第13話 享悪主義者(サイコパス)
小一時間ほどして、家のドアが乱暴に叩かれた。
居間のソファで仮眠していた俺は目が覚めた。
客間から飛び出してきたロジェリオが玄関に向かい、ドアを開ける。
先に入ってきたのは、スコールに横から抱えられたパラミダ。ボッコボコだ。
その後に続いたのはメドゥサ会頭で、手に少女をぶら下げていた。
「は、離してっ。離しなさい! これは立派な誘拐ですわよっ、誘拐ですわっ!」
寝間着の奥襟を掴まれ、わにわに四肢を動かす猫みたいなのが、どうやら
(旦那さん、ロリコンすか?)
俺を見るなり、一瞬、擁護者にすがる目になったが、無反応でいると失望の怒りに変わった。本当に猫みたいな人だ。
「狼頭。お前があの石けんの──」
言い終わるより早く、メドゥサ会頭が幼女夫人の口をアゴごと掴んだ。
「いい加減に黙れ、チビ。これ以上勝手にしゃべってると、サメに喰わせるぞ!」
横から覗きこむ寝不足で据わった目が怖い。
これがカラヤンに女房だって言われた時なんか乙女の顔で……笑ってはいけない。笑ってはいけないが、ウケる。
カラヤン夫人(仮)にすごまれて、タマゴッチ夫人はしゅんっとしおらしくなった。俺が席を譲ることでソファに座らされた。
「メドゥサさん、タマチッチ長官には?」
「女房を借りるとだけ言ってきた。必ず無傷で返却すると約束したら、夕方までに返せだとさ」
タマチッチ長官──。妻の暗躍を委細承知のことだったのか。なぜ止めなかった? やはり彼女には、ウスコクへの恨みによる動機があるのか。
「ここまでの道すがら、彼女から何か聞き取れましたか?」
尋ねると、メドゥサ会頭は疲れた様子で顔を振った。
「ちなみに、この方の年齢は?」
「十九ですっ! 貴族への正当な扱いを要求しますっ!」
見た目だけでなく、実年齢も未成年かよ。貴族世界の年の差結婚は日常なんだろうけど。旦那は完全に四〇越えてたもんなあ。軽くショックだ。
俺は屈みこんで、彼女と目線を同じくした。
「これから朝食にスープを作ります。それが奥様のお口に合いませんと、他にお出しする物がありませんので、あしからず」
「が、我慢しますわっ!」
俺はうなずくと、食事の支度をするために台所へ入った。
§ § §
台所でパラミダはスツールに座り、スコールから投げ寄越された濡れタオルを受けていた。
「面接以来だな。大丈夫か。パラミダ」
「うるせぇ……っ。声かけんな。クソ犬」
剃頭や顔、首、胸元は青紫色のアザでまだらになっていた。こちらを見る眼光だけが手負いの狼だ。親近感は少しも湧かない。
(だが、お前は役に立ってもらうからな……パラミダ)
俺は、ハティヤが今朝、漁師からもらってきた雑魚七、八匹をナイフで三枚に下ろす。若いイシモチが二匹いるので、良いダシが期待できる。
切り身には塩を振り、放置。頭と中骨だけを寸胴鍋に入れて真水七割。そこに大スプーン六の塩。それと白ワイン一カップと生米二合をくわえて、煮る。
あれから
鍋に
塩をふったイシモチなどの切り身を水でさっと流し、水気を取ってぶつ切りからの、鍋へ投入。塩を足すかわりに芽と皮を取ったジャガイモを
あとは何度かかき回せば、できあがり。仕上げのパセリも用意する。
「お前、狼男なのに料理なんて器用な真似、できんだな」
パラミダが小さく吐き捨てた。
「生きるために必要だったんだ」ぶっきらぼうに応じる。
パンを五枚切りの厚さに切り、コンロのフライパンで焼き色をつける。これを今日は一斤分。大所帯は大変だ。
「パラミダ。きみの得意なことは何だ」
「あぁ?」
「波止場で会った時、俺は訊いたよな。きみの得意なことは何だ、って」
「……」
「何かあるのか? 得意なこと」
横目で見ると、タコ坊主は顔を背けた。
「チッ。あー、そういや。人を殺すのは得意かもなあ」
「そうか……。なら、やってきてもらおうか」
「あぁっ!?」
「人を殺してきてくれ。そう言ったんだ」
「はあっ!? そうか、ムラダー・ボレスラフだろ。あの英雄を殺せば、この辺りじゃ名があがるもんなあっ!」
せつな。パラミダは俺のそばにある調理ナイフを掴もうと手を伸ばしてきた。
残念だ。救いようがない。
俺は、その手にお玉で熱々のスープを味見させてやる。
「ぐわっ。ちちち……っ。て、てめぇっ!」
猛省するよ。パラミダ。我ながら大人気なかった。
子供の売り言葉を衝動買いするなんて、な。
──今の俺に、〝ムラダー・ボレスラフを殺す〟は禁句だ──
気づけば、パラミダの喉元へ掌打していた。
大した肉も付いてない喉を押さえ、パラミダは反射的に前のめりになる。その思考停止したまま下がったこめかみを、俺は左右から容赦なく、はたいた。
無音。本来の音をさせなければ衝撃が脳に溜まる。パラミダは喉を両手で押さえたまま白目をむいて、顔から台所の床に突っ伏した。
俺はしゃがみ込んで、その後頭部に囁きかけた。
「悪いがな。こっちは、じゃれ合ってるヒマはないんだよ」
脳震盪を起こしたパラミダの奥襟を掴んで、台所から引きずり出す。
「スコール。スープはできてるから、タマチッチ夫人に最初にだしたら、あとは順番に食べるように言っておいてくれ」
「う、うん……わかった」
廊下から家の玄関に向かう。
居間を通りかかると、開いた入口にソファからパオラ・フォン・タマチッチ夫人が、引きずられていくパラミダを見て顔面蒼白で凍りついていた。
俺は、居間へ顔だけ向けて言った。
「夫人……。この家でのあなたのお立場は、この男を教唆操縦して起こした一連の事件の首謀者です。早く告白いただければ、早くお帰りいただいて結構です。
ただし、我々に真実をお聞かせくださいますよう。皆が信じられぬと判断すれば──、ご覧の通りです」
彼女の反応を見ず家を出て、ドアを閉める。
外に出ると、
某〝仕事を選ばない猫先輩〟の体重分のリンゴでマナ補給ができており、徹夜明けしても体調は
でも、懐かしい。
始発電車で帰って、シャワーを浴びて着替えをしたら、また出社。朝食はマックか牛丼で済ませて早朝の印刷最終ラインに原稿を載せる。
その後に販促会議や他に急ぐ仕事がなければ、早朝に来る編集長に一言いって、タクシー券もらって帰って寝る。
本のために身体をサイボーグ化しないとやっとられんと飯田橋駅の公衆便所の鏡にむかって何度嘆いたことか。
それが異世界で半人半魔が、俺の現実の一部になった。
「ツカサ……こんな格好になっても笑ってくれっかなあ」
(なんですの、それ。バンバンもふもふしましたなあ。ええなあ。もっふもふ。触らせてぇ)
違う。見た目のことじゃなくて、馬鹿を担いでる今の俺の境遇のことだ。
とりあえず、俺は前に歩き出す。
§ § §
連れて行ったのは、町の郊外にある墓地。
人気のない方へ歩いていたら、たどり着いた。その霊安室のような石造りの家屋に馬鹿を投げる。
「く、クソが……オレに人を殺せって話だったな」
頭を振りながら地面に座り込んで、しきりに喉をさすりながらパラミダは俺を見上げた。
「得意なんだろう。報酬はないけどな」
「はっ。はあっ!? なんっだそれっ。やっぱ、テメェいかれてんだろっ」
「相手は、アスワン軍ビハチ城塞の守備兵五〇〇〇だ」
「なっ。び、ビハチ城塞っ!? 五〇〇〇っ!?」
パラミダは掴んだ土を俺に投げつけた。
「オレに軍隊に突っこめなんざ、死ねって言ってるようなもんだろうが!」
俺はその土を腹で受けて、初めてパラミダを真っ直ぐに見据えた。
「お前のために報酬の金は用意しない。ただビハチ城塞は、ネヴェーラ王国、ジェノヴァ協商連合の二国を睨んだアスワン帝国の北西方面における防衛の要だ。本国、周辺の町から集めた金品くらい蓄えてるだろう」
「……ッ!? 宝物庫かっ」
「全部、お前にやるよ」
「はあ?」
「俺は、興味がない」
「クソがっ! だからテメェは信用できねぇつってんだろうが!」
なるほど。こちらが無欲だと、皆こういう反応をするんだな。話がうますぎるって。俺は無感情に言った。
「俺のボスが、アスワン軍に捕まった」
「ボスぅ? ……あのムラダー・ボレスラフがアスワンに捕まったのか!?」
素直にうなずく。
俺は、事務的に説明した。
「彼を無傷で救出したい。計画はこうだ。アスワン軍本隊から、ここ数日以内にビハチ城塞に運び込まれることになってる〝キャノン〟という攻城兵器を強奪。
その兵器でビハチ城塞に夜襲をかけ、城壁を破って突入。その混乱の中、ボスの身柄を奪取して逃げる。あんたはその攪乱役として城内に突入してくれればいい」
説明するうちに、パラミダの目が爛々と輝いきはじめた。
「その話……オレが乗らなかったら?」
「
「はっ。ははっ。急におもしれぇこと言うじゃねえか。石けん犬っ」
アザだらけの顔で、瞳だけをギラつかせながらゲタゲタ
「なら、オレが人を集めてやる。シュカンピって死に損ないと、その手下だ」
「数は」
「昨日三人やっちまったから……十三、四人だな」
「こちらの計画は話すな。城塞の宝物庫を襲撃することだけ伝えろ」
「あん?」
「あんたがこちらの計画に乗るのなら、メインはそっちだと言っている。お前らの襲撃に乗じ、俺たちは別働としてボスを奪還。その後、即時撤退する。見張りの警戒が薄まる時刻と、宝物庫の在処もこちらで特定しておこう」
「おいおい。急に至れり尽くせりじゃあねえか。それで兵五〇〇〇を皆殺しにできたら、オレはネヴェーラ王国の騎士様まで昇ることになるぜぇ?」
義勇に満ちた美しい夢だな。俺はため息をついた。
「人殺しが得意ならわかるだろ。たかだか十数人の
おまけに、陥落した城に、今攻めてる最中のネヴェーラ王国の軍旗が掲げられていれば完璧だ。カーロヴァックに駐留するアスワン軍約八万は動揺し、首脳部は気も狂わんばかりに怒りまくり、お前を追いかけるだろう。
その日から、パラミダの名はアスワン軍から高額の賞金クビに成り上がる。ムラダー・ボレスラフを超えた大悪党として三国に響くだろう。〝ビハチ落としのパラミダ〟。ウスコクのパラミダじゃない。お前だけの名前だ」
するとパラミダは冷たい墓地の土に寝転がると奇声を上げつつ、四肢を使ってバタバタと大はしゃぎした。幼児のように。
「それだ! それがオレのやりたかった大舞台だ。で、いつおっ
立ち上がるや、俺の鼻先に顔を近づけてきた。血と腐葉土の臭いがした。
「敵の〝キャノン〟奪取が計画の前提だ。城壁を突破できなければ意味がない。ツァジンの町衆にヤドカリニヤ商会の伝書鳩を渡してある。
連絡は今日から一〇日以内。一人一〇オンス=五ソルダで塩を売るという特約条件をつけたから、少しは本気で──」
「一〇日ァ!? じれってぇんだよ、クソがっ! それならオレが馬でいってその攻城兵器ってのを見つけてきてやらぁ。それを町の連中に報せる。それでいいんだろっ」
「ここから、馬で? そんな丈夫な馬を持ってるのか?」
「守衛庁に伝令用の軍馬があんだろうが。まあ、見とけ」
世の中には、百人に一人。いや千人に一人くらい、
行動原理は常に自分の気分。呼吸をするように悪を悪で塗り重ねていく。
口笛を吹きながら。
そういった種類の人間は、今、俺の目の前にいる少年と同じ瞳をしているのだろう。
生気みなぎる光の中に、鬼の影が狂い踊るのが見えた。
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