第6話 鎮魂歌(レクイエム)は地下に届かず(1)


「これですね」

 地図を手に、俺は足を止めた。

 カールシュタット共同墓地。墓石ではなく、木製の墓碑だった。


 故人の名前は十字架に木炭で乱雑に書き付けただけ。それがたった一年の風雨にさらされことで、かろうじて読めるほどになっていた。


【アンドレアス・ボーデンシュタイン】


 十字架の脚には、やはり木炭で「私たちの先生」「さびしい」「いつ起きるの?」など寄せ書きみたいに不規則に書かれていた。


「彼は、子供たちに慕われていたようですね」

「そうみたいですね」


 つい、返事がお追従ついしょうになってしまった。だめだな。俺は今でも故人をしのぶのは苦手だ。気の利いた言葉も出ず、ただ立っていることしかできない。


 そんな俺の言葉にも、シャラモン神父は微笑でうなずく。それから墓碑に向かって十字を切ると、そっと呼吸を調ととのえた。


なんじ、受けようとする苦しみを恐れてはならない。

 汝、死に至れども、いまだ滅びぬ内なる心に忠実で、あれ。


 主はのたまわく、


 二人の男が畑にいれば、一人は連れていかれ、もう一人は残される

 二人の女がうすをひけば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される


 死が二人を分かつに、主は沈黙を守り、残された者に静寂と無常を諭す。


 ただ汝、目を覚ましてあれ。眠ってはならぬ


 いつの日にか、主が汝の子らにきたるのか、汝には分からないからである


 家の主とは、目を覚まし、盗人が夜のいつを来るかを知れば、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう


 ゆえに、汝こそ目を覚まして、あれ。その時を眠ってはならぬ


 汝、受けようとする苦しみを恐れてはならない

 汝、死に至れどもいまだ滅びぬ内なる心に忠実で、あれ

 さすれば、いのちの冠を与えられん           アーミン  」


 葬唱が終わると、俺も墓碑に向かって無宗教らしく頭を下げた。


 僧侶は死者の冥福を祈るものだと思っていた。なのにシャラモン神父は、死者にねむるなと声をかける。お前には死してなお守るべき者達がいるだろう。と諭す。


 これをカラヤンが聞いたらどう思うだろう。シャラモンらしいと言うか、変わったなと言うか。でもきっと、笑いはしないだろう。きっとそれが同じ親の心なのだろうから。


 その直後だった。

 耳が墓地の外から足音の接近を捉えた。数は、五人。歩調はやや速い。


「神父」

 小さく声をかけて、俺は門番然と振り返り、両手に戦斧を構えた。


 やがて墓地に入ってきたのは、無精髭のオッサン連中。レンガ色のリネンシャツに、丈が脇腹しかない黒ベスト。下は黒パンツに革ブーツ。


 真ん中のオッサンだけ、赤を基調とした派手な紋様のエスニックポンチョをまとっていた。


「カールシュタット孤児院があった土地に顔を出したってのは、お前らか」


 真ん中のポンチョが言う。頬ひげのパンチパーマ。彼らの中で一番背が低いが、存在感は無視できない。彼らのボスなのだろう。


「そうですが」

 シャラモン神父が身構えず応えた。


「お前、ここらじゃ見ない顔だな」

「はい。カールシュタット孤児院の後任としてボーデンシュタインと約束していた者です」


 頬ひげのパンチパーマが前に進み出てくる。


「名前は」

「サンクロウ正教会司祭レイ・シャラモンです」

「ふん。あんたも坊主ってわけか」

「はい」


 よどみなく応えるシャラモン神父。すると取り巻きの一人が耳打ちし、ポンチョパンチは目をすがめた。その視線が今度は俺に向く。


「ちょっと顔を貸せ」

「話は長くなりそうですか。市街地に家族を待たせてあるもので」


「そりゃ、お前ら次第だ」

 ポンチョパンチは言いたいことだけいうと、取り巻きを連れて墓地を出た。


「神父、どうしますか」

「それを私に訊くのですか?」


 質問を質問で返されて、俺も思わず頭を掻いた。ばつが悪い。護衛役としてついてきたのに嫌な予感が先に立つ。


「なんか、恐そうじゃないですか。さっきの連中」


「少なくとも、私には身に覚えがないので大丈夫でしょう。それとも──」

 シャラモン神父は娘にそっくりの瞳で、俺をじっと見つめてくる。

「彼らの知りたいことを、すでに狼さんは何かご存じなのですか?」


 俺は慌てて顔を振った。


「トラブルから無事に生きて戻るには、何も知らないことです」

「ふっ。確かにそれも悪くない処世術です。では、参りましょうか」


 シャラモン神父は墓地に入ったのと同じ足取りで、墓地を出た。


  §  §  §


 ついて行った先は、カールシュタット孤児院跡地だった。


 瓦礫ひとつない泥の更地。そこに来る時に見かけた〝切れたナイフ〟の若者達が、待ち構えていた。

 ぐぬぬ。これで十人対二人。さすがに分が悪いか。


「おい、ここには誰も来てねえな」

「うっす」


 体育会系の返事をして、リーダー格らしき若者が会釈程度に頭を下げる。そして、他の若者四人が地面の四カ所を持って、土をどかした。


 木板が土砂でカモフラージュされていた。そして、その下から現れたのは人ひとりが下りられる、井戸ほどの穴。中には木の滑り棒があった。

 それを持って下に降りる、ということだろう。


「ほう……地下ですか」

 シャラモン神父は感嘆の声を洩らした。


「話はあとだ。坊さん。早く降りろ」


 シャラモン神父は二番目。俺は四番目だった。消防隊員の出動みたいで張りつめた気分で地下に降りる。


 着いた先は、地下道になっていた。窮屈感はない程度の空間があり、天井もそこそこ高い。続く通路は暗いが松明の灯りはあった。やがて最後の男が降りてくると、穴からこぼれていた地上の光が完全に途切れた。


「おい、そこの松明を持って行け。ぼさっとするな。早くしろよっ」


 背中を小突かれて、まるで捕虜になった気分で心細げに進む。


 地下道は一本道で、坑木でしっかり補強されている。長い間、常用的に通っていたのがわかる。質問をしたくてしょうがなかった。


 例えば、どうしてこの地下道は下り坂になっているのか。とか。

 どうせ応えてはくれないよな。そう思って、ふぬっと口先に力を込める。


 体内時計で五分ほど歩いただろうか。天井から水がしたたり落ちる場所にさしかかった。

 俺の耳に、天井からの水流の音を聞き咎めた。


「……川?」

 直感的に天井を見上げると、背中からどやしつけられた。


「おい。止まるな。今度足を止めたら蹴るからな」


 んにゃろう。俺はむっとしながらも、無言で足を動かした。


 それから、さらに体内時計で一〇分ほど歩かされた。だけど俺の方向感覚は間違ってないはず。北だ。俺たちはコラナ川の下をくぐって市街地に入っている。

 バルナローカ商会からカールシュタット孤児院までの距離よりも短く感じられたのは、ここが直線距離だからだろう。

 そうだ。確か、ミチルが言ってたな。


(──あたしの名前は、アンドレアス・ボーデンシュタインがつけたんだ。七つまで名前すらなくて、この町の地下で暮らしてた。故郷なんてもんは、ここしか知るもんか!」


 この町の地下。少女が七年もの間、暮らせた地下空間か。

 だんだん行き先が読めてきたぞ。その一方で、いまだにコイツらの目的がわからない。


  §  §  §


 やがて、行き着いた先には巨大な鉄扉が現れた。


 ポンチョパンチが、おもむろに取り出した銀色のスプーンでその扉を叩く。

 チーン、チーン、チーン……ッ。地下空洞に鈴のようによく響いた。


 すると鉄扉の反対側からが開かれた。と、ともに人の雑踏のようなざわめきも漏れ出てきた。


 地下が、東京の夜くらいに明るい。

 地上を支える柱のいたる所に掲げられたランタンが、ガス灯のようだ。

 その下で多種多様な人種が行き交い、店を出している。


「ここは下水道ではないのですね。もとは避難居住区ですか」


 シャラモン神父も驚きを隠せず呟いた。


「いいや。坊さん。ここは町だよ。おれのな」

「町?」


 ポンチョパンチはそれ以上語らず、歩き出した。


 彼を追うシャラモン神父について俺も続く。一時は人ごみに流されて、見失いそうになる。匂いの情報量が多すぎて鼻も混乱した。それほど密度の高い往来ができていた。


 やがてポンチョパンチがレンガ造りの家屋に入った。やはりドアを銀色のスプーンで叩いて合図する。頑丈そうなドアが開くと、そこにシャラモン神父と俺が続く。


 室内には、七、八人ほどの男女がイスに座ったり、壁際に立っていた。


「まさかそんな……っ。師匠せんせいっ。なぜあなたがここにいるのですかっ」


 シャラモン神父は奥へ声をかけた。夢から醒めたような、どこか呆けた驚きを含んでいた。

 奥でイスに座っている女性へ歩を早めると、壁際に控えていた男女二人が僧侶の接近を阻んだ。


「よい、通せ。珍しい声を聞いたな。レイ・シャラモンか。ふふ……久しいな」

「エウノミアっ。どうしてこんな所にっ」


 俺の耳は、硬い柊の葉のようにそば立った。

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