第29話 動乱の中を行く(27)


〝たんぽぽと金糸雀亭〟まで戻ってくると、店前に女が立っていた。


 その周囲を十数人の衛兵が取り囲み、すでに四、五人が倒れている。

 俺は無関係のフリをして城門のほうへ抜けようとした。


「おいっ。おーい、そこの狼男。どこいくねん。ごっつ探したで、ほんま」


 冬雨の中、女が俺を呼び止める。三〇前後。黒と金色のまだら長髪。一八〇センチ前後。タイトスカートにスーツ。その上に軍服を肩に引っかけていた。


「遅かったやないか。あんまり、ええ女を待たせるもんやないでぇ」


 ええ女だとしても、額から二本の黒い石筍せきじゅんをはやして、首筋から頬にかけて岩のウロコがついている人との交際はお断りしたい。

 肩に担いでいるのは〝鉄槌〟──いや、〝けん玉〟。怖すぎる。


 衛兵が振り返って、俺を疑わしげに見つめてくる。

 俺は顔の前で手を振りまくった。


「違います。俺は初対面ですからっ」


「なんや、お前。ここまで独りで戻って来たんか?」

 だから、馴れ馴れしく話しかけてくんなよ。今そっちとの関係を拒絶しようとしてたんだろうが。つか、マジ誰だよ。


「あの、お名前を伺っても?」

「エミー・ネーターや」


 つい先日聞いた名前だ。顔は本当に初めて知った。


「つい今し方、〝翡翠荘〟で起きた水の魔物騒ぎとの関連性は?」

「チッ、知らんわ」

「そうですか。では、ごきげんよう」


 月並みな表現だが、俺は脱兎のごとく城門を目指した。


「待てやぁ。クソ犬~っ!」


 奇策だ。気さくな人っぽいけど奇策を用いるような人に見えない。彼女が帝国情報局長エミー・ネーターだとしたら、その部下の仕業だろう。自分の上司を俺の足止めの道具に使うとか鬼謀もいいところだ。

俺は全速力で城門を抜けた。はるか前方にまだティボルの馬車が見える。


「待てコラ~ッ!」


 巨大なけん玉かついだ女が追いかけてくる。武器を担いでいながら足も速い。

 どうしよう。心の底から相手したくないんだが。


 ティミショアラ周辺は麦畑。刈り入れも終わった一面の氷雪と泥。雨も降って隠れる場所なんてどこにもなかった。俺は愚直なまでに全速力で逃げる。


 やがて行く手に、あの場所が見えてきた。


  §  §  §


「エイダ~? うちやけどぉ」

『どうしました』

「狼、見失ったぁ」

『アホですか』


「あんな。一本道やったんやけどな。丘に登ったら急に見えんようになってな。今探しとるとこー」

『ティミショアラの町に戻った可能性は十八パーセントですが、確認は?』


「城門閉められてもーてん」

『あれほど、衛兵をぶっ飛ばすなと言ったのに……』


「ちゃうねん。ちょっ聞ぃてや。うちな、居酒屋の前立ってただけやねんでぇ? これほんまやねんて。なのにあいつら、不審や、ちょっと来い言うて引っぱっていきよんでぇ? 不当逮捕やん? 世の中間違まちごぅてるて思わん?」


『帝国の制服は』

「そりゃあ、ずっと肩にかけとるわ。スーツ以外は、上着これしかないもん。傘もってこんかったし」


 沈黙。


「もしもし? エイちゃん~? 無視せんといてぇ」

『局長。今どの辺りですか』

「今ぁ? ごっつい首縊くびくくり木の下ぁ」


 通信の向こうで大きく息を吸い込む音がした。


『狼は、その樹です。絞首罪人に紛れて枝にぶら下がっている可能性が六八パーセント。局長におかれては、その樹をし倒してはなりません。その樹は、公国の公有物です。しっかりと見極めて、狼だけをたたき落としてください』


「おっけー。まかしといてぇ」

『返事が軽いのが心許ないですが。あと、こちらからもご報告が』

「ん?」


『対象ライカン・フェニアの再誕履歴を確認。対象が再誕済みであることが確定しました。しかし培養槽ルームの映像記録が皆無でした』

「かいむ? ゼロかいな」


『履歴を元にした再誕培養開始時刻から完了時刻の映像履歴がすっぽりありませんでした。我々の意図をいち早く察した何者かが、映像データを削除したものと思われる可能性が九二パーセント』


「ちなみに残り八パーセントって、なんなん?」


『記録機器の故障です。三〇〇〇年以上経っていまだにあそこだけVHSテープなのは、奇蹟をこえてもうギャグです』


「何度もやられ過ぎて、みんな再誕場面に関心なかったからなぁ。ほしたら、あのマクガイアっちゅう保守ドワーフの仕業──かいっ!」


 エミー・ネーターは通信機片手に、木の幹へ前蹴りを放った。


 上から頭に袋をかぶせられた亡骸がぼとぼとと落ちてくる。


『かもしれません。狼を捕まえたら、皮を剥ぐ前にそのことを訊いてみてください』

「おっけー」


 ねばるやないか。エミー・ネーターは木の上方を見上げてニヤリと笑った。


『あと、ライカン・フェニアをのせた馬車を追跡中のイーゴリ小隊から連絡がないのですが、そちらには』


「ん、ないで」

『定期連絡、および交戦に入った連絡もないのです』


 エミー・ネーターは急に表情を引き締めた。


「そしたら今からそっち行くわ。狼と遊ぶのはまた今度にしとこ」

『お願いします。情況によっては撤退も視野に入れるべきなのかもしれません』


「撤退……ちっ、マダム・キュリーがリエカから動くんが予定より早かったか。エイダのタイムリミット差分は」

『前後十六時間です。今回は前倒しとなったようです』

「撤収はいつや?」

『予定通り、四〇分後にダンジョン外へ脱出。帝国領内へ帰還します。もうここに見るべき価値あるものはありませんから。もはや時代遅れ。墓所ですね』


「言うたるなや。ケプラーかて、兄貴のせいで設備改良を加えられる頭脳がごっそり抜けて、古いだけの骨董技術を後生大事に守っとるしかでけへんのはみんなが知っとたこっちゃ。

 もっとも、上から煙たがられとったお荷物ライカン・フェニアがあそこに残ったんは今でも謎やけどな。ま、ええわ。ほしたら、気ぃつけて帰り」


『はい。では』

 通信を切ると、もう一度エミー・ネーターは悔しげに木を見上げた。


「運がよかったのぅ、わんこ。お前と遊ぶんはお預けや。──〝ニーズホッグ〟っ」


呼びかけに応じて道の泥が盛り上がり、頭だけでプレジャーボートほどの白いワニが現れた。


 エミー・ネーターはその頭頂に跳び乗ると、船艇なみの速度で西へ走り去った。


  §  §  §


 エミー・ネーターの足音が消えるのを待ってから、俺は地面から起き上がった。

 頭から袋を取ると、泥水で顔を洗った。


「こっちも遊びやってるつもりはねぇんだよ。怪力ねーちゃんっ」 


 俺は自分の脚に〝移風道動〟レビテーションをかけ、さらに全身に【風】をまとった。


「あっちの戦力は、殿下しかいないんだぞっ」


 俺は殿下に大火力の火線を封じるようにいった。マナ消費が激しいからだ。マナがゼロになれば精霊はその場で消滅するため、ヘレル殿下に攻撃を禁じた。

 だから、馬車を停められることはあっても、追っ手の馬車四台が全滅することはない。


 ヤツらの会話の異常事態は、同時に仲間の周囲でも異常事態が起きていることを意味する。


『つい今し方、〝翡翠荘〟での水の魔物騒ぎとの関連性は?』

『チッ。知らん』


 横の情報伝達が取れてないことを逆手に取った仲間割れ。いや、手柄の奪い合いが始まっている。敵の狙いは、ライカン・フェニア。そして、大精霊イフリートだ。


 このままでは、ハティヤが持たない。


「間に合えっ、間に合ってくれ!」

 俺は雨のとばりを突っ切った。


  §  §  §


「イフリート。ほら、マナ鉱石じゃ」

 ドロップ缶から虹色の石を出して、精霊の口に押し込む。

 頬の中でごろりと音がして、濡れそぼった赤髪の間から、イフリートが目を開ける。


「フェニア……狼、は」

「もうすぐ来る。きっと来るっ。それまでの辛抱じゃ」


 追っ手の軍用馬車四台は、もういない。

 彼らは最初の接敵からわずか数分で全滅した。

 その全員が、雨で溺死した。

 この異常災禍の正体にいち早く気づいたのは、イフリートだった。


「〝ウンディーネ〟が、来た」

「えっ?」


 きゃあっ。御者台で悲鳴が上がり、イフリートが幌カーテンを開けると、ハティヤが御者席に座ったまま雨水に包まれて溺れかけていた。


 イフリートがすぐに雨の中に手を突っこむと蒸気をあげて霧散した。


「げほっ、げほっ……なによ、これっ。魔物の仕業?」


 ハティヤは魔物の免疫があるようだ。吾輩はいまだにこの手の非科学現象に慣れない。

 イフリートが水へ突っこんだ手から煙を立ち昇らせながら、悔しそうに言った。


「魔物ではない、精霊だ。ウンディーネの干渉域に入った。余が抵抗を試みるが、この雨では長くは持たん。一気にここを駆け抜けろ」


「う、うん。わかった」

「あと、川には近寄るな」

「それは無理」

「なに?」


「この先、橋がある」

「回避しろ」

「だから無理なの。他の道はその橋を渡ってから」

「ならば、余がなんとかするっ。突っ走れ!」

「わかった。でもそれ、私じゃなく、馬に言って!」


 それから三〇分ほどして、橋を突っ切った。川から横殴りの波が何度も馬車に叩きつけてくる。


 イフリートは馬車の中でZENを組んで、両手を結んでいた。吾輩もせめてイフリートにマナを補給させてやろうと、背嚢に手を突っこんでマナ石の容器を引っ張り出す。

 浅い円形のドロップ缶。菓子〝ハルヴァ〟を入れていた物だが、稀少なマナ鉱石の入れ物に持ち歩いていた。アスワン帝国から持ち出した物はもうこれだけになってしまった。


 それからしばらくして、


「橋、抜けたよーっ!」

「油断するな。追ってくるかも知れんっ。それより、狼はまだか」

「あはは。この走ってる状態で狼が追いついてきたら、魔法使いは確定よねえ」


 少し余裕が生まれたのか、ハティヤは軽口を叩く。やがて、馬が泥を蹴るリズムが変わった。


「どうした」

「これ以上は速く走れない。馬が死んじゃう。休憩できない?」

「止まるな。馬の都合は任せる」

「わかった」


 それからまた三〇分ほどして、イフリートの顔色が悪くなってきた。

 吾輩が、そっとマナ鉱石を差し出す。


「口に入れてくれ。〝界〟を崩すことができぬ」

「うむ」


 イフリートの口に入れてやると、口の中で石がゴロゴロと音をさせる。


「大丈夫かや」

「この雨がウンディーネに味方している。ヤツの干渉域は広大だ。もうしばらく進まねばなるまい」


 ぷっとイフリートが行儀悪く石を吐き出す。虹色は失われ、真っ黒い石炭に変わって床を転がった。吾輩は新たなマナ鉱石を口に持っていってやる。


「すまん。吾輩のせいなのじゃ」

「気にするな。人と共にあるこの情況、存外、退屈はしていない」

「吾輩と共にある時は、いつも逃げてばかりじゃな」

「ふっ。それは間違いない」


 やがて、馬車が止まった。


「ハティヤっ!?」

「出てきちゃダメ……っ。あと、声出さないで」


 幌カーテン越しにハティヤの小さいが鋭い制止の声。吾輩はカーテンに触れる指先をとっさに戻した。

 ただ守られておるばかりでは不甲斐ない。吾輩は、ナイフで幌カーテンに小さな傷を作った。そのわずかな隙間から、外を窺う。

 ハティヤの見つめる彼方。大きな水溜まりの上に暗黒のドレスをまとった女が立っていた。

 顔の判別は困難。濃い黒ヴェールをおろしている。


「あなた、ライカン・フェニア?」

「……そうよ。……あなた、誰?」


 なにを。ハティヤ、やめるのじゃ。吾輩は思わずカーテンを剥ぐって飛び出そうとした時、後ろから口を塞がれた。イフリートが防御陣を解いた。


「わたくしは、マダム・キュリー。……マダム・キュリー・ウンディーネです」

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