第8話 鎮魂歌(レクイエム)は地下に届かず(3)


 ボグダンはそばにあったイスを引き寄せると、どかりと座った。


「ヤコブの酒屋で聞いた手下の話じゃ、アンドレアスは、きつい蒸留酒をその場で三杯あおって帰ったらしい。よほど思い詰めてたんだろうと店主が心配してたそうだ」


「その後は」

「その後?」


「アンドレアス神父の後をつけていた人物はいなかったのですか」


「いなかったらしい。いや待て。神父が三杯目を飲んでる間に伝令騎馬が一騎、カールシュタット方面に走って行く音を聞いたとか言ってたな。大した話じゃないと思って忘れてたが」


「カールシュタットへ馬はよく通るのですか」

「おい。おれの町をバカにしてんのか、狼頭。この間だって、大量の荷駄がシステアに向けて通ったばかりなんだぞ」


 別に寂れた町とは言ってないのに、ムキになられた。


「ここからシステアへですか。何を送ったんですか?」


「食糧と武器だ。王都から〝御布令おふれ〟が出た。戦争が終わったばかりだってのに、町の商会のめぼしいところは平時相場で献納させられた。

 うちの商会からも荷馬を十数頭だした。年寄りばかりだが、痛手なのは間違いない。だから他の商会もきっと中身は中古か粗悪品だろう。皆カツカツでやってる。

 そのくせ王国の関心は今、東より西の帝国だしな。システアの町にいたアスワン軍を義勇軍団だけで一掃しちまったとかで、町の連中が勝ち馬に乗ろうって出かけて行ってる」


「どうしてシステアの攻略で、ここの人たちが勝ち馬に乗れると? 町の距離は離れていると思いますが」


 何も知らないフリをして呼び水を向けてみる。

 ボグダンは器用に片頬を歪めて、


「なんつったかな。たしか義勇団の参謀をしてるグルドビナとかって商人が、契約金とは別にボーナスを出したのを、戻ってきたバカどもが周りに言いふらしたらしくてな。それでシステア攻略からアスワンの追撃戦が金になると踏んだらしい。

 ここ七日で、周辺の町から二万人近くのアラディジと他の部族がそっちに流れていきやがった。ついて行った連中も、戦の前に青麦刈りしてたから終戦の秋口にはすることもなかった。だから、小遣い稼ぎのつもりで乗っかったらしい。

 ところが、本当にシスキアを奪還できちまった。それで、あいつらものぼせ上がっちまったんだろう。今じゃ〝世直し〟だの。アラディジの国を作るだの。どいつもこいつも夢を見始めてる」


〝ハーメルンの笛吹き〟を思い出して、俺は背筋が寒くなった。


 カラヤンがあの伝文で本当に俺たちに伝えたかったのは、この集団心理なのではないかとさえ思えてくる。グルドビナの魔笛の効力がどこまで続くのか恐ろしいところだ。


 話を戻しましょう。俺は質問を変えた。

「アンドレアス神父の殺害に使われた凶器は見つかりましたか」


 ボグダンは仏頂面を縦に振った。


「〝ミセリコリデ〟が背中から胸まで貫いてた。抜くのに苦労したんだとよ。たぶん即死だったろう」

「ミセリコリデ?」


「短剣の一種です」シャラモン神父が補足してくれた。


「十字架の形をしているので、別名〝慈悲の短剣〟とも呼ばれます。戦場で瀕死の騎士にとどめを刺すためのものです。形状は四角錐すいと三角錐があります。刃のない針状であること、全長三〇メンチであることが共通していますね」


 ボグダンはうなずいて、言葉を継いだ。


「アンドレアスは、一九〇メンチの長身だ。その背後から心臓めがけて逆手に持って振り下ろしのひと突きで殺してる。アイツと同じか、それより背の高い大男の手練れの仕事だ」


 確信をもって言い切るボグダン。俺はつい下あごのもふった。

 撫でながら俺は、ついと魔女に目をやった。


 こちらの視線に気づいたのかどうか、魔女がにぃっと口角をひき上げた。

 あからさまにトラブルを愉しむ、蠱惑なまでの魔女の微笑だ。


「おい、どうなんだ。受けてくれるのかよ」

「もし、エステルさんが悲劇に見舞われていた場合、どうしますか」


「おい……っ。そりゃあ、どういうことだ」声が殺気で暗く沈んだ。


「言葉の通りです。保護者が殺され、戦争を経て、住む場所もなくなった。とすれば彼女自身の絶望も計り知れません。俺たちで捜すこともやぶさかではありませんが、依頼人には彼女の幸運と不運の両方を覚悟しておいて欲しいのです」


「エステルが……おれの娘が、死ぬ?」


 ボグダンは呆然とし、やがてパンチパーマを両手で抱えた。背中を丸めると動かなくなってしまった。


 親の愛は盲目なんだな。彼の覚悟が醸成するを待たず、俺は出口に向かった。シャラモン神父もついてくる。斧を受け取ると振り返った。


「すみません。先生。帰りの道案内をお願いできますか」

「獣人っ。思い上がるにも程があるぞっ!」


 周りの従者が視線を尖らせたが、俺は気にしなかった。


 こっちは厄介事を抱えそうになってるんだ。遠慮してる暇はない。ボグダンに覚悟させることで味方につけ、制御できる情況にしないと。


 最悪。この小男を暴発させたら町は再び、いや初めて深刻な戦争になるだろう。彼はこの町のあらゆる裏道を知りつくしている。ゲリラ戦に持ち込まれたら、攻城戦を守り通して疲弊しているこの町に、対応する体力はまだないはずだ。


 俺の指名に果たして、魔女はイスから立ち上がった。


「よかろう。わたしも外の風にあたってこようか。ともはよいぞ」

 すごく楽しそうで何よりだよ。まったく。


  §  §  §


「まず、お聞きしたいのは、あなたがペルリカ先生なのですか?」


 アラディジ地下街の地上の顔は、古い修道院地下のワイン倉だった。

 馬車が出入りできる大きなスロープから地上に出ると、赤レンガのガレージみたいな建物に出た。


 そこを赤褐色肌の男女六人が、武装して守衛に着いていた。魔女を見咎めるとイスに座っていた者まで立ち上がり、彼女に敬意を示した。


「うん。この地域では公私にわたり、その名で通っている。魔女名はボグダンとその側近しか知らない。だから妾が魔法学会から追われてるのを知りながら、考えなしにあの名を口にした時は、この不肖の石頭を魔法で吹っ飛ばしてやろうかとも思ったがな」


 魔女は憮然とした声で弟子の失態を嘆いた。


「も、申し訳ございません……っ」

 シャラモン神父が魔眼知識の暴走以来の恐縮を見せた。


「〝慌てん坊の焼き栗小僧〟。それが妾が最初につけたコヤツの渾名だ。憶えておくといい」

「呪文ですか?」

「せ、師匠せんせいっ。彼に妙なことを吹き込まないでくださいっ!」


 魔女は気持ちよさそうに笑った。あの爆音じゃなくて良かった。とはいえ、超一級の魔法使いも、師の前では形無しだな。


「それで、狼。質問はそれで終わりか?」

「いえ。もう一つあります。孤児院の前々任者と五〇年来の昵懇だったということは、前任者であったボーデンシュタイン神父とも昵懇だったと解釈して構いませんか」


「ふむ。そうだな」

「では、ボーデンシュタインが大聖堂に向かう前。彼が抱えていた問題について相談を受けませんでしたか」

「ほほう。なぜ、そう思った」


 質問を質問で返された。魔眼がないので視線はないが、声は興味津々だ。


「俺たちがボグダンと墓地で会った時、彼には護衛が四人ついていました。彼はリンバロムナ商会において重要な地位にある人物と見ました。

 そして、あの部屋に連れてこられた時、あなたが先にいた。

 魔女の立ち会いで、ボグダンは一度は孤児院に入れて自分とは無関係の外観を作り出したはずの〝隠し子〟を捜して欲しいといった。この依頼を部外者に聞かれるのは、彼にとって危険だったはずです。


 よって、あなたはボグダン達にとって部外者ではなく、当事者だと判断しました。

 では、どの時点で起きた問題の当事者か。俺はボーデンシュタイン神父の不慮死だと考えました。そしてボグダン依頼の前提として、あなたはヒントをくれた。孤児院の前々任者と昵懇だったと」


「ふふ。それで妾が、ボーデンシュタインから何か厄介事を持ちかけられたのではないか。というわけか」


「はい」

「ならばここで仮に、肯定してみようか。すると、どうなる?」


「はい。ボーデンシュタイン神父は、先生にエステルの身の振り方について相談したのではないか。

 バルナローカ商会のミチルの話によれば、エステルはしっかり者だそうです。そこで修道女を志望しているのなら、その道に進ませてよいものかどうか。

 これに対して、あなたは〝ダー〟と助言した。

 だからボーデンシュタイン神父は、エステルを修道院に進ませるべく聖職庁へ手続きに行った。帰りの酒は、その未来への祝杯だった」


 魔女は愉しそうに微笑んだ。


「なるほど。そして、ボーデンシュタインは不幸にも暴漢に襲われた。か。では、妾が〝ネム〟と助言していたらどうなる」


 正直こっちの線が濃厚だが、やはり証拠がたりない。それでも俺はある程度の推測は組み立てられる。


「バルナローカ商会のナギサ副会頭から聞いた話では、カールシュタットいえ、リンバロムナ商会と大聖堂の仲は険悪だという噂を聞きました。

 その原因は聞けませんでした。ですが仮説として、大聖堂がこの町のアラディジを抑え込むために、旗手となっているボグダンの弱味を握ろうとしていたとしたらどうでしょうか」


「……」


「その弱味こそが、エステルだった。彼女を聖職庁の管理下に置こうとカールシュタット聖堂所のボーデンシュタイン神父を召喚し、圧力をかけた。エステルを差し出せと。

 けれど、ボーデンシュタイン神父はエステルを政争の具にすることを案じ、リンバロムナ商会とは無関係だとして、懸命にそれを突っぱねた。


 そこまではよかったのですが、今後の聖職庁の嫌がらせを考えると気鬱になり、つい酒に頼りたくなった。その一瞬の油断に聖職庁の政治的対応は早く、酔っ払った彼は為す術もなく排除されてしまった。

 一方で、彼の死によってボグダンは聖職庁の陰謀を知り、聖堂所を取り壊すことで自分達の所在を隠した。しかし肝心のエステルが見つからない。という流れです」


「ふむ……見てきたような語り口調だったな。なかなか面白かった」

「いや、面白かったかどうかは、この際どうでも……」

「いや。重要だぞ。人死にが出た時の真実など、おおよそ周りを幸せにはすまいよ」


 それは、そうだけど。


「では、夢想する狼よ。妾からも一つ質問をしよう。長身のボーデンシュタイン神父は、いかようにして短剣で殺害された?」


 ウルダやスコールなら、できそうだけどな。それを言っちゃあお終いか.


「馬上槍でしょうね」

 俺はあっさりと言った。

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