第7話 百耳のティボル


 ティボルは、草の上に大の字になってひっくり返った。


「ハァッ、ハァッ……もう~イヤっ。もう走れねっ。殺すなら殺しやがれってんだクソ狼があ」


 月のない満天の夜空を見上げてあえぐと、


「思えば、短い人生だったぜ。こんなことならプーラので換金に手を貸してりゃあよかった。そしたら娼妓館のおこぼれにも預かって……がくっ」


「あっ、狼。こいつ。死んだみたい」スコールが声をあげた。


「死んだフリだよ。アゴがひくひくしてるだろ。人は緊張するとそこが動くんだ」

「ホントだ。じゃあ、殺していいよな?」

「俺じゃなく、本人に訊いてあげなよ」


「ダメに決まってんだろ!」  

 がばっと上体を起こすと、その鼻先に短剣の切っ先がつきつけられた。

 ティボルはとっさに両手を挙げて愛想笑いを浮かべた。その横面に、俺が黒鼻を近づける。


「お前……しゃべれたんだな」

「まあな。あんた、ティボルだったな。ムラダさんから聞いてる。〈シャンドル盗賊団〉を売ったんだって?」


「違うっ!」

 即答だった。俺を見つめ返してくる目にも力がこもっていた。


「確かに、おれはムラダーの旦那から気に入られてたわけじゃねーよ。けど、そりゃあ向こうが盗賊で、おれが商人だったからだ。おれは旦那を売ってねえ!」


「狼。こいつ、何言ってんだ?」

 短剣を鼻先に突きつけながら、スコールが訊いてきた。

 俺は、短剣を収めるように言った。


「同じ集団の中で、それぞれに仕事が違ったから仲が悪かった。ということかな。大人の世界では、そういうのを立場の違い、というんだ」


 編集部の販促会議でもそうだった。


 自分の推したい作品が、他の編集者にとっては紙の無駄と見なされていることは結構、起きる。どの編集者も自分の担当した作品が可愛いに決まっているから。


 その議論が互いにヒートアップして、ついには相手の推す作品を貶けなしたり、最悪、同僚や担当する作家の人格否定にまで発展することが、たまにある。


 そうなると戦争だ。相手を潰さなければ気が済まなくなる。


 普通はそこまで沸騰する前に、編集長がジャッジして落とし所を見つけてくれる。このへんの人間関係の機微は、スコールが大人になって組織に入らなければわからないかもしれない。


「なあ、ティボル。〈シャンドル盗賊団〉のことを教えてくれないか」

「今かよっ。なんでだよっ」


「ムラダさんが仲間を敵に回して、この局面をどう考えてるか知りたい。あと、ここであんたをムラダさんの敵として殺すかどうかを決める材料にする。話は多少長くなってもいい」


「いいのか?」スコールが怪訝な顔をした。


「最低限、知っておく情報だと思う。ムラダさんの口ぶりから、ザスタバという男は仲間から信用されてない。彼らのつながりは、ザスタバの暴力と持ち帰る金だ」


 聖堂所の監視は、ムラダーに変化があるかを見てるだけ。どこかへ報せるものじゃない。連携が取れてれば怖いが、その連携調整役がムラダーだったんじゃないかと俺は思い始めている。


 探せと言われて探しに来たが、見つけた後、殺せとも捕まえろとも聞いてないのではないか。上司が無能以前に、無知すぎる。下っ端は可哀想だ。


 現状、ムラダー発見を報告するのが当たり前だが、その報告先がみずから換金のために森を出た。

 新組織で上下関係が未熟だから、こういう空白が生まれて思考停止になっている。叩くなら今だと思うが、こちらは子供連れ。なるだけ安全に事を進めたい。


 ティボルは訥々とつとつと話し出した。


「シャンドル盗賊団では、団長の命令は絶対だ。ムラダーの旦那が黒と言えば、白でも黒になる。解散だと言えば、解散しなくちゃいけなかったのさ」


「解散?」

 ティボルはうなだれて、そばに生えた草をむしって投げた。


「ああ。五日ほど前だ。領主軍の待ち伏せを受けて、頭領だったシャンドルを始めとして幹部五人がことごとく討ち取られた。もう全滅潰走でな。


 あの洞窟に集まったのは、マジで運良く逃げてこれたヤツらばかりだ。だから解散なんてみんな嫌なんだよ。ムラダーの旦那があいつらの居場所を作ったんだ。それを旦那みずから取り上げるのは、あんまりだってな」


「ザスタバは?」


「ふんっ。お前のお察しの通りだよ。ヤツは信用という意味ではムラダーの旦那の足下にも及ばねえクズだ。けど腕っ節じゃあ旦那くらいしか敵わねえから、誰も文句が言えねえのさ。……なんであんなヤツが生き残ったんだろうな」


「軍の待ち伏せにあった時、ティボルはどこにいたんだ?」


 俺の問いに、優男は屈辱という栓で口を塞いだように押し黙った。


「逃げてたのか?」

「違うっ! だから、その……捕まってた」

「捕まってた? 誰に」

「誰にって……領主軍にだよ」


 ティボルは草の上にあぐらをかいて、語り出す。


「〈シャンドル盗賊団〉は、世間からは義賊ヴェチャールともてはやされてきたが、とうの頭目はいつもどこかへ出かけて不在だった。それにかわって組織の統制をとってたのがムラダーの旦那だ。


 頭目シャンドルは、もう見限り時だったんだ。だからおれは領主へ頭目の身柄と引き替えに、幹部の懸賞首の撤回を裏取引で調整してた。


 だけど領主の決定は頭目と幹部全員の首だ。だから、おれは自分のボスに交渉決裂を報せて、ムラダーの旦那にも報せるつもりで……。まあ、直前にドジ踏んで捕まっちまったんだけどな」


「それじゃあ、ティボルのボスは、今も?」


「ああ、プーラの町で商売してる。〈バルナローカ商会〉って大商家だ。今回の赤牙ワイルドボーの牙だって、ボスに売りさばいてもらえるよう、おれから手を回した。ボスにザスタバの反乱に手を貸したなんて、芥子けし粒ほども思われたくなかったから、ついて行かなかったがな」


「そうだったのか。それじゃあ、あの牙の売値は」

「狼男。お前、名前はあるのか」


「ムラダさんから、〝狼〟おおかみと呼ばれている」


「はっ。んだよ。まんまかよっ。まあ、旦那が名前をつけたくらいだ。見込みがあるんだろう。いいか、狼。売値は金貨一三〇〇だ。二本でじゃねえぞ。一本でだ」


「え、ええっ!」

 俺とスコールが同時に声を上げた。


「おっさんと先生が話してた額の倍以上じゃん!」


 シロウトの素直な驚きに興が乗ったのか、ティボルは身を乗り出してきて、勿体ぶるように人差し指をふり始めた。


「いいか、小僧。ムラダーの旦那の感覚は、ここネヴェーラ国内での相場セオリーなんだ。だが、所変われば品変わるって言ってな。こいつを帝国に持っていけば、そのセオリーは一変する。


 最近の帝国は、冒険者や狩人も傭兵に商売替えするほど戦争につぐ戦争だ。農家はどこも働き手と食い物を奪られちまって、疲弊してる。


 その一方で、戦争を食い物にしてぶくぶくと膨れた大商家は、高級志向よ。あの手の高級工芸品を買い漁ってるから、帝国内ではずっと材料不足らしい。だから買い手に事欠かねーのさ。


 おれも現物は見たが、長さも申し分なく傷も少ないかなりの上物だ。帝国で競売にかければ、二等級は堅い。それにおれが保証したから、プーラの町でボスもイロをつけて買い取るはずだ」


「それじゃあ、ティボル。なんでわざわざ聖堂所を見張っていたんだ」


 俺が訊ねると、ティボルは鼻の頭をちょっと掻いて、


「そりゃあ、まあ。ムラダの旦那には毛嫌いされてたつっても、いろいろ借りがあったし? まだ生きてるってんなら、あの場でザスタバを止められなかったから、なんか合わす顔がねーって言うかぁ?」


「狼。こいつ、見張りでもなんでもなかったってことか?」


 スコールが緊張した視線を向けてくる。

 俺は長く前に突き出た下あごを撫でた。我が毛並みながら手触りが良くて癖になる。


「まずいな。村の騒ぎを大きくしすぎたかもしれない。村の警戒が強すぎて、盗賊らがムラダさんが身動きとれないと判断したら、キャンプに戻るだろう。彼らにキャンプで合流されたら、数で俺たちに勝ち目はない。スコール。行こう」


 少年がうなずいた時、村の方から馬の蹄ひづめの音がした。


「追っ手かな」

「いや、ハティヤだ」俺は黒鼻をひくひくさせて、「でも二頭だ。こっちに来る」


 その言葉通り、馬が二頭まっすぐに俺たちの所へやってくる。


「おお、あれは我が愛しの愛馬ちゃ――」


 ティボルが言い終わるのを待たず、矢が彼の笑顔の横を掠めた。

 馬のもう一方に少女が乗っていた。早くも次の矢をつがえていた。


「ハティヤ、待ってくれ。彼は敵じゃなかった!」


 俺が優男の前に両手を振って制した。


「狼っ? ちょっと! あんた達、こんな所でなに休憩してんのよっ」

 再会早々、馬上から雷が落ちてきて、三人で首をすぼめた。


「ハティヤ。聖堂所のほうは?」俺がおそるおそる訊ねた。


 少女は憤懣ふんまんと困惑に顔をしかめて、


「五人のうち二人が巣に戻ったそうよ。おじさんが聖堂所にしばらくは誰も来ないだろうから、私にあんた達の応援に行けって」


「ハティヤ。スコールをきみの馬に乗せてくれ。――ティボル。俺をその馬に乗せてほしい」


 すでに馬上の人となっていた優男に声をかけた。


「やーだねー。って言ったらぁ?」人を喰ったような狐の笑みで、俺を見下す。

「こいつ面倒くせぇ」

 スコールとハティヤが顔をしかめた。


「なら、俺は歩いて行く。先行してキャンプ地にいってくれ。この二人はムラダさんの友人の子達だ。これから盗賊退治をする」


「そういうこと先に言っとけ! あとな、おれはタダ働きはしない主義なのっ!」


「おっさんは、狼と合わせて三〇ロットでいいって言ったぜ」


 スコールが好条件を出したつもりで言う。

 するとティボルは左手で頭を掻きむしって盛大なため息をついた。


「ったくよぉ。無欲も度が過ぎると疑われるって何度も身にしみてんだろうに。懲りねえ旦那だぜ。わぁかったよっ。こうなりゃ、心機一転。古巣一掃だ。さっさと乗れ!」


 そうぼやいて、ティボルは俺の腕を掴んで馬上に引きあげた。

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