第7話 鎮魂歌(レクイエム)は地下に届かず(2)


 エウノミア。

 その名前で、俺の動いていないはずの心臓が一つ跳ねた気がした。


 黄昏の四魔女の一人にして、帝国魔法学会に三〇〇年もの間、封緘ふうかんされ続けた魔女。〝過去視〟の魔眼の元保持者。

 そして、〝黒狐〟ゲルグー・バルナローカこと、ヘーデルヴァーリの恋人。

 

 生きていたんだ。思わず俺も近づこうとすると、男三人がかりでナイフを抜かれて阻まれた。めちゃくちゃ警戒されている。俺は憮然として戦斧を前につきだした。


「これ、誰か預かってくれ。あとで返せよ。借り物だからな」


 男らは顔を見合わせて一人が受け取る。否や、その男は斧の重量に負けて両手で持ち、さらに腰をふんばる。俺と斧を見比べる目が驚愕で見開かれた。


 俺は自分からボディチェックをするよう両腕を広げて催促した。


「早くしてくれ。二人の話を聞き逃したくないんだ」


 男二人は警戒と戸惑いをブレンドした顔で、俺に武器の所持がないか調べていく。確認が終わると、あごで行けと合図された。


「エウノミア……師匠せんせいっ、どうしてこんな地下にっ!?」


 シャラモン神父は、驚き呆れた様子でカンテラに浮かびあがる妖艶な微笑を見つめた。


「さっきから同じ問いばかりだな。どうした、レイ? ご覧の通りだ。わたしが、寒さが苦手なのは知っていよう。草花も種に戻った。妾も一時の種眠を貪ってるところだ」


「帝国魔法学会が、あなたを魔女指定までして探しているのですよ」


「ん? ふっ。そんなのは三〇〇年前からずっとだ。ポジョニも妾の居場所を知ってなお放置してくれている。ま、妾の持っている知識の使い所が出れば、脱獄の件を持ちだして何か言ってくるつもりだろう。食えぬヤツだからな」


「そんな、悠長な……っ」


「案ずるな、わが愛弟子よ。学会と反りが合わぬ年季だけは、お前より長い。それより、お前の着衣から僧侶の香がするぞ。どうした。とうとう魔法使い稼業に愛想が尽きたか?」


 冗談めかしの指摘に、シャラモン神父が急に幼くなった表情で息を大きく吸い込んだ。


「一〇年前の帝国政変で、〝水鏡の魔眼〟をアウルス3世に奪われました。それを機に魔法使いであることを隠し、サンクロウ正教会司祭の職位を得ました」


「ふむ。それは笑い所かな?」

「ぐっ。……笑いたければ、どうぞ」


「だが、お前。魔眼を奪われたとて、今は妾が見えておるのだろう? マナ反響の放出を感じなかった。入ってきてすぐ、妾を眼で見つけた。そうだな」


「はい。僥倖を得て、今は〝緑雲の風眼〟を装着つけています」


 相変わらず眼玉がコンタクトレンズみたいな感覚だよなあ。俺は心の中でツッコミを入れた。


「ポジョニだな。あの策士めっ。……無念だ。ジナイダの非業は聞いている。魔法使いとしても学者としても、為政者としても、得がたい逸材であった」

「はい。救うこと……叶いませんでした」


 シャラモン神父は忸怩じくじたる表情でうなだれた。 


「戦争とは、愚か者が起こし、邪知じゃち深い者が真実をねじ曲げ、正直者だけが割を食うのが、世の常だ。もはや十年。取り戻すには遠い。気に病むな。

 それより、ムラダー・ボレスラフはどうした。あの小僧。ジナイダのやしきの前で、十数人の騎士を道連れにして果てたと聞いたが。その三日後に、処刑場に現れたとも聞いた。真偽はどうなっている?」


「生きています。今はカラヤン・ゼレズニーと名を変えて〝七城塞公国ジーベンビュルゲン〟へ向かう旅商人の馬車に同乗しているはずです」


「ほほう。カラヤン・ゼレズニー……〝黒鉄くろがね〟か。貴族名ボレスラフよりもあの男らしい名前ではあるな。しかし、いつまでも落ち着きのない小僧よ。エディナもさぞ手を焼いておるだろう」


「それが現在、婚約しております」

「おやおや……あのジャガイモが?」 


「相手は、ヤドカリニヤ家の一人娘です。メドゥサ・ヤドカリニヤ」


「なっ……ぷっ。くふふっ。なんとも因果だな。エイレネの娘と契るか。……ああ。やはり世界は面白い。広いようで狭い。味気ないようで奥深い」


「はい。まことに」

「ほう。石頭だったお前が、しみじみとそんな感慨を持つ日が来るとはな。お前にも何か変化があったのかな? 聞かせてくれ」


「はい。現在、子供を七人養って一〇年になります」


 それを聞いた途端、室内が震えるほどの笑い声が爆発した。もしかして声ではなく、マナが爆発したのか。まるで〝竜〟の哄笑だ。


 周囲の人間が耳を塞いで昏倒した。俺はあまりのことに耳を立ててその場で硬直する。平然としているのは会話している師弟だけだった。やがて哄笑も収まった。


「うっくくくっ……ここっ、二〇年でっ、最高のっ、わ、笑い所っ、ではないかっ」

 シャラモン神父は師の爆笑癖に慣れきっているのか、憮然として一瞬、押し黙った。


「その中に、ジナイダの娘も含まれております」

「な……なにぃ? ジナイダは妊娠したのか」


「子を宿した時は、二一。初産としてはいささか晩産です。しかも政変の四年前にです。そして、どうやら……その娘はアウルス3世の血を引いております」


 魔女は軽くテーブルを拳で叩いた。

「おのれ、アウルス3世っ。どこまでも業の深いっ。……関係者は」


「預けられていた乳母家族は、まとまった金を与えてサヴォイア領へ逃がしました。その時、乳母から聞きましたが、どうやらアウルス3世自身は、我が子の存在を知らないようです。娘も、今後も私の娘として育て、真実を伝えるつもりはありません」


「ほぉう……」魔女の声音がふいに蔑むような悪意に変わった。「帝国にあれほど疎まれ、左遷つまはじきに遭い、挙げ句に魔眼まで奪われて、なお帝国を許すというのか? 最強のカードを持っていながら?」


「許したわけではありません。ただ一国の存亡など、わが子の未来に比して、どうでもよくなったのです。この〝緑雲の風眼〟にかけて」


「ふふっ。言うようになったではないか。不肖の弟子。返すがえすも、世界とは広いようで狭く。時は長いようで短いものだな。しかして我らはポジョニの掌の上、か」


「口惜しいですが……。最近、カラヤン・ゼレズニーに説教されました。帝国へ復讐の道具として子供を育てるのなら、今すぐお前を殺して自分が子供らを育てる。と」


「ふーん。相変わらず仲がいいな。お前たちは。羨ましくなるよ」


 テーブルに頬杖をついて、魔女は妖艶に微笑む。眼を閉じたまま。


  §  §  §


「ところで、師匠せんせい。私をここに呼んだのは、あなたですか」

「おれだよ」


 ポンチョパンチがしかめっ面で遮り、その顔を魔女に向けた。


「先生。あんたもあんただ。世間話をするなとは言わねえが、ちっとはこっちのメンツも立ててもらわねぇとな」


「すまんすまん。あと一つだけ事実を言ったら、もう黙ることにしよう」


 そう言って、エウノミアは飲み物に口をつけた。漂う匂いからワインと知れた。


「お前のことはアンドレアス・ボーデンシュタインから聞いていた。元は彼の前任者である修道女と私が五〇年来の昵懇じっこんだった。その流れで孤児院に傷薬や腹痛の薬を調剤していた」


「その修道女は、今」

「無論、星に還った。おっと、サンクロウ正教では主に召されたと言うんだったな。以上だ」

「わかりました」


 シャラモン神父がうなずき、ポンチョパンチに向き直る。


「用件をうかがいましょうか。町長殿」


「ボグダンだ。アラディジ──あんたらにとっちゃあリンバロムナ商会の方が通りがいいか。そこの仕切りをやっている」


 手短に自己紹介し、本題に入った。


「おれの娘を捜してもらいたい」

「人捜しですか」

「カールシュタット孤児院に縁のある坊さんなら、できるんだろう?」


「その前にいくつか質問を。孤児院を取り壊したのは?」

「おれだ。手下に命じた。あそこを部外者に居座られると少々まずくてな」


「地下への入口ですね。取り壊した時期は」


「夏だ。アスワン軍との戦争で子供たちが避難しているどさくさに始末した」

「では、子供たちは」


「町の外に出した。終戦になって避難解除されて、すぐだ。アンドレアスがあんなことになってすぐにでも対応したかったが、子供たちが嫌がった。アンドレアスがいたあの家が気に入ってたんだろう。

 だが戦争に入って、アスワン軍の斥候せっこう(偵察隊)に聖堂所が眼をつけられた。もうあの家に置いておけなくなった。

 聖堂所を取り壊し、子供らを他の孤児院に移したわけさ。なのに、おれの娘だけの行方がわからなくなってる。そいつを捜してもらいたい」


「名前をうかがいましょう」

 シャラモン神父はやる気らしい。子供と聞いては彼の正義が疼くのだろう。


「エステルだ。十五になる」


「十五歳……実の娘を孤児院に預けていたのですか?」

 シャラモン神父が非難の眼差しを向ける。我が子に同い年がいるからだろう。


 前の世界。俺のいた児童養護施設にも、片親家庭で仕事の都合上、一緒に暮らせなくて預けられてきた子はいくらでもいた。

 週末になると迎えが来て一緒に過ごすために施設を出、日曜の夜に戻ってくる。中学校にあがる頃には預けられなくなって、それっきり。というのは割と多い。

 この世界の孤児院は本当に親権者がいない身寄りのない子供だけらしい。ゆえに、親を名乗るボグダンの無責任を糾弾したくなるのは道義的反射なのかもしれない。


「エステルは母親譲りで、おれと容姿が違う。目や髪の色、肌もそうだ。親子と見られなくて、連れて歩けなかった。居場所がなくて困ってた時にアンドレアスが預かろうと言ってくれた。アレが五つの時だ」


「それでは、陰ながら聖堂所に支援を?」俺が水を向ける。


 ああ、もちろんだ。ボグダンはよくぞ訊いてくれたと誇らしげに主張する。


「バリバリ働いて、あそこに真っ当な金を送った。……というか。その金をダシにして、アンドレアスから娘の成長を聞くのが、おれの生き甲斐になってた」


 俺がいた施設にも、父親が東京で暴力団の合法フロント企業の社長をしているという子がいた。東京の学校に通わせられなくて、母親の旧姓を名乗って地方の施設に預けられていたらしい。ずいぶん後で知って驚いたものだ。


 俺たちは彼の父親を「お菓子のおじさん」と呼んでいた。いつも迎えにくる時、段ボール箱でお菓子を差し入れてくれたので人気があった。優しい人だった。


 閑話休題それはさておき


「去年の冬だ。アンドレアスがカールシュタット内でられたと聞いて、何かおかしいと思った」


「というと?」

「上の町は、おれが作ったからだ」

「それでは、この地下の町は?」


わたしだよ」と、魔女がワインカップを持ちあげる。


「最初は実験施設だったのだがな。アラディジが勝手に住み着いたのを黙認して七〇年ほど経つかな。上に住むために、ここで商売を兼ねた職業訓練みたいなことをするのだとか言って。だが実際は万引きやスリ、ペテン師や故買屋が横行して悪の温床と化しているがな」


「先生、それじゃあおれ達が悪の組織になってるじゃねえか。おれ達だって法に外れれば取り締まってる。ただ数が多すぎて、手が回らねぇだけだ」


 ボグダンは苦々しく言い訳する。


「では、ミチルさんも?」

「おおっ、それだ。あいつは商会で真っ当にやってる。あと、ナギサもな」


 支店長もここの出か。学校がないだけに、生活をかけた実戦勉強はさぞ大変だったろう。


「つまり、ボグダンさんは自分の目が届く、上の町でアンドレアス神父が殺されるはずがないと。そう言うわけですね?」


 俺の指摘に、ポンチョパンチは断言しなかった。


「たまに、おれの目が届かない場合はある」おいおい、頼りねぇな。

「だがな、狼頭。あの孤児院に手を出すヤツは、このおれが許さないのは、みんな知ってたんだ」


「ということは、犯人は捕まらずじまいですか?」

「まだ捜してる最中だ。手がかりになりそうなネタは挙がってねぇがな」


 と不機嫌な顔をする。メンツを保とうとするがうまくいってない。町を仕切る顔役にしても、いささか心許ない気がする。それとも捜す気がないのか。


「それでは、どんなネタなら挙がっていますか」

 俺が訊ねると、怪訝な顔をされた。

「捜してくれるのか」


「まだアンドレアス神父の話ですよ。エステルさんを捜す手がかりがない以上、お手上げです。応急対応として、神父の死から情報を得るほかない。というだけです。二人の関連性も太いとも細いとも言えません」


 ぐぬぬぬっ。ボグダンがブルドッグみたいに唸るが、俺は取り合わない。


「アンドレアス神父が殺された日。常日頃から平服だった彼が、法衣でどこかへ出かけています。どこへ行ったか知っていますか」


「大聖堂だ」

 俺とシャラモン神父は顔を見合わせた。

 信用されてないと感じたのか、ボグダンは念を押した。


「おれの手下は上の町にもいる。ヤコブの酒屋で安酒を買って、その場で飲んで帰ったところまで掴んでる。間違いない」


 神父はやはり酔っ払っていた。ここで、ミチルの証言が補強された。

 俺は何か重要なピースを拾った気がした。

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