第8話 守る勇気と手を汚す覚悟


 ヤーノシュとヨジェフが、先に森からキャンプ地に戻った。

 戻ってすぐ、二人は前日の見張りで泥のように眠っていたキーツとロシェがいないことに気づいた。


「二人そろって、小便か?」

 プーラの町からのザスタバら換金組も、まだ戻ってきていなかった。

「クソッ。こんなことなら、ムラダーの旦那につくんだったぜ」


 たき火に独り言を聞かせながら、ヨジェフは枯れ枝を押しこんだ。

 ザスタバは、典型的な盗賊団のリーダー気質だった。


 シャンドル盗賊団と合流した時も、すぐムラダーに反感をもつ連中と同調。その小さな集団の中でだけ一目置かれた。要は、女子供をいたぶることがメシよりも好きな連中の先頭にいたのが、ザスタバだった。大半の連中が、彼らを相手にしなかった。


 対して、ムラダーの面倒見の良さは、頭目の器と言われた。


 幹部も実質的に彼の直属部下で、目下の者への金払いもよく、筋の通らないことは頑として譲らない。とくにシゴト以外で、各都市の法に背く真似を許さなかった。


 いつだったか誰かがムラダーに意見した。


「盗賊が、法律に従わなきゃならねぇんですかい?」

 ムラダーは怒らなかった。真摯に頷いてみせる。


「おれ達は盗むという行為だけ法に背く。それ以外は真っ当な人間でなくちゃならねえ。全ての法に背いてたら獣だぞ。どうやってメシを買う?」


「メシを買うんですかい?」

 暗に盗めばいいと反論する。ムラダーはそれにも頷いて、


「俺もガキの頃は食い物を盗んで食ってた。だが軍に入って、メシは買って食う物だと教えられた。そしたら、不思議なことにメシが美味くなった。だからメシは買うことにしている」


 仲間内での笑い話だったが、シャンドル盗賊団に倫理モラルが存在することを皆が知った。


 他にもムラダーは、仕事のミスは耳や指を切り落とした業界の慣習をゲンコツ一つですませた。親父のような硬いゲンコツだったが、その気っ風を慕う連中は多かった。

 そいつらはみんな、領主軍急襲でムラダーを逃がそうとして死んだ。

 そもそもが、あの待ち伏せの目的は、頭目ロジャ・シャンドルとムラダーの首だ。


 あの場で討たれていった連中は、胸に矢を受けたロジャ・シャンドルを背負うムラダーを逃がすために踏みとどまったのだ。でなければ、さっさと逃げ散ってこの洞窟を目指していたはず。


 だから、踏みとどまった町に当然、反感組のザスタバがいるはずもなかった。

 それじゃあ、あの騒乱の中でザスタバはどこにいた?


 記憶がない。討伐に仲間を売ったのはザスタバなのではないかという疑念を、生き残った誰もが抱えていたはずだが、誰も口にする者はいなかった。


 証拠はない。ザスタバの腕っ節は誰もが知っている。

 口にしたが最後、あの屠殺包丁ブッチャーが頭に降ってくるだろう。


 だが分け前の取り分を何一つ決めないまま、ザスタバがその金で豪遊していると思うと、ムカツク。


「くそっ。旦那も旦那だぜ。よりにもよって狼の皮を被った日陰者をかばうなんてな」


 潰滅後に久しぶりに会って、ムラダー・ボレスラフは落ちぶれていた。

 獣の皮を頭から被るのは猟師もだが、顔は出す。前が見えないからだ。


 一方で、ひどい伝染病を持った連中は顔すらも覆い、かぶった獣の口の中から目を出して世間を卑しく覗いてる。

 とくに、疱瘡ほうそう(天然痘)の重篤者が、おのれの顔の醜さを少しでも隠すためなのだと聞いたことがあった。


 それにあいつが夜中、小川で身体を拭いているのを見た。ひどい火傷の痕だった。あれは身体にできた疱瘡を火で焼きつぶしたに違いない。


 まともな治療ではないが、そうでもしなけりゃガマガエルみたいなブツブツの身体を引きずって歩くことになる。その醜怪しゅうかいな姿は、どこの集落でも人間扱いしてもらえぬどころか、町にさえ入れてもらえない。


 そんなヤツを、ムラダーは自分の家族のように目をかけている。


 早朝に連れ出して、赤牙猪の寝床まで偵察に出ていた。男の嫉妬はみっともないが、悔しさはある。あの怪物が一番手柄なのだから尚更だ。


 生き残った自分たちを不甲斐ないと見限ったのだろうか。解散を告げられた時の悲しみと寂しさは、いつの間にかザスタバのいつもの虚勢が頼もしくさえ思った。

 それが間違いだとわかっていたのに。


「なあ、ヨジェフ。キーツとロシェのやつ、見なかったか」


 一緒に戻ったヤーノシュが、やはり気になったのだろう。同じ事を言った。


「知らね。どうせ森にでも行ってるんだろ」

「へえ、あいつら、そういう仲だったのかよ」


 二人で笑い出す。ムカついた気持ちが少しやわらいで、理性が戻る。


「あいつらに、村で見張りついでにハチミツ酒を買ってきてくれって金渡したんだが、その酒が見つからなくてよ」


「なんだ、ヤーノシュ。おめえもか。あいつら、俺らの小遣い持ち逃げか?」


「ばか言え。たった八〇ペニーだぞ。もうすぐザスタバがロット金貨の大袋を持って帰ってくるんだ。逃げるにしても、その後だろう」


 それから話題が途切れて別れる。早めに寝床に入ったヤーノシュだったが、しばらくして松明を持って森の闇に入っていった。地面を見つめたまま。


 不安と疑念を両手に抱えて、夜の閑寂かんじゃくにその背中も丸まっていた。

 ヨジェフは声をかけようとしてやめておいた。どうせ小便だろう、と。


 深い森闇の中に松明の火点が留まっていた。が、ふいに手から落としたらしい。火が地面に落ちて、すぐまた拾い上げられた。


(おいおい。あの松明を焚き火に戻したら臭いそうだな)


 そんなくだらないことを思ったのが、ヨジェフの最後になった。

 喉笛を貫いた鋭い衝撃に眠気が覚める。


 敵の襲来。気づいた瞬間、目の前の焚き火がなぜか消えていた。


「ふぅっ。これで一応、あの場はおしまいだね……っと」


 ティボルは弓弦を下げて、細く息をついた。いい弓だ。オレなら五〇〇〇ロットで売ってみせる。

 少女の持っていた弓は、魔導具の弓だった。


 握りハンドル部分に色違いのマナ鉱石が二つ。

 矢の弾道の安定感は抜群。喉笛に一直線だ。吸い込まれるようだった。思ったところに矢が届くのは気分がいい。情況は最悪の一歩手前だったが。 


 すべては、パーティ全体の未熟がまねいた失態だった。


 狼は盗賊団のキャンプ地から充分距離を置いて馬を下りたつもりだった。

 だが落ちぶれても、相手は盗賊。その馬蹄の音をキーツとロシェに聞かれてしまった。

 二人の接近を許したことにも気づかず、狼頭の特徴からまっ先に襲いかかられた。


 その時、ハティヤという娘が、とっさに弓を射た。

 素早く放たれた二本の矢が盗賊の頭と心臓を射貫いてしまった。いい腕だった。魔導具の力だけではないだろう。

 だがハティヤは人間の命を狩り取ったのは初めてだったようだ。殺人の衝撃に恐怖を覚え、パニックを起こした。


 二つの死体は狼とオレでかつぎあげ、ハティヤはスコールの小僧に連れられて森の闇へ身を隠した。


 すると今度は、運ぶ際にこぼれた血の跡が道を作り、戻ってきたヤーノシュにそれらを辿られてしまった。盗賊のこの機転は憎らしくても、さすがだった。

 近づいてくる松明の火をどうするか迷っている間に、ハティヤが弓を取り落とした。


「誰だ。そこにいるのはロシェか……。キーツなのか……?」


 敵に気配を悟られた直後、今度はスコールが動いた。


 仲間の死体に棒立ちしているヤーノシュの背後を回り込み、腰だめに突進。相手の腰を刺し、そのまま押し倒す。ヤーノシュは声すらなく倒れて動かなくなった。


(ダメだ、まだ息がある……っ)


 まだ生きているとも知らず、スコールは短剣を握りしめたまま自失してしまった。


 そこを狼が松明を拾い、その明かりでオレが少女の弓を拾う。そのまま焚き火の前に残るヨジェフを始末した。罪悪感も後悔もない。そういう関係じゃなかった。


「ったく。初々しいねえ。オレも昔そんなんだったかと思うと、なんか感慨深いよ」


 オレは後ろを振り返った。

 木の根元に、血塗られた短剣ダガーを両手で握ったまま身じろぎもしないスコールと、泣き声を洩らすまいと両手で口を塞いだハティヤがうずくまっていた。


 狼が短剣を握ったままのスコールの手を必死にこじ開けている。


「ティボルは、人を殺したことがあるのか」


 狼が言った。答えてやる義理もない。思い出すだけでなぜか気分が沈む。だが鼻先でせせら笑っていた。こんなへなちょこど素人パーティ、笑うしかない。


「もう数えちゃいねえよ。けど一番最初は憶えてる。十三の時だったなあ。女衒ぜげん屋の人買いでさ。十五の姉ちゃんを連れて行かれそうになってな」


「そうか。それで」


 興味深く話を促されて、オレは獣人相手に昔話を興じようとしてる自分が、急に恥ずかしくなってきた。遠くにある焚き火を眺める。


「オレはその場で親に半殺しにされて役人に突き出され、牢屋行きだ。姉ちゃんは、そのままもう一人の人買いに連れられて、どこかの町に売られていったらしい。それっきり二度と会えなかった。

 結局、おれの家族を思う愛と勇気は、ただの人殺し程度だったわけ。それで悟ったね。この世界は、虚しい。だがクソの詰まった肉袋には相応しい、ってさ」


「つまり、愛と勇気だけでは、この世界は変わらない?」

「そゆこと……笑えよ。つまんね話だ。ちなみに、お前は」

「これからだ」

「あぁ、これからぁ?」


 何をする気だ。狼がようやくスコールから短剣ダガーを奪い取るや、その刃を逆手に持ちかえた。


 そして、うつぶせに倒れる死体の左背面へ短剣を深く、根元までつき刺した。

 気合いも躊躇ためらいもない、静謐せいひつな一撃だった。


(ちっ……こいつ、気づいてやがったのか)


 死体と思われた男の口から、「ぅふうっ」と、か細い断末魔がこぼれた。

 短剣がひき抜かれるその傷口から噴き出した流血が、狼の顔を汚した。


「狼っ!?」スコールが悲声をあげた。「こいつ……まだっ、生きて……っ」


「いや。致命傷だったよ。助かりはしないが、まだ死んでいなかった。それだけだよ」


 狼狽うろたえる少年をなだめるように言って、狼は死体となった男の服で短剣の刃を拭い、小僧のホルスターに戻した。


「ふん。お前、それでそのガキの罪を背負ったつもりかよ」


 オレは憎まれ口を叩かずにはいられなかった。偽善はいつでも感にさわる。狼は死体から目を離さず、鼻面を振った。


「俺は、俺の罪を背負っただけだ」

「あー、はいはい。そういうの、感傷ってんだろぉ。ようは気分の問題だ」


 おどけたように両手を広げて、オレはせせら笑った。

 狼はまとっているボロフードの前をかき合わせながら、


「感傷でも気分でも、なんでもいいんだ。この世界で俺に必要なのは、清廉潔白であり続けることじゃない。生きるため、仲間のために手を汚す覚悟があるかどうかだ。ムラダさんが言ったことの意味がようやくわかってきた気がする」


「はっ。オレにはあんたの言ってる御託は、サッパリだねぇ」


「俺は、手を汚す覚悟をするためにこの男を刺した。これは、これから先、大事な誰かを守るために必要なことなんだ。

 でも、俺にはこの子達のように戦士の素養がない。強い相手とか、恐怖に立ち向かう勇気もない。だから無様でも、死にかけをやるしかなかった。それだけだ」


「ふーん。それで? その覚悟ってやつは、ついたのかい?」

「ああ。次は、ペロイの村を見張ってる三人の盗賊をやる」


「ハッ。おいおい、ザスタバが金を持って、もうすぐここに戻ってくるんだぜぇ?」

 狼は立ち上がると、オレの横を通り過ぎた。


「金は、後だ。今、聖堂所を見張ってる連中が戻って、ザスタバと合流されることのほうがマズい。連中はムラダさんの居場所という情報を持ってる。だけど、ここで俺たちが反撃したことも、仲間が死んだことも知っちゃあいない。

 なら、叩けるうちに各個に叩くべきだ。それにティボルの話から、俺にはザスタバに価値が出てきた。だからいったんこの場を離れる。奇襲の用意がいる」


「あっははは。訳わかんねえ。ザスタバに価値? 説明してくれるかなあ。オレが裏切らないうちにさ」


「ザスタバも、ハゲなんだ」

「は? げ?」


 わけがわからねーってんだよ。混乱するオレを後目に、狼は振り返って少年のほっそりした両肩を優しく掴んだ。


「スコール。ハティヤを馬に。次はペロイ村の、北の森だ。行けるね」

「う、うん」


「ハティヤ」

 いまだ泣きじゃくる少女に、狼は頭を下げた。それに何の意味があるのかわからない。


「きみは勇気を出して戦ってくれた。あの二人から俺を守ってくれたから、俺は今こうしてまだ生きてる。ありがとう。そして、ともに戦おう。家族を守るために」


 ハティヤはこくこくと頷いたが、小僧に馬上へ引っぱり上げられると、その背中に恐怖を張り裂けさせた。


「今度は俺とあんたで先行しよう。ヤツらから、先手をとらないと」

「ざーんねんでした。オレはこの辺に土地勘がないの」


 狼の提案に、オレはあっさりと拒否した。だがヤツは落胆しなかった。


「さっき村を走り回ったとき、地形を大体把握したよ。それよりも、あんたは今、ムラダさんから裏切り者扱いされて、いまいち信用されてないんだろ。

 ここで俺たちを助けておいた方が、のちのち汚名を返上できるんじゃないのか?」


「んぐっ。ちぃっ! あーっ、うっせーな。わかったよ! くそっ」


 悔しいのに言い返せなくて、オレは自分の馬へ歩き出した。

 木の根に靴のつま先を引っかけたのも、蹴った振りをして。





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