第9話 精霊王〝ケルヌンノス〟


 森の中で人の気配が動いた。

 ムラダーは、手許の剣を改めて腰にいた。


「神父殿っ、神父殿!」


 とっさにどう呼ぶべきか迷って、結局、他人行儀になった。

 予期せぬ再会だったとは言え、あの大魔法使い〝水蜘蛛シャラモン〟を神父と呼ぶ日が来るとは。


(……世も末か)


「なんでしょうか?」

 ひょっこり現れたシャラモン神父は、両手に書籍を抱えて、これから大掃除でも始めようかといったせわしなさだった。


「おい、こんな時に何してんだっ」


ここを出るのですよ。子供たちにも旅用の服に着替えさせています。この場にハティヤがいれば、もっとテキパキしてくれるのですが」


「はあっ? 家を出るだぁ!?」突拍子もない相手の行動に、声が裏返った。「もしかして、おれ達のせいか」


 一抹の責任を覚えて、ムラダーは悪びれずに訊いた。

 シャラモン神父は一瞬、真実を話そうとして思いとどまる表情をした。少なくともムラダーにはそう見えた。


「こちらのことよりも、外の監視は緩みましたか?」

「……わからん。だが、意識が東に流れた。狼たちが何かしたんだろう」


「うちの子二人にとって初めての戦闘です。怖がってないとよいのですが」


 すっかり丸くなりやがったな。ムラダーは、軽くやりづらさを覚えながら聞き流した。


「こちらからも反撃に転じる。おれは森に向かうが、お前たちはここを棄てるってことでいいんだな」


「はい。一応、あなたを敵に回したザスタバという粗忽そこつ者の特徴だけ聞いておきましょうか」


 見えないその目でわかるのか。と思ったが、ムラダーは説明した。


「見てくれは、おれによく似てる。一八〇のガタイにつるっぱげ。頭の形までおんなじだから、手下がたまに見間違ったほどだ。ただ、中身はボロ屋をボロ屋と言わずにはいられない単細胞。あと、神を信じず宗教が嫌いだ」


「おや。宗教観だけは私と気があいそうですね」


 神父がそれ言っちまったらマズいだろうが。ムラダーは言葉を継ぐ。


「あと、幼児嗜好者ペドフィリアだ。六歳児の尻を見てテメェの股間を膨らませるクズだ」


「なるほど。では、会った時に八つ裂きにして、地獄に堕としておきますね」


 十年前のレイ・シャラモンに、この神父をぜひ引き合わせてやりたい。


 ムラダーは、この男が子供嫌いを通り越し、奴隷の子供を魔法実験の被験体にしたことで二度ほどぶっ飛ばしたことがある。それほど知識欲に手段を選ばぬ生粋きっすいの魔法使いだったのだ。


 歳月とは、魔法使いをも変える魔法使いらしい。いや、違うな。そもそも魔法使いなんて手合いが、たった十年そこらで真っ当に性根を入れ替えるタマなはずがねえ。それなら一体全体、なんのために子供達を育ててる。まあ今はいい。


「ザスタバは巨体や狂暴な気性の割に、一人では絶対に行動しない小心者だ」

「わかりました。それでは、金の受け取りはどうなりますか」


「狼のそばに、お前んとこの生意気なガキが二人ついてんだろう。取り決め通り三〇ロットを抜いて、残りをそいつらに渡しておく。袋が〝皮算用〟より軽くても文句はナシだ」


「承知しました。では、元ジナイダ騎士団第1番隊隊長に武運長久のあらんことを」


(シャラモン。この魔法使いですら、あの政変をまだ引きずってやがる。いや、こいつの場合、政界から追い出され、個人的事情で騎士団に転がり込んでいた。引きずってるとすりゃあ……ちっ、おれとおんなじか)


「ここを出たら、プーラの町に行け。落ち合う場所は、バルナローカ商会だ。おれと狼はそこから船で帝国に入る。それまでお互いに運があるといいな。世話になった」


 ムラダーは相手の返事を聞かず、裏口のドアをそっと開け、外へ風のごとく飛び出した。


  §  §  §


 俺は馬上で、ティボルの腰にしがみつきながら彼の肩ごしに〝それ〟を茫然と眺めていた。


「ティボル。ちょっと訊いていいかな」

「だめだね」


 拒絶された。まだ恨まれる覚えもない。意地悪で言ってるのはわかっている。

 俺は騎手の都合を無視して〝前方〟を指さした。


「あれは、何だい?」

「あん? ……あれって、どれよ」


「だから、あれだよ。あそこ。この先の森の、さらに先の夜空に」

「星か? 今の季節なら、その方角は〝牡羊座アヴィエーンの星雲があるかもな」


 意外と博識だった。ひょっとして酒場娘の気を引くための小ネタにしているのか。だが、そこじゃない。


「いや、そうじゃなくて。その手前の」

「あぁ? 手前って。お前さ、一体、何見ていってんの?」


「だから。もやもやっとした感じで、鹿の頭を持つ、山っぽいのがいるだろ?」

「はあ? お前さあ。鹿で、山って意味がわか──」


 言い終わるのを待たず、唐突に馬が悲鳴を上げて、竿立ちになった。かと思えば、急反転。森から遠ざかり始めた。


「おいっ、ティボルっ?」

「馬鹿野郎っ。なんでてめーなんかに見えるのか知らねーがなっ。ソイツはたぶん〝ケルヌンノス〟だ!」


「けるぬんのす?」


「精霊の王だ。生命と豊穣と、死を司ってる。くそがっ、欺された。ここら一帯、〝精霊王〟に目をつけられた森だったのかよっ!」


「精霊王……ケルヌンノス。見えるとまずいのか?」

「マズいとかウマいとか、んな話じゃねーのっ。その王様が通った森が〝神蝕〟されてんだよっ!」


「〝しんしょく〟?」


「森の規模が拡大暴走するんだとよ。うちのボスが若い時分に、〝神蝕〟に遭った町を三カ所も見たって言ってた。オレも聞きかじりだがな」


「〝神蝕〟に遭うと、町はどうなるんだ?」

「文字通り、森に飲まれちまうんだよっ」

「森が、町を飲む?」


「いいか。ヤツが進んだ周辺の森の動植物が急成長を始めて、巨大化する。隣接する村や町なんかに草や木やツルなんかを一気呵成に蔓延はびこらせんだよっ。

 住民総出でどんなに草を焼き払っても、木を切り倒しても、獣を殺して廻っても、森が成長する早さを止めることはできねーらしい。小さな村なら二週間で家は森に握りつぶされて人が住めなくなる」


「たった二週間。そうか。だから、生命と豊穣と、死か」


「だああ、畜生っ! ひょっとしなくても、あの紅牙猪ワイルド・ボーは、その予兆だったってのか、クソっ。早いとこボスに報告しねーとプーラの町まで手遅れになるぞ」


「待ってくれ。スコールとハティヤはこの先の森に入ってる。ムラダさんとも合流しないと。ティボルだって会って誤解を解いておきたいんだろ?」


「うっせーな! わかってるよっ。いいか、旦那の顔を見たら、オレはすぐに脱けさせてもらうからな!」


 馬は半透明の精霊王の目を盗むようにキャンプ地を目指していた。




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