第3話 カーロヴァック星形城塞と遠眼鏡


 この町で、戦争があった。

 鎧や兜をはがれた敵兵の死体があなで焼かれていた。

 人が焼けて立ち昇る黒い煙が、風になぶられて故郷のある南へ帰って行く。


 穽に捨てられ、燃やし尽くされる戦争の残滓ざんしの炎は、無音。

 それを視界の外へ置き去って、町中へ馬車の列が荷を運んでいく。無言で。


 死の臭いと生の音を感じながら、俺は異世界の過酷を体感せずにはいられない。


 ネヴェーラ王国軍政国境都市・カーロヴァック市。


 カーロヴァックには三つの河川がある。

 ドブラ川。クーパ川。そして、コラナ川だ。この三つの川に囲まれた丘陵に造られた都市だ。

 町に「市」という単位が置かれていることからも、王国の重要拠点であることがうかがえる。


 川を天然の外堀とし、南西に向かって星が六つ重なる内堀を築いた。丘陵の表面をまっすぐ削った城台は、高さ五メートル以上。厚い稜堡りょうほ──城郭の外に向かって突き出た石垣部分。ここでは星の芒錐ぼうすいの部分のこと──が訪れた旅人を圧倒する。


「ひゅお~い。見える見える~っ!」


 シャラモン一家の末娘ユミルが、一本の銅製の筒を両手に持って嬉声をあげた。

 他の子供たちも幌カーテンから顔を出して、末妹に「早くしろ」とせっついている。


 目下、彼らの遊び道具になっているのは、〝望遠鏡〟だ。


 ケプラー式凸レンズ屈折望遠鏡。

 凸型レンズには取り込んだ光を上下逆さに映す特性がある。これを倒立像と呼ぶ。

 そこで対物レンズが倒立像を結ぶ焦点に正立プリズムを挿入することで倒立像を反転させた正立像を接眼レンズで見るように調整した。


 倍率は、固定で八倍を目指して俺は鉛ガラスを必死に削った。

 作った当初、俺はこの望遠鏡を使って何かを見たかったわけじゃなかった。


 目的のガラス器は完成し、バラのリキュールで満たした。反射炉もスミリヴァル族長からガラス造りの一時差止めをくらっていたが、操業停止というわけじゃない。

 なので、工房が暇だったこともある。


 ガラスがダメならレンズを作ればいいじゃない。というノリが、俺を遊心に駆り立てた。


 それでもレンズ用の鋳型を作ったり、高校の物理でやった数式を必死に思い出したり、記憶脳を酷使した。数日後、いまだ改善の余地を残しつつも、レンズ造りは割と早くうまくいった。

 やっぱり職人がいると、もの作りは仕事が早い。


 そんな望遠鏡を覗いたガラス職人達も驚いていた。こりゃ魔法か、だってさ。


 俺は、これを使って、高い丘からカーロヴァック市の戦場を観測した。

 攻城戦におけるアスワン軍の敗因を実地検分するためだ。

 すると都市入りする目前の休憩で、シャラモン一家の子供たちが目ざとく望遠鏡に興味を示した。


「なあ、狼。それで何が見えるんだ? オレにも見せておくれよ」

 最初にせがんできたのは、年齢序列四番目のロギだ。仕方なく渡してやる。


「壊すなよ。あと、これで太陽を見るなよ。目玉焼きになるからな」

「もし壊しても、狼がいるから修理なおせるよな?」こいつっ


「セニに戻らないと無理だな。ケンカせずに順番に仲良く使うんだぞ。いいな」

「へーい。ゼンショする」


 口達者なヤツだ。と負け惜しみつつも言い返せなくて口を渋くする。

 たぶん俺の注意はさほど伝わらなかったらしい。案の定、一本の望遠鏡をめぐり子供五人で争奪戦になった。


 最後は、やっと手にしたユミルがすぐに望遠鏡をロギに奪還されて泣き出した。それを聞きつけた長女ハティヤが望遠鏡を取り上げて騒乱に終幕。かと思いきや、長女も望遠鏡の魅力に引きこまれ、弟妹たちからブーイングの嵐。


 それからようやく、俺の手許に戻ってきた。が、ユミルが涙目で望遠鏡を見つめてくるので「落とすなよ」と言い含めて渡してやった。


 幼女の楽しそうな姿を俺は馬車から眺める。俺の甘やかしに助手席のハティヤから怒られると思ったが、


「どうして、二つ造らなかったのよ」と不満を口にされた。

 俺は「そうだね」と苦笑するほかなかった。 


 それから城塞が間近に見え始めた頃。俺はとなりに声をかけた。


「ねえ、ハティヤ。アスワン軍はどうして負けたと思う?」


「え。……さあ、なんでだろう。でも、焦って攻撃していい町じゃあないわよね」

「うん。だろうね」


 俺は天然の高い城台を眺めつつ、頷いた。ハティヤは言葉を継いだ。


「それでも焦ったのかな。軍の一番偉い人が。八万人も兵隊使って負けられなかったろうし。今回が初めてでもなかったろうし」


「うん。確かにね」


 そう、アスワン軍のカーロヴァック城塞攻略は初めてでなかった。それならどうして今回に限って〝魔導砲〟を重視した作戦を立案しなかったのか。


「攻城戦が始まった季節は雨期だったみたいだから、運ぶために行軍が遅くなる〝魔導砲〟を当てにできなかった。ということかな」


「それもあるかも知れないけど。一軍の司令官なら、あの兵器に精霊が入っていたのは聞いて知ってたはずよね。当てにしたくても、撃つたびに恨み言を呟かれる武器って嫌じゃない?」


 俺は笑いながらうなずいた。得体の知れないモノへの本能的な忌避心か。


 だが、それでも頼らざるを得ない戦況だった。

 あの都市を隔てる川幅と、高く厚い城壁を見ればわかる。投石機では無理だ。


「あと、ネヴェーラ王国軍にとって、アスワン軍にあそこのコラナ川さえ渡らせなかったら、それでよかったんじゃないかしら」

「そうだね。防衛側としては城塞内の食糧が尽きないよう、農園を火から守りきればよかったわけだね」


「うん。……あ、ひょっとすると、アスワン軍が〝魔導砲〟を待てなかったのは、あの城塞に取りつくまでに、お腹がすいてたのかも?」


「なるほどね。ネヴェーラ王国軍の逆焦土作戦か」


 たしかに近隣の町村から住民や家畜、集落の備蓄その一切をあの城塞の中に引き込んでおく。アスワン軍の作戦本部は、食糧の現地調達が難しくなる分、焦らないわけにはいかなくなる。その線はあるな。


 そこで俺はカーロヴァック市の外れを指さした。


「でも望遠鏡で見た限り、アスワン軍はあっちの、カーロヴァック市郊外の町には手を出してないみたいなんだ」

「もしかして、あそこが狼の言ってた、カールシュタットなのかしら」


 旅団の町。ネヴェーラ王国・アスワン帝国の両方から差別の対象として敵味方と見なされず、略奪を受けなかった。いや、そんなはずはない。


 戦争とは消耗戦だ。そこに食糧があるのなら、むしろ保護されない地区には飢えたアスワン軍が容赦なく襲いかかったはずだ。


 奪われて困らないと思われていたのなら、なおさら……なら、なぜ無事だった?

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