそろ会ってやらなきゃいけない頃合いかねえってね」


 狼と? そろそろ会う頃……とは。


「どういうことだ?」

「そいつはちょっとね。……教えられないのさ」


 カラヤンは思わず魔剣に手をのせた。


「……っ!?」


「そうトサカをおっ立てるんじゃないよ。あの時は自棄ヤケのヤンパチの急拵えだったけど、あの秘術が生きたまま解除できるとは思ってなかったよ。あの狼男。やっぱり掘り出し物だったね。アパ先生も見る目があったってことさね」


 急に現れて、何言ってやがる。

 これまでの緊張が一気に高まって、心臓が早鐘を打つ。それに合わせるかのように、女の赤い唇から伸びる煙管きせるがぴょこぴょこと上下する。

 フードの下から黒縁の眼鏡が見えた。


「……本当なのか?」

「なにが?」

「だからっ。本当に……おふくろなのか?」


 濃紺のフードの下から黒眼鏡の秀麗な美女が見下してくる。


「アーサー。あたしをその名で呼ぶなって言ったろ?」


「ぐっ……本当にアルサリア、なのかっ!?」声が上擦った。

「そりゃそうさ。見た目も変わってないだろ?」


 軽く肯定された。煙管を唇から離して、携帯食料をひと息にかじっていく。


「へえ。木の実の飴寄せかい。ちょっと固いけど旅にうってつけだねえ」

「三〇年間。どこにいたんだ」


「あちこちさ。極東や北方。南蛮。いろいろと見て回った」

「アルサリア。あんたが、その……狼を造ったのか?」


「造ったのは先生だよ。あたしもまあ手伝ったけど。今は管理係かな」


「ちょっと待て。それじゃあ、いつ狼をつくったんだ!」


「素体はすでにできてた。今あれに落ち着いたのは、ジョルトが死んだ翌年? あんたをエディナに預けてすぐだね。アパ先生から助手についてくれって頼まれてさ。ま、そこでエディナにあって、あんたを預けたんだけどさ」


 カラヤンは目を白黒させた。情報過多で、目眩がした。


「三〇年前からあいつ……おれより年上だったのか。いや、あんたがおふくろに会ってる?」


「当たり前だろ。まだ五歳だったお前をほったらかしたままで、エディナが代わりに育ててくれるわけないじゃないか。バカだねえ」


 養育放棄人に、バカと言われた。とことん身勝手な女に頭にもくるが、真相が先だ。


「ちょっと待ってくれ。どういうことだ。狼は……一体どういう存在なんだ?」


 すると群青の魔女は話を打ち切るように手をパンパンと払って、水袋から水を飲む。


「この話は忘れてな。それはそうと、お前。今度結婚するんだって。」

「うっ、ああ、そうだけど……どこから聞いたんだよ」


 どう切り出すか困っていたところに、相手からあっさりと切り出された。調子が狂いっぱなしだ。この人には昔から。


「ペルリカとエディナの両方からフクロウが来たんだよ。リンクスがずっと黙ってやがって、頭にきたから家まで押しかけていったら留守でやんの。すばしっこいヤツさ。」

「〝黄金の林檎会〟とつながりがあったのか」


「ん? んー。だからさ。この話は忘れておきなって。知るだけ損だよ」

「狼が自分の出生の秘密を知りたくて、ディスコルディアを追い回してるぞ」


「あらま」

 軽妙な調子で、アルサリアは肩をすくめる。

「無駄なコトしたねぇ。でも、お前に会って、いろいろ気張る目標ができたみたいだから、よしとしよー」


「相変わらず無責任な女だな。あんた。狼にそれ言ったら殺されるぞ」

 そこへ、城内からロイズが飛び出してきた。予定の三〇分までまだ時間があったが。


「ねえ、さっきの。まだあったら、もう一本おくれよ。気に入っちまった」

「ちっ。あんた、これからどうするんだ」別の胸ポケットから携帯食料を投げ渡してやる。


「お前たちと都市に入るよ。なんか狼が破損したみたいでさ」

「なにっ?」


「隊長ーっ!」

 ロイズが切羽詰まった声で叫んで駆け込んでくる。カラヤンはそっちに足を向けた。


「どうした。狼に何かあったのか」

「違います。ウルダですっ」


 ロイズは白い息を濛々と吐き出しながら、報告した。


「完全にキレてしまって、建物を壊しながら、ティボルを追って、東に、いきました!」

「なあぁにぃ!?」

 カラヤンは見開いた目を白黒させた。

 

  §  §  §


「狼……うそだろ」


 玉座の間。

 床に膝を屈し、うなだれた姿勢で瞑黙めいもくしていた。


 背中を漆黒の剣に刺し貫かれていた。剣尖は胸を貫いて床に届きそうだった。


 カラヤンはすぐ、ウルダのキレた理由が狼だとわかった。これを見てウルダが感情を爆発させないわけがない。


 ティボルは〝霹靂へきれきのウルダ〟のたがを壊してしまったのだ。


 しかしそれでも、カラヤンは、何度まばたきしても目の前の現実が理解できない。


 確かにティボルが卑怯な手を使わなければ、狼から勝ちを掴むことはなかっただろう。それ以前に、あの二人は反目しながらも、互いに相手の仕事を認め合っていたはずだ。


 それが、どうして……こうなった。


「おい、アルサリア」


 漆黒の剣を手で触れずに鼻先で舐めるように見つめる実母に声をかけた。


「この剣……間違いないねえ、アストラルマテリアだ。それもほぼ完成してるじゃないか。見事な出来だねえ」


「アストラなんだって?」


「ディスコルディアのやつ。コソコソ隠れて、徨魔バグ世界の研究を進めていたんだねえ。黄金の林檎会結成の目的はこれで結実か。ちっ、ちょっぴりねたましいじゃないか」


「おい、クソエロ黒めがねババア」

「さっきからうるさいねえ。ハレンチなハゲ息子」


「ハレンチとハゲは関係ねぇだろうが!」

 真顔で吼えるカラヤンを、群青の魔女は無視する。


「ふむ、堪能……。ちょいと、カラヤン。こいつを抜いておくれ」

「お、おう」


「あと、抜き終わったら、狼を逆さに担ぎ上げておくれよ。何かを鱈腹たらふく飲んでるみたいなんだ。それを吐かせて、状況を推測するよ」


「っ……わかった」


 カラヤンは漆黒の剣を掴むと、反射的に柄から手を離した。


「どしたい」

「こいつは【闇】の系統──【艶夢】ディザイア系だ」


「んなことは先刻承知だよ。だからお前にやらせてるんじゃないか」

「鬼かっ!?」


「つべこべ言ってないでさっさとしなっ。あたしの息子なら握ったくらいでトチ狂うまでにはならないよ。ほら、さっさとおしよ!」


 叱られつつ急かされて、カラヤンはへの字口で剣を抜いた。すぐに床に捨てる。指先に落雷を握ったみたいな痛みが残る。床との衝突も金属特有の音がした気がするが、残響がクリスタルの鐘のように澄んだ音色をのこす。

 ただの魔法剣ではない。神話エピックランクの人造傑物アーティファクトではないのか。


「カラヤン。ぼさっとするんじゃないよ。次だ。狼を逆さにかつぎな」


 言われるまま狼を肩へ担ぎ上げる。すると下を向いた狼の口から床へ黒い固形物をこぼした。


 アルサリアはそれを拾って、眼鏡の奥をすがめた。


「まったく、なんて無茶をするんだい、この子はっ。カラヤン、全部吐き出させるんだっ」


 カラヤンは何度も狼の死体を揺すった。そのたびに床へかつんかつんと石の音が足下で跳ねた。


「石……いや石炭か?」


「誰がやめろと言ったんだいっ。もっと揺するんだよ。残らず吐き出させるんだ。説明は後でしてやるから、早くおしっ」


 百人をこえる部下を持つ隊長が幼児みたいに叱られて、カラヤンは頭に玉の汗を造りながら懸命に狼の死体を揺すった。

 さらに群青の魔女が、ゆすられている狼の喉を何度も揉む。二人がかりで最後の一個も残さずに吐き出させた。


「あ、アルサリア……いいか?」

「ああ。これで全部のようだね」アルサリアは床に転がった小さな石炭群を足で寄せ集めて見つめた。「……〝原転回帰リザレクション〟だ」


「は?」


「〝原転回帰〟を使ったんだよ。この子は、円陣エンジンが欠けた状態でマナ鉱石を飲みこんで結晶マナを体内で燃やし、無理やり〝時空系〟ラウムツァイトを発動させたんだ。並みの魔法使いなら、頭が月の彼方まで吹っ飛んでる曲芸さ」


 アルサリアは狼が座っていた前の床に突いた血溜まりに触れた。それを指でこすり合わせた。


「若い処女の血だ。ウルダだったか。たぶん、あの娘を目の前で殺されたかして、死んだんだ。それをあの子がその場で呼び戻した。けど、あの術式は発動中、無防備になる。詠唱中に敵に背中から刺されても文句は言えないのさ」


「馬鹿野郎が。狼……お前は、お前らしいぜ」

 カラヤンは相棒を横たえて、力なくため息をついた。


「それほどの娘なのかい?」


「……ああ。ウルダは誰よりも狼になついてた。こいつはとにかく周りに集まってくる子供たちを死地に向かわせないよう、ずっと独りで無茶ばかりやってた。幸いその思いが届いて人望になったが、結局……自分の首を絞めるはめになったってわけだ」


 カラヤンは狼の両手を胸で合わせて、その額に手を乗せた。もふもふした手触りに涙を飲む。


「ティボル……。そうまでして狼を越えたかったのかよ。そこまでねたんで、憎んでたのか。おれの目が節穴だったのか」


「ねえ。バカ息子」

「悪いが、今はもう何もする気がおきねえよ……」


「この子、とっくに死んでるんだけど」

「ああ。知ってるよ」

「ずっと心臓動いてなかったろ?」

「だからっ、知ってるって……心臓が動いてなかった?」


 カラヤンは目をぱちくりさせた。群青の魔女は軽く両腕を広げて、


「あんた。ペルリカんとこの〝慌てん坊の焼き栗小僧〟から何も聞いてないのかい」

 そのあだ名は、シャラモン神父のことだ。


「いや聞いてる、聞いたな。〝狼はもう死んでる〟って。つまり?」


「エンジンを修理なおせば、〝再稼働〟する」

「治せっ!」

 カラヤンは実母の両肩に掴みかかった。


「必要な道具や素材があれば持ってくる。こいつを今すぐ治してくれ。頼むっ!」

「じゃあ、龍の髭と千年亀の鼈甲べっこうに、白鹿の麝香じゃこう油を──」


 すかさずカラヤンは掴んでいたローブを襟絞えりじめにした。


「クソ眼鏡ババアぁ……それ全部、延命強精ポーションの材料じゃねえか。昔、死んでるヤツには無意味だって言ってたよなあ」


「ふぐ、うぐぐぐっ。ご、五歳のクソガキが、なんでそんな細かいこと憶えてんだい」


「目の前で実演してたのが、あんただったからだよっ。土壇場で無駄に手の込んだ悪ふざけしやがって。いいから、さっさと狼を治しやがれ!」


「隊長っ!」

 破れた西壁からウルダを捜していたロイズが悲鳴を上げた。

「8時から10時方面の地区が倒壊。なおも追跡交戦中っ。このままだと被害が都市全部にまで拡大しかねませんっ」


「ふーん。どうせこの都市は滅んでるんだ。このままやらせて更地にすればいいだろ?」

 淡白な母親の感想に、カラヤンは頭を抱えた。

「このままウルダを抛っておいたら、おれ達の帰る道までなくなるんだよっ。そのためには狼の知恵が必要だ。あんただって孫の顔が見たくはないのかっ?」


「まごぉ?」

 アルサリアがまん丸に見開いた。その目が母子そっくりだった。初耳だったらしい。


「お前、子供までできたのかい」

「まだ嫁の腹ん中だけどな。男だったら……サリアスを嫁に提案する予定だ」


「そういうことは早く言いたまへ!」

 なにが、たまへだ。カラヤンの手を払うと、群青の魔女は狼の側にしゃがみ込んだ。


「助手。チャッチャと修理するんだから、力仕事はそっちがやりな」


 へいへい。カラヤンは急にやる気になった母親の反対側にしゃがみ込んだ。

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