第6話 見張るやつら

 

 日が暮れて、ペロイ村の住民たちもわが家へと戻る。

 村唯一の商店であるよろず屋にも雨戸が閉められ、集落はすっかり沈黙した。

 聖堂所の子供たちも、食堂でシャラモン神父と食卓を囲んでいる。


 今日は久しぶりに小麦とジャガイモが一緒にチーズスープになって食卓にでたので、子供たちの食欲は凄まじかった。 


 その間に、俺とムラダーは子供部屋の窓際に身を潜め、よろず屋の陰に潜んでいる見張りを観察していた。


「そろそろヤツが、カカシの可能性も考えた方がいいな」

「カカシ? つまり陽動ですか」


 ムラダーは窓の外を見つめたまま、頷く。


「目立つティボルをあそこに立たせて注目を引かせ、別の方角から襲撃。あるいは、おれ達をこの屋敷に足止めさせるって小細工だ」


「ふぅん。なるほどね」

 二段ベッドの上から少年が声をかけてきた。

「なあ、あんたら。あいつを殺してきたら、いくらくれる?」


 彼は児童の年長者二人の片割れで、スコールと呼ばれていた。


「ムラダさん……」

「無視しろ」


 するとスコールがムラダーのハゲ頭に足を乗せてきた。

 すぐさまその細い足首は掴まれ、容赦なく床に投げつけられる。


 そこを俺が腰をかがめ、両脚を広く踏んばってドッジボールのように受け止めた。


「おっ、よく出来ましたマラジェッツ、狼っ」


 帝国式の褒め言葉だ。大人が子供を褒める時のスラングらしい。見下した態度だが、子供だから腹も立たない。悲しいほどに軽い少年に腹も立てられない。


「しっ。外から俺たちがここから見てること、気づかれると困るんだ」

「だからさ、いくらくれる?」

「残念だけど、俺たちは無一文だよ」


「けど、先生とそこのハゲが話してたんだ。あいつら盗賊が持ってる金は、赤牙猪の牙の代金だって。村長の家十軒分の価値なんだ。あんた達それを狙ってるんだろ?」


「このガキ。おれと神父が話してたのを立ち聞きしてやがったな」


 ムラダーが隠密観察も忘れて、忌々しげに腕を振り上げる。

 スコールは悪びれもせず、不敵に微笑んだ。


「で、どうよ。いくらくれる?」

「どうして、そんなにお金が欲しいんだい?」


 俺が床に立たせながら訊たずねた。

 スコールは腰の短剣に手をやって、挑みかかるように眼差しを尖らせた。


「決まってんじゃん。明日にでも貧乏から抜け出したいんだよ。オレは」


「正確には、二度も奉公先からクビになって、ここに居場所がないのよねえ」


 部屋の入り口にあの言葉を教えてくれた少女が立っていた。

 もう一人の児童年長者のハティヤだ。


「だから盗賊退治して、少しでもお金稼いで役に立つところを先生に見せたいのよ。こいつ」


 ハティヤのきれいな灰緑色の瞳でめつけられ、スコールはプイッとそっぽをむいた。


「いいだろう。別にっ」

「ふっ、バーカ。大人に認められようと先走って大人の邪魔してたら、いつまで経っても半人前じゃないの」

「な、なんだと!?」


「はい。そこまで」

 俺は笑いをこらえつつ間に割って入った。


「なっ、なんだよ。狼のくせに」

「そろそろ仕事の話をしないか。この家に裏口って、あるのかな?」

「裏口?」

 子供たちは顔を見合わせた。


「あるけど……それが?」

 ハティヤが怪訝そうに応じると、すぐにムラダーが動いた。

「案内してくれ。一応、そっちの窓からも確認したい」


 うん、こっち。歩き出した少女の後についてラムダーは部屋を出て行った。


 子供部屋が静かになり、俺は再び監視に戻った。

 足下では、少年があぐらをくんで頭を抱えこんでいた。


(これも、青春ってやつかなあ)


 俺が中学の頃は、本ばかり読んでいた。同級生とその場限りのバカ話よりも文字を、物語の世界を追いかけていることの方が数倍楽しかった。


 そんな自分の未来展望は三年先の高校くらいで、偏差値の高い高校に滑り込めば、また三年の間は中学より質の高い本が読めると思っていた。


 ところが、いざ通ってみれば、図書室に並ぶのは誰が読むのかもわからない理数系の理論書やコンピューターのプログラミング論ばかりで、小説の蔵書が少なく、学校の価値に絶望したものだ。

 いくらからって、この先三年間、ここでどうやって過ごせって言うんだ。と。


 この世界の子供たちは、そんな生やさしい未来展望ではない。

 彼らは今すぐにでも大人になることを強制され、その決断は自分や家族の生死に直結しかねない。


 少年が頭を抱えるほどの焦りは、俺が同じ年齢で感じたものとは比べものにならないほど、覚悟の重みを持っていそうだった。

 それでも、彼の人生は彼にしか背負えない。肩代わりはしてやれない。それならせめて行きずりの半人前の大人として、この場だけでも重くなり過ぎないよう支えてあげたかった。


 そこへ、狼の耳がぴくりと足音を拾った。遅れてハティヤが部屋に入ってくる。


「狼っ。あのおじさんからの伝言。裏手の森に人影が動いてるって!」

「数は」

「見えてるので、五人みたい。おじさんが自分の馬車と、うちの幌馬車を使って先生と子供達を乗せて、とりあえずこの森の外に出ようって」


 ――本当に、それが最善か……?


 なぜか直感的に違和感を覚えた。

 急いでいる時の違和感というのは、大抵言葉には説明できない。過程のない解答のようなものだ。


 俺はこんな時、自分の違和感に理屈で逆らわないようにしている。


「スコール。立って」

 言葉とともに、俺は少年の腕を掴んで引きあげていた。


「なっ。なんだよ」

「仕事だ。俺に考えがある。これに成功すれば、金貨三枚をきみに支払うことをムラダさんに約束させる」


 この時、金貨三枚がどれほどの価値があるのか、俺はまだ知らなかった。

 だが少年の瞳にはっきりと輝きが戻っていた。


「ほ、本当っ!? やるやるっ!」


「ただし、俺の作戦がムラダさんにダメだと言われたら、この話はナシだ。だから協力が必要だ。ハティヤさんも頼めるか?」


「ハティヤでいいわ。それって、私にも金貨三枚もらえそう?」

 ちゃっかりしてる。俺は頷いて、請け負った。


  §  §  §



「ダメだ」


 俺の作戦は言下に切って捨てられた。

 しかし、ムラダーは見た目の強面こわもてに反して、頭ごなしではなかった。


「理由は二つだ。まず、この聖堂所に非戦闘員、とくに子供の数が多すぎる。もう一つは、ヤツらが三日前と同じ、あの洞窟にキャンプを張ったままかどうかわからない。今のところ、こっちが敵の出方を見てから動かなきゃならねえほど情報不足に陥ってる」


「ですが、ムラダさん。この聖堂所の監視に表と裏に六人使い、牙を売りに町へ向かったのが三人としても、残りは二人のはずです」


「数の引き算ならそうだ。だが、ここで剣を握れるのは俺だけだ」


「それは……確かに」

 俺は耳を倒して、首をすぼめた。


「おっさん。おれ、短剣だけど、町で賞金首、つ捕まえたことがあるんだぜ」


 スコールが小声で大げさに胸を張ってみせた。

 ムラダーは目を細め、少年の顔の裏まで覗きこむように見据えた。


「なら、お前。そいつを殺したのか?」


「えっ。それは……してないけど」

 スコールが急におどおどと物怖じを始めた。

 ムラダーは嘆息した。少年が嘘をついたかどうかはどうでもいいようだ。


「賞金首なら、それでいい。報酬が下がらねぇからな。だが、今回は向こうは殺しにやってくる。こっちも殺す気でかからなきゃ、奪われるんだ。

 お前の命も家族の命も。ヤツらは一片の情もなく、ここを襲って全部持っていく。スコールだったな。お前は、家族のために人を殺せるか?」


「……っ」

 悔しそうに下唇を嚙んで、しょげるスコール。

 そのとなりで、ハティヤが詰め寄った。


「あのっ。わたし、弓が使えます」

「今、言ったぞ。欲しいのは鳥獣を射落とした経験じゃねえ。人を射殺せる覚悟だ」

「あ、あるわけないじゃないですか……そんなの」


「嫌味じゃなく、シャラモンはいい教育をしてきたな。お前達は本当に心の優しい、いい子だよ。だがな。今は何が何でも家族を守るっていう覚悟をおれに見せろ。こいつはみんなで生きるための戦争なんだ」


「……っ」


 うつむく子供たちを置き去りに、ムラダーは俺を見据えた。


「おい、狼。まさかお前まで、実は人を殺した経験があるとか言わねえよな?」

「えっ。ないですよ。……でも、別に。人殺しの経験いらない、かなって」


 途端、ムラダーのただでさえおっかない強面がさらに強ばった。

 俺は両耳を倒しつつ、さらに言った。


「ヤツらにとって必要なのは、プーラの町から運ばれてくる金のはずです。貧乏教会に立て籠もる無一文の俺たちに、彼らがそれほど感心を持っているでしょうか。

 金が到着するまでの監視に過ぎないのであれば、彼らの士気は低いと思います」


 ぬっ。ムラダーはしかめっ面のまま、押し黙る。

「じゃあ、この情況。お前ならどうするっ」


「はい。まず、ここの監視から脱けることが肝要でしょう。幸い、表は一人のようですから、さっきの提案が生きてくるかと思いますが」


 子供らが顔を輝かせた。ムラダーは明後日をみて顔をゆるゆると振った。


「まったく……お前ら、わかってるな。失敗したら死ぬんだからな」

 三人は、力強く頷いた。


  §  §  §


「狼男だぁ! 狼男が来たぞーっ!」


 村の大通り。片手鍋の底をまきで叩きながら叫んで走るスコールの前を、俺が走る。


「狼男だぁ! 狼男が来たぞーっ!」


 少年の腹から出る威声に、村人が次々と家から飛び出してきた。その手には包丁やピッチフォークを持った好戦的な者さえいる。


 その中を俺は必死で駆け抜けた。ぼろのフードで身体を包み、頭にフードをかぶらず、あえて狼頭を強調するように、走る。


 ムラダーは作戦が失敗すれば死ぬと言っていたが、今ここで捕まっても死にそうだ。家々から飛び出してくる村人の殺気が尋常じゃなかった。


「うわぁ、本物だ。本物の狼男が出よったぞ!」

「殺せっ。女子供、家畜を食われる前に殺すんだ!」


 ――存在そのものが罪だなんて、やるせぬぁーい!


 俺が走っていく先には、あのティボルという見張り男が呆然と立ち尽くしていた。

 たれ目気味の目が見開かれ、村にこうむった厄災が、どうしてよそ者の自分に向かってくるのか理解できないようだった。


「マジかよっ。……やべぇやべぇっ、やべぇって!」


 だからティボルは、逃げ出した。

 いなせにかぶった帽子もはね飛ばし、狼男に噛み殺されたくない一心でバタバタ足を動かした。だが狼男は真っ直ぐ自分を追ってくる。


 ティボル、俺、スコールというトップ集団から一〇秒遅れて、村人集団という村内マラソンレースが始まった。


 このトップ集団が、住民の大半を巻き込んで村の外周を三周半した。それだけで村住民は村の中で息を切らして次々と脱落。トップ三人だけが村を出て、夜の森の中へと消えていった。

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