第5話 平服神父の奇妙な足跡 


 ふいに視界の上方から、知っている匂いを感知した。

 ミチルを横へ押しのけると、俺は降ってくる人影を抱き留めて二、三歩後退あとずさった。


 軽い。屋根から飛び降りた猫を受け止めた気分。

 お日様の匂いと、華奢きゃしゃに見えて意外と筋肉質な体幹に、俺は慌てた。


「ウルダ。彼女は敵じゃない。それよりも、馬車はっ」献上のガラス瓶っ。

「スコール。狼、探しに来た。わたし探す。ここで狼、ハティヤ見つけた」


「狼ぃ? あんたがぁ?」


 ミチルがさげすむ目でこちらを見る。俺はウルダを地面に下ろして、両手を挙げた。

 違うんだって。何か誤解してないか。俺は断じてロリコンではないんだ。


 ミチルは俺の顔から足のつま先をめ回すと、


「ていうか、あんた。見たまんまじゃん」


 なんだ、名前かよ。俺は肩を落とした。

 ミチルは何か物申したげな顔をした後、ふんっとそっぽを向いて歩き出した。それから立ち止まり、こっちを見ずに言った。


「あんた。ティボルっての、知ってるよな?」


 どうしよう。本能的に知らないって言いたい。


「まあ、うん。似合ってもいないキザな帽子のヤツなら一人知ってるかも……」

「そいつだよ。のチンピラ。アイツからあんた宛てに手紙預かってる」


「ミチルさんが?」

 意外だったから訊いたのに、鼻先でせせら笑われた。


「はっ。なにが悲しくて、方々で女を泣かしてそうなヤツからあたしが手紙なんて受け取らなきゃならないんだよ。支店長が持ってる。ついて来な」


 ミチルはあごでしゃくってすたすたと店に戻っていった。


カラヤンおじさんからの手紙ってことよね。なんか厄介事の予感がするんだけど」

「まったく、同感だね」

 俺とハティヤはお互いに目配せし合い、三人で後をついて行った。


   §  §  §


 夕方。

 活気のない道に、泥水がたまっていた。

 陰気な風が吹きつける。雨にやられて黒く煤けた屋根が並ぶ。道の左右に漆喰しっくいのはげた土壁。小窓の陰から人の気配を感じるが、生活音は聞こえてこない。


 ようやく見つけた人影は、二〇代前後の若者が五、六人。ナイフをいじりながら何か雑談してる。とても目を合わせられない。


(こ、こわ過ぎる……っ!?)


 カールシュタット街区。


 好奇心があっても旅行者は入っちゃいけない界隈かいわいに迷いこんだ感じ。ていうか、あえて自発的に乗り込んできたわけだけど。恐いものは恐い。


「お付き合いいただいて、申し訳ありません。狼さん」

 となりを歩くシャラモン神父がフードを目深にかぶって、謝ってくる。


「いいえ。俺も、ここを見ておく必要があるんだと思います。たぶん」


 時間は少し戻って、昼過ぎ。


 本来なら、ミチルに案内してほしかったが、バルナローカ商会支店長から「業務時間内だ」としてお許しが出なかった。さらに、


「子供連れで、馬車で、カールシュタットに行きたいだってぇ? あんた達はナニかい。強盗どもに金と命で奉仕する慈善家か何かかい」


 辛らつな皮肉たっぷりに言い放たれた。目が据わってる。

 日焼けで赤みを帯びた褐色肌に黒い波髪。目は大きく鼻梁も太い。海賊姫メドゥサ会頭とはまた違ったエネルギッシュな美貌の女性だった。


 ナギサ・バルナローカ。


 バルナローカ商会カーロヴァック支店長にして、副会頭。〝黒狐〟ことゲルグー・バルナローカの血縁者ではなく、屋号という意味合いだそうな。


 あのジイさまの下には、王都ザグレブに本店会頭が一人、各地方に支店長として副会頭が八人いるらしい。


 支店でバルナローカを名乗っているのは彼女一人。二七歳で副会頭は最年少。

 これは後継者という意味ではなく、〝暖簾のれん分け(商家独立)〟を放棄することを引き替えに屋号を許されたそうだ。


 口の悪いミチルが、自分が出会った大人で一番真っ当なのだ。と、評した通りだった。

 だが実際は、シャラモン神父と肩を並べて、俺まで怒られている。


「話は大体わかったよ。けどね。仮にも親を名乗るんなら、自分の都合を考える前に、子供のことを第一に考えるのが、筋ってもんじゃないのかいっ?」


「はい。まったく仰る通りです。ですが、この町で預ける当てもありませんので。連れて歩くことが一番安全と判断したのです」


「だから。その子連れで動き回るにしても、カールシュタットは正気じゃない。そう言ったつもりだよ。神父殿。そもそも、その法衣でカールシュタットに入れば標的マトにされかねないんだよ。

 悪党どもに子供七人も連れ去られた挙げ句、町の外れでアンタの死体だけが転がってるなんて、こっちの寝覚めが悪いったらありゃしないよ。アンタ達が会長の知り合いってんなら尚更ね」


 そんなにヤバい所なのか。カールシュタットって。


「この法衣に、なにか問題がありますか?」


「あるね。あの町は今、サンクロウ正教会と揉めてる。実際どう揉めてるのかは聞いてないよ。けど、リンバロムナ商会があすこに聖堂所を構えてた神父を襲ったってもっぱらの噂だよ」


 俺はふとミチルを見た。主人を見る目が不可解そうだ。何か気づいたのか。


「ミチルさん。何か気づいたことがあるのかな?」

 俺が声をかけると、ミチルは押し黙った。


「ミチル。いいよ。お前の身内のことだ。言ってみな」主人が許可を出した。


「はい。あの、先生は普段から平服で生活してて、休日学校の時でも法衣を着たことはありません。町の人に身分を感じさせたくないって。

 でも、エステルから聞いた限りでは、あの日は大聖堂に呼ばれた帰りだったみたいです。しかも普段飲まないお酒まで飲んでたみたいだって。エステルから聞きました」


「大聖堂に呼ばれてた? そりゃ、本当かい」


 眉根をそばめた上司に、ミチルはこくりと頷いた。


「変ですね」シャラモン神父は言った。「日常的に平服で過ごしていたのなら、法衣を着ていたからといって、住民が顔を見間違えることはありません。それなのに聖堂所のあるカールシュタット内で襲われた。犯人は、町の外の人間でしょうか?」


「ああ。だね。しかも下っ端の下っ端な聖堂所神父が大聖堂に呼ばれるなんてね……」

「上司に呼ばれたからではないのですか?」俺が尋ねる。


 応えたのはシャラモン神父だ。


「ネヴェーラ王国における聖堂所の管轄は、行政庁厚生部。聖堂所は所管聖職庁に〝什分の一税〟を納めなくてよい規則で、ゆえに大聖堂が統括していません。

 極端な言い方をすれば、上司を持たない半民営布教施設なので、大聖堂から呼び出しを受けることはまず、ありません」


「ま、そのせいで、中には司祭の職位があると偽って無人家に勝手に住み着いたり、親の説教よりくだらない御託を並べて、お布施をせしめたり、女子供に悪さするクソ坊主もいるけどね」


 ナギサ副会頭は歯に衣着せない皮肉で俺たちを見る。シャラモン神父は軽く肩をすくめた。それから、手代を見る。


「ミチルさん。アンドレアス・ボーデンシュタイン司祭の遺体はどちらに?」


「えっと……」ミチルは主人を見る。ナギサ副会頭は頷いた。

「カールシュタットの共同墓地です」


 シャラモン神父は静かに立ち上がった。


「わかりました。陽が落ちるまでに参ります。地図を描いていただけますか。簡単ではありますが、墓前で鎮魂の葬唱も献げてきましょう」


 それを聞いて、ミチルの表情がにわかに明るくなった。その顔で主人を見る。

 ナギサは自分の前髪のひと房を指に巻き付ける。癖なのだろう。


「どこまでも命知らずな坊さんだねえ。ミチル、墓の場所まで地図を描いてやりな。……おっと。そうだった。ティボルのヤツから手紙を預かってたんだっけね。

 狼頭に渡せってさ。けど。本当に言葉通りの男が取りに来るとは思ってなかったよ。ちょっと待ってな」


 失礼なことを言われた気がしたが、からっとした口調なので不思議と腹が立たない。俺はその場で、手紙の内容をあらためた。


(ん? 封蝋が若干ずれてる……)


 それから内容は……まいったな。今のところ誰にも伝えられそうもないぞ。これ。

 俺は手紙の文面に目を通しながら、知らず下あごのもふっていた。


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