第4話 春夏の隙間に


 カーロヴァック市内に入る。

 大きな戦争が終わったばかりでもあるのか、甲冑姿の兵士や将校の姿。軍用馬車の往来が目についた。

 その一方で、正装した文官が厳しい表情で議論しながら、俺たちの馬車とすれ違っていく。


 町中を見渡せば、みんな戦後処理に忙しそうだ。フードから犬鼻を突き出した男が御者台に座っているのに誰も気がつかないらしい。

 セニから運んできた積荷は、町に入って早速バルナローカ商会の支店におろした。


 イワシの塩漬け四樽と石けん五ダース。全部で二六二ロットで売れた。


 セニで仕入れた経費を差し引いて、三八ロットの儲け。イワシの塩漬けは出発前で聞いていた相場よりも二割も高い。戦時インフレにギリギリ間に合ったらしい。


 儲けの二割がヤドカリニヤ商会に営業名義使用料フランチャイジーとして支払われることになる。残りの三〇ロットと八〇〇ペ二ーが旅費として確保できた。


 さて、ここからがこの旅の本題だ。


「あの、ちょっと場所を訊きたいんですけど」

 ハティヤがバルナローカ商会の手代に声をかけた。


「なんだい?」

 若い女性手代がぶっきらぼうに応える。やや垂れ目なせいか、横柄には感じなかった。


「この町でカールシュタット孤児院という施設があったと聞いて来たんですが」

「なに。あんたら、そこに入ろうってわけ? その割には血色がよすぎるけど」


 相手の皮肉に、ハティヤはニコリと笑顔のまま踏みこむ。

「その場所。ご存じなんですか?」

「……さあね」なんだろう、今の間は。


 女性手代は、小僧さんと言うべき雑用係の少年に樽の保管を頼むと、店前から脇道に歩き出した。ハティヤも無言でそれに続く。もちろん俺もついて行く。


 店脇の路地に入ると、いきなりハティヤの胸倉を掴もうとした。すかさず俺が間に入って代わりに胸倉を掴まれた。


「どういうつもりだよ。あんたら揉め事を起こしに、うちに来たのかいっ」


 俺の背中からハティヤが弁解するのを制し、俺は女性手代を見た。


「揉め事を起こす気はありませんよ。俺たちは孤児院の現況と院長の行方を捜しています」

 俺の服から手を離すと、女性手代は渋いお茶でも飲んだ顔をして睨んでくる。


「先生は死んだよ。暴漢に襲われた。遺体もこの目で見た。孤児院もない。更地さ」


 俺とハティヤは顔を見合わせた。この手代は孤児院の関係者だったのか。


「失礼ですが、お名前をうかがっても?」

「っ……ミチル」


「は?」俺は目をぱちくりさせた。

「だから、ミチルっ。んだよっ、あたしの名前がそんなに珍しいかっ!」


 堂に入った眼光ですごまれた。日本人みたいな名前だ。と説明しても理解されないだろうな。


「ええ。珍しいと思いますし、懐かしさも覚えます。少し故郷を思い出しました」


 俺がしみじみと言ってうなずいた。ミチルは鼻を鳴らしてそっぽを向く。


「あたしの名前は、アンドレアス・ボーデンシュタインがつけたんだ。七つまで名前すらなくて、この町の地下で暮らしてた。故郷なんてもんは、ここしか知るもんか」


「それじゃあ。あなたは、カールシュタット孤児院の?」

 改めて尋ねると、ミチルは憤然とうなずいてからジロリと俺を睨んでくる。


「あそこを出て、この店に拾ってもらったのは五年も前だよ。その後もちょくちょく〝家〟には顔出してた。先生が死んだのが去年の冬で、孤児院がなくなったのは夏。戦争に入った直後だった」


 シャラモン神父の手紙にあった院長の死亡年は一致する。だが孤児院の廃止時期が違う。手紙によれば孤児院の廃止は、春。戦争が始まる雨期前だ。


 返信は、シャラモン神父が戦争終結後に問い合わせたものだったから、発送が遅れたわけじゃない。


 春と夏。この時期の微妙なズレはなんだろう。行政庁とこの子、どちらかの認識の違いで片付けるにしては気持ち悪い。


「場所を教えてくれませんか。孤児院を見たいと言っている人がいるんです」

「そいつの名前は?」


 俺はうなずき、後ろを振り向いてハティヤを見た。


「レイ・シャラモンといいます。私の父です」ハティヤが応じる。


 するとミチルは、また俺の胸倉を掴んで奥へ押しやった。俺たちは勢いに押されるまま、後ろ足で路地の奥へ押し込まれた。


「来るのが遅すぎんだよ。バカヤロウっ。そうレイ・シャラモンってのに伝えとけ。そんで、もうこの町を出ろってな」


「一体何があったんですか」

「知るかよ。こっちが知りたいくらいさっ!」


 ミチルは俺の胸倉を掴んだまま、顔をぐしゃりと歪めた。今にも涙がこぼれそうなほど心細げに、悔しげに。


 ハティヤが声をかける。

「教えてください。せめて孤児院にいた子供たちの、その後の行き先だけでも」


「だからっ! わかんないんだよ。院長が死んだ後、あたしのすぐ下だったエステルが孤児院をつないでた。そこに教区の使いってのから、アスワンがこの町に攻めてくるからって言われてカールシュタットが封鎖された。

 それで戦争がおわって、やっと本腰入れて探そうかって時に、町は残ったのに孤児院だけがそっくりなくなってた。近所のヤツらに聞いたら、夏に取り壊されたって。

 だからもう〝家〟はない。建物はもともとボロかったから、諦められる。でもエステルは、あたしよりもしっかり者なんだ。なのに、ずっと連絡が途絶えてる。そんなこと、あり得ないんだ」


 ずっと溜め込んでいた鬱屈を吐き出せたのか、ミチルはふいに黙ると下唇を噛んだ。この先どうしていいのか、わからないのだろう。一度は諦めようとしてたのかもしれない。


「あの、エステルさんの年齢は」

「今年で、十五。院長が生きてりゃ、成人式だった」

「私も今年で十五です。成人式もまだなんです」


 ハティヤが横から前に出てくる。

 ミチルは彼女の利発な眼差しを受けると、俺の服から手を放して地団駄を踏んだ。


「くそっ。やっぱりおかしいっ。先生が死んで、戦争も終わった。なのにエステルがあたしに一度も連絡を寄越さないなんて、こんなの絶対おかしいんだよっ」


「一つの可能性として、あの戦争で亡くなったとは?」

 俺が指摘する。ミチルはぶんぶんと顔を振った。


「そんなはずないっ。この町じゃ戦争が起きると、成人式前の十五歳より下の子供はすべて、教区の大聖堂地下に避難させられるんだ。十六歳より上の女と年寄りは中央議事堂の地下。

 今回は、王都からの援軍も早かったらしくて、川向こうで大規模な野戦になった。それでも何度か投石機の炎石が城壁こえて飛んできて、家や庁舎が燃えて死人も出た。けど、教区へは飛んでいかなかったんだ」


「では、あなたとエステルさんは、その避難先で離ればなれに?」


 ミチルは、心底後悔している様子で表情を曇らせ、顔を振った。


「あたしは十六だから補給兵に志願した。夏の間、孤児院が取り壊されたことも知らずに物資運搬や救護で走り回ってたんだ。戦時徴募に応じると、避難先よりまともな糧食にありつけて、後でちょっとした恩給もでるから。それで……妹たちに服でも買ってやろうと思って」


 妹をしっかり者という割に、彼女もなかなかしっかりした理由だった。

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