第28話 動乱の中を行く(26)


 俺は両手を挙げたまま、イスに座った。


「あの、用件をお訊きしたいのですが」


 ヴィラと名乗った魔物だか精霊だかが顔を見合わせた。

 コポコポ……。コポコポ……。

 四人の水柱少女が同時に右へ首を傾げた。


「「「「動くな」」」」


 殺す命令はされていない。俺は一定の理解が進んだ。両手を下ろす。


 目的はあくまでも、ライカン・フェニアか。それなら、俺をこの〝翡翠荘〟に足止めしている間に〝たんぽぽと金糸雀カナリヤ亭〟が襲撃されているとみていい。

 ライカン・フェニアの身柄を奪取する彼らの計画──〝要人略取任務スナッチミッション〟は、俺が頑張って隠したところで揺るがなかったらしい。


 帝国はパンドラシステムの設計者ははおやを一度殺し、再誕場所で拉致。そして帝国へ護送。その知識を使って〝不老不死〟を帝国側で実現する。潜入のタイミングもオイゲン・ムトゥの死期に絞り込んでいたことからも、見事なテロリズムだ。


 そして、俺はその計画コースのデザートにも数えられてない、ついでのはずだ。


 計画上看過できない障害とまでは言わないが、要所要所に居合わせる、なんだかよくわからない奇妙な生き物。それで予防として、急場の足止めをすることにした。


 殺さないのは、ライカン・フェニアの暗殺。培養槽ルームでの拉致。その両方で俺がどこまで関与しているのか確定的な証拠を掴んでいないからだ。


 ただ俺の目撃情報だけが飛び交って、その目的意図や行動分析が遅れている。

 勇み足で目障り感覚で踏み潰そうとしながら、うっかり殺し損ねたらまた戦力を割かなければならなくなる。これ以上のタイマーロスはさすがに許容できなくなってきているのだろう。


(計画は一本……。だが、担当が違う?)


 セニの町。ティミショアラ。そこから北へ移動に六時間もかかるダンジョン。俺でも馬車で片道十日以上の移動距離だ。輸送ヘリはおろか、森を突っ切る装甲車もない。少人数単位で各自行動しなければ迅速な計画消化ができない。か。


 暗殺。攪乱かくらん拉致らち。少なくとも三つのセクションで三人の現場指揮官がいる。指揮系統がまとまっていないから横の情報伝達がうまくいかないのは軍の縦割り組織なら日常的なことだ。


(にしても、その足止めが、なんか大人しそうな液体少女の魔物か)


「あのさ、ヴィラ。教えてくれないかな」


 試しに声をかけると、四体の水柱少女が俺に振り返った。一糸乱れぬシンクロナイズ。仮面のような顔みたいなのが同時にこっちを見るので、ちょっと怖い。


「精霊イフリートって知ってる?」


 コポコポ……。コポコポ……。


「「「「マスターがあの暴れん坊を欲しがってる」」」」


 欲しがっている。あの暴れん坊? もしかして、ミェルクリはそのマスターと繋がっていた? もしかするといきなりビンゴを引いたかも知れない。


「そりゃあ。なんていうか……。あんまりだよなあ。マスターには賢いヴィラがいるのに、悪いイフリートを使いたいなんて」


 するといきなり俺の周りを取り囲み、顔を鼻先に近づけてきた。


「「「「そうっ。マスターはわかってないっ。イフリートは手に負えない乱暴者」」」」


 あ、はい……。四体の水柱少女が感情豊かに訴えてくるのはいいとして、サラウンドで耳が気持ち悪くて仕方がない。


「「「「イフリートは乱暴だし、暴食。おまけに威張りん坊で、機嫌を損ねただけでも町燃える。あいつみんなの嫌われ者」」」」


「ああ。暴食はわかるよ。この間も、あいつ。地表から飛び出してくる蒸気の中に頭を突っこんで、どんどんマナを吸い込んでいたんだ。俺が止めてなけりゃ、温泉がただの池に変わってた。はた迷惑なヤツだよねえ」


 ちょっと誇張したが、憎きイフリートと同調したのがお気に召したのか、ヴィラたちは楽しそうに笑った。それが納まると、急に機嫌が悪くなった。


「「「「なのに、マスター。大食らいイフリートで道具作ろうとしてるっ。ヴィラじゃ大した物作れないって。ライカン・フェニアにできて、自分にできないことはない。いつも言ってるっ」」」」


〝魔導砲〟の開発、か。ビハチ城塞襲撃の情報が帝国まで届いていた。この世界にはいまだ火薬はない。その代わり、マナタンクである精霊や魔法式を利用する魔導兵器の技術競争が国際社会の水面下で激化し始めてるのだろうか。


 忘れていた。帝国にとってライカン・フェニアの価値は〈PANDORA〉だけはない。魔導兵器応用学の分野においても着目されている科学者なのだ。三〇〇年かけてアスワン帝国から学んだのは、医学や魔法だけではなく、魔導兵器の基礎理論も修得ずみか。。


 それでコウジカビだとか外科手術だとか、あの人マジ天才だろ。


(この子らのマスターは、イフリートを直接知っている。おまけにライカン・フェニアに嫉妬できるレベルの科学者か)


 嫉妬が才能を曇らせる科学者って、どこにいっても孤独なのかな。新発見の名声に浴するはわが一身なり、とか。先達の知識ばかり漁ってきた科学庶民には、最先端でしのぎを削ってる一流の気持ちはよくわからん。


(いや、案外ナマグサい所で、名声から生み出される予算がらみとかだったりするのか。博士も研究費調査費に意地汚いところあったし)


「ねえ、賢いヴィラ。マスターの名前って教えてもらうことってできるのかな?」

 四人の水柱少女は顔を見合わせて、


「「「「ウー・チェンシュン」」」」

「そっかあ。うん、ありがとう」


 ──パンッ!


 いきなり俺が顔の前で両手を叩くと、反響が拡がり部屋全体が凍りついた。

 ヴィラは四人とも顔を見合わせたまま氷の彫像になった。

 だが──、


 ピシッ。

 鋭い破砕音とともに、少女像の顔に深いヒビが走った。


「げっ。待て待て待って、立ち直るの早すぎだって!」


 凍結が甘かったか。前後左右は氷の彫像で固められ、逃げ場がない。

 ならば。俺はイスに座ったまま、その場で【風】マナで一回転。床がくり抜かれて、イスごと下階へ落下した。


 尾てい骨を衝撃が貫いて床に投げ出されるのに、二秒もいらなかった。腰を押さえつつ四つん這いでベッドまで逃げた。

 サイドテーブルには、なぜか鉄のインゴット。まさか文鎮がわりにしてるのか。


「だましたなぁあっ!」


 天井から現れたのは、四分の一人になったヴィラ。やはり氷漬けになった大部分は動けないらしい。少女だったのが老婆の形相でつっこんでくる。


 武器になりそうなのは、鉄のインゴット。掴んでみて、重さは二㎏ほど。大ペットボトル一本分。なぜか手によく馴染む。


 投げられないことはないが、相手に避けられる重さだ。

 だから引きつける必要がある。いや、それならいっそ投げつけるのではなく、叩きつける。その、一か八かの距離まで。


「だましたなああっ!」

「騙したつもりはないけど……、ごめんな。可哀想なヴィラ」


 つっこんできた水の魔物に、俺は両手で振り上げた鉄のインゴットを叩きつけた。


 バシャア!


 老婆の顔面が潰れた。悲鳴の代わりに水しぶきが飛び散り、命を宿していた水柱はただの水に戻り、それを俺は全身にかぶった。


「ふぅ。はー。もしかして……これ、俺が作ったヤツ?」


 しげしげとインゴットを見つめる。インゴットのあちこちに赤や青のつぶつぶ結晶が見える。


「てことは、この部屋……」


 俺はいきおいよく頭をふるって立ち上がる。

 日本人はこういう時、すぐに死んだおじいさんのお陰だとか言い出すんだ。違うね。このインゴットは俺が作ったんだ。だから、俺のお陰。俺の幸運。ヨシ。問題なし。


 そんなことより、ハティヤとライカン・フェニアが気になった。

 部屋を出ようとドアを開けると、目の前に人が立っていた。


「ここで何をしていた。ここは私の私室となる部屋だぞ」


 新家政長ヴィクトール・バトゥだった。

 怒鳴るタイプの軍人ではないらしい。が、間近で見ると胸板の威圧感が凄まじい。


「これは大変失礼を、やむを得ず三階から室内に参りました」


 俺の説明に、彼は俺の背後を見上げた。

 部屋の天井を見上げ、それから床の濡れそぼった絨毯を見て渋面のまま嘆息した。


「なるほど。魔物と交戦したというのは事実のようだ。ちなみに上階の損害は」


 当然の被害報告を求められ、俺は内心首をすぼめた。


「はい。水の魔物の侵入により、窓ガラス四枚が損壊。絨毯、壁が凍結毀損。また、こちらの部屋の天井および三階の床板を緊急避難口として切開しました。死傷者はありません」


「敵の状態は」

「はい。水の下位精霊と思われる個体四。上階で凍結させましたが、その後、一体が分離。なお追撃を受け、やむを得ずこの部屋まで退避。その場にて速やかに同残存を排除しました」


「ふむ。きみは軍属経験があるのかね」

「いえ。とくには」この世界ではな。

「そうか。相わかった」

 意外とあっさり許された。魔法の使用有無が聞かれなかったのはひっかかったが。


「それで、この部屋から持ち出そうとしているのは何か」


 今度は盗賊か密偵の詮議か。ま、家政長の私室だからな。


「それだよ。きみが今もっている、それは今から私の私物となるものだ」


 再度指摘されてようやく、俺はインゴットを持ったままなのを思い出した。


「あ、大変失礼しました。敵の撃退に使用させていただきました。マナを含んでいましたので、このお陰で命拾いをしました。お返し致します」


 急いで両手で差し出した。新家政長はそれをじっと見つめて、


「……まあいい。もって行きたまえ」

「えっ。よろしいのですか」


「魔物撃退の褒賞として授与しよう。──くだらぬ陳情人に投げつけるにはちょうどよいと思っていたのだがね」


 冗談か? 俺は無言で頭を下げた。


其許そこもと。名前は。その身なりは商人か?」

「狼、と申します。セニの〈ヤドカリニヤ商会〉に身を寄せております。前家政長オイゲン・ムトゥ様には大変お世話になり、この度、タラヌ・カターリン右尚書令の招請により、まかり越しました」


「ふむ。カターリン枢機卿は私も存じている。相わかった。下がってよい」


 お辞儀すると、俺はドアを閉めた。そこではたとアイディアがひらめいた。

「そうだ、今度これでウルダとスコールの短剣を打ち直そうか。そうしよう」

 いい土産ができた。俺はインゴットを手に廊下を進んでいった。


   §  §  §


「お呼びでしょうか」

 私室にハザウェイが入ってきた。


「おひい様の様子はどうかね」

「はい。狼が魔物を撃退したという報せを受けて、ご安心されたご様子」


「そうか。それは何よりだな」


「狼は、気づきましたか」

「ほう。そこに興味があるのかね?」


 意地悪く問い返す。この優男は相変わらず、気のない笑い方をして誤魔化そうとしているが、本音は気になっているから訊いたのだ。


「気づかなかったよ。さすがに、まるで別人だからな」

「いやぁ、そうでしょうね」


「それよりも、ライカン・フェニアや連れのことで頭がいっぱいのようだった。当然だな」

「ええ。ライカン・フェニアの価値をようやく思い知ったでしょうからね」


 表情が変わった。兄が弟を想うような、訳知り顔だ。私もかつて弟だったからよくわかる。この顔をされると、弟は意固地になるものだ。


「ああ。だから自分が魔物に襲われたばかりで全身ずぶ濡れなのに、仲間の許へ戻っていったよ」


 私は、自室の天井に開いた丸い穴を見上げて、言った。


「勇者だな。タクロウは、どの世界でも勇者だ……。お前は、また嫉妬するかね」


「ええ。それがオレの励みですから」

「ふっ。励みか。なら、もう少しフェアにやりたまえ」


「どういうことでしょうか」


 私に言わせるのか。執務イスに身体を預けた。イスが若干小さくなっている錯覚に苦笑する。


「彼になら、きみの〝現況いま〟を明かしてもかまわないと言っている。そして狼に利用され、利用しろ。それでこそライバルというものだろう?」


「お言葉ですが、オレがあいつとまともにやっても、勝ち目が出ないもので」

「ふむ。やはりきみは慎重、いや案外ケチなのだな」


「あっははは……。7対3でも。8対2でも、道化は勇者には勝てないですから」


「ハザウェイ。きみはもう道化ではない。今後自分のことを道化というのはやめることだ。きみのためにならん」


「……」


「きみの強みは、敵味方、両陣営をすり抜けて泳いでいけるその透明性だ。そして私が育成した〈串刺し旅団〉〝森羅〟に勝るとも劣らない情報収集力だ。だから私は、きみに──〝雲〟を認めたんだ」


「過分のご配慮だと受け止めています」

「本音は私にも明かせぬか。……なら今は、これだけ心に刻んでおいてくれ」


「……」


「勇者が進むべき道に迷った時、必ず見るものは、おのれの影だ」


 ハザウェイの顔に初めて驚きがよぎった。

 私は満足した。今の彼は、初めて会ったばかりのタクロウを思い出させた。口にすれば二人とも嫌がるだろうが。


「今後も、ニフリート・アゲマント・ズメイのため、よろしく頼む。下がってよい」

 命じると、ハザウェイは一礼して、退室した。

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