第19話 狼と鉄狼(6)


 将校たちは俺の顔を見るなり、形相を変えた。


「ロイスダール情報管理官っ。貴様、ヤドカリニヤ商会を攻めたのか!?」

「謹慎中の貴君には関係のないことです。まだ詮議は終わっておりません。退出を命じます」


「待てぬっ。こちらも狼に問い質すことがある。先ほど、二将軍から連絡が入った」

「なんですって」


 ロイスダールにしては珍しく、演算シミュレーションの再計算に入った。今頃のこのこ出てきて、あの老人たちは何をしようとしている。それにしても発した伝令が戻ってこないのはどういうことか。

 ここはやむを得ないか。懸案事項の優先順を切り替えざるを得なかった。


「二将軍の所在はどちらに」


「まだ情報の段階だ。秘匿させてもらう」

「秘匿?」バカな。指揮上位者は私だぞ。


「その上で、我がアルジンツァン軍五〇〇〇はデーバへ拠点を移す」

「わがアゲマント軍三〇〇〇は、ティミショアラへ帰還する」

「わがアウラール軍二五〇〇はオラデアへ拠点を移す」


 三家の将校たちが勝手なことを宣言する。


「その企画は認められません。その行動は事実上の解散となります」


「だからこうして、届けにこの天幕に来たであろうが」

「届け?」


「演習終了のな。兵站が切れ、二将軍の所在がわかった今、公国軍司令代行となった貴様の許可は、不要だ。当然だろう」


「わかりかねますね。私が演習終了を宣言しないかぎり受理できません。前例がありません」


 白銀の鎧を着けた将校──ウェクスター少佐が、狼男の横に立って机を拳で殴りつけた。それだけで机がぐらりと傾いだ。


「前例なんかで事態の行動原理の是非を考えるな、馬鹿野郎っ。貴様には人の血が通ってないのか。貴様ら中央軍から支給されるクラッカー三枚で、四日目の夜を凌ぐつもりなどないっ! よって、我々はヤドカリニヤ商会が差し入れてくれたパンとチーズが胃袋の中にあるうちに、まともな補給基地を確保するのだ。そんなこともわからんのか!」


「しかし、それでは軍規──」

「黙れ。ロイスダールっ」

「──っ」


「兵站が切れ、二将軍の所在がわかった今、もはや演習などしている場合ではないと言っているっ。我々を止めるは餓狼の群れに首輪をかけるも同義と知れ。それでも止めたくば、貴様の兵で追ってこい。我らの槍を馳走してやっても構わぬぞ。いかに!?」


「司令代行への、その暴言……後悔することになりますよ、アルジンツァン家」


「ふんっ。ロイスダール。貴様こそ憶えておくがいい。戦場において食い物の恨みほど恐ろしい私怨はないということをな」


 そう言うと、白銀将校は狼男の奥襟をひっつかんで、天幕を出ようとした。


「待たれよ。ウェクスター少佐。狼の詮議はまだ終わっていないと申したはずです」

「ロイスダール。貴様はまだ理解していないようだな」


「……っ?」


「二将軍の所在を確認することが、この野営地が存続している理由だ。貴様こそ、ここに我らを押し込めて三日の間、何を企んでいたのだ?」


「私は何も企んでなどいません。ええ、何も。スケジュール通りです」

 つい定型慣用句が出て、口を噤む。


「だったら、二将軍が消息を絶ったのもスケジュール通り。そういうことか」


「あれは想定外の事態です。ですから、こうして──」

「無策っ! 貴様は後方支援に徹しろ。以上だ」


 三色の将校らは狼男を取り囲むようにして天幕を出ていく。

 その間、将校たちの難癖クレームに困惑した様子で、狼男がおもむろに頭を掻いた。


 さらなる問題発生は、その数秒後だった。


「敵襲ーっ!」

 天幕の外で、兵士が叫んだ。将校たちが急いで野営地の外を見回す。


哨戒しょうかい(野営地のパトロールのこと)っ、敵影は!」


「確認できませんっ。被害は、虜檻りょかん(捕虜用のオリ)の囚人が狙撃され、死亡したよし!」


「狙撃だとっ?」

 周りは四キール先まで田園が広がる平地だ。隠れる場所などどこにもない。

「この私にも捕捉できない場所から……おのれ、マクガイア・アシモフっ」


  §  §  §


「ティボルっ!?」

 狼男がウェクスター少佐の手を振りほどいて檻の方へ駆けていく。集まっている兵士の人垣を割って中に飛び込んでいくと、力の限りに嘆き始めた。


「ウェクスター。狼を頼む。俺は兵の補給を急がせる。あの冷血ロイスダールに狼を渡すな」


 エルネストが横からで声をかけてくる。ウェクスターは無言でうなずいた。


「それでは、私も残ろう」翡翠軍の将校が名乗り出た。

「ジウ中佐殿」


「狼の詮議、私にも立ち会わせてくれ。実は……あの狼とティボルは亡きオイゲン・ムトゥ様が目をかけてきた〝雲〟なのだ」


「えっ」

 将校たちがジウ中佐をみる。翡翠軍の将校はうなずいた。


「あのティボルという男。捕まったのには何か子細があったのだろう。私の勘違いでなければな」


 その場の将校全員の視線が、天幕から姿を見せた情報管理官に向けられた。


「なるほど。では、中佐殿。あの者の死も都督補へ報告願えますか」

「心得た。──翡翠。補給が完了した者からティミショアラへの帰還準備を急がせろ」


「了解」

 緑色甲冑の将校たちがマントを翻し、陣営へ来た道を引き返していく。


「これは何者かの策謀です」

 ロイスダールは表情を変えず独り言のように言った。


「情報管理官。そんなに被疑者が口封じされたことの査定が気にかかるのか?」


 ウェクスターがめいっぱいの皮肉を投げつけたが、当の鉄面皮には痛痒で揺らいだ様子もなかった。

 立ち尽くす野営地の代理運営者を無視して、将校たちはそれぞれの役目へと散っていった。


  §  §  §


 時間を少しさかのぼる。

〝ナーガルジュナⅩⅢ〟。第17階層。射出場カタパルトターミナル。


 ズダォン!


 廃莢口はいきょうぐちからウルダのドワーフの親指ほどもある太い薬莢が排出され、コンクリートの地面に澄んだ音色を弾ませる。


 マクミランTAC50(通称C15)。重量約12㎏。全長約144.8センチは、ウルダの身長とほぼ同じくらい。弾丸の大きさは12.7×99mm。──とまあ、数字を並べられてもウルダにはさっぱりだったので、実際に撃ってみた。


「おいおい。マジかよ。初発で一キロ先の樹の頭が吹き飛んじまったぜ。やるねぇ」


 トレーナー役のオルテナが、興奮気味に褒めた。

 彼女の手許にはノートパソコン。画面には木の幹が途中から破砕してなくなっている映像が映し出されていた。そのパソコンから配線がウルダの構える狙撃銃とスコープに繋がっている。


 ウルダは地面に鹿の皮を引いて、そこに這いつくばる。小さな望遠鏡を覗いて、中で点灯する赤い点を目標に重ね、手許のでっぱりを指で引き絞る。それだけの動作なのに、肩を殴りつけてくる衝撃には驚きしかなかった。


「ウルダ。大丈夫か」

「ぶきに……肩、蹴られた」


「あっははっ。だろうな」

「オルテナ。これ、得意?」


「んにゃ。あたいは対物ライフルよかヘヴィハンドガンだね。コイツで人を貫いたら、土手っ腹にボクサーの腕が通るくらいの穴を開く。そりゃあ悪くはないが、問題はその図体だ。取り回しがいただけねーんだよなあ。スピード&ハイパワーなあたいの美学に反するね」


「ボクサーって?」

「喧嘩の腕っぷしが強い痩せっぽちのこと。普通の男の胸板くらいなら骨までミンチだよ」


 オルテナは気鬱そうに盛り上がった肩をぐるぐると回した。


「狼も、てめぇの娘に無茶な注文したもんだ。いくらあんたに肝っ玉があるからって、こんなバケモンを操れだなんてな。しかも十二キロ先の的に当てろときたもんだ。クレイジーだっての」


「でも。だから、みんな頑張ってる」

「あー、はいはい。そうだねっと……次の弾こめ。やってみな」


 コッキングレバーを引くと遊底ボルトがさがり、そこにまた弾をひとつ込めて、コッキングレバーでボルトを押しあげ、薬室に弾を装填する。そしてスコープを覗きこむ。弾室マガジンに弾を込めてないのは、装填から撃ちだしまでの感触を身体に染みこませるためだ。


 オルテナがノートパソコンのキーを叩く。映像情報は高度五〇メートル上空を飛行する観測ドローンからもたらされ、そのままウルダのサイトスコープにも投影されている。


「さっきぶっ飛ばした樹の先にある山の岩壁だ。そこのヤギ、見えるか」


「生き物はまだダメ」


「はんっ。特技が暗殺って割には、お優しいこった」

「今日は、チキンの気分。マトンの気分じゃない」


「はっ。洒落たこと言うじゃねえか。お姫さまよっ。……おっ。いいもん見っけ、だ」


「……伝令馬?」


「例の野営地から出たばかりだろうな。ヤツを狙おう」

「オルテナ。だから」


「残念だったな。ヤツは生き物じゃねえ。アンドロイドって機械人間だ」

「きかい?」


「鉄やミスリルからできてる。人間のフリしてる人形のことさ。ヘタすりゃ魔導具の遠い親戚ってこともあるか。心配すんな。あれをぶち抜いても神様の範疇はんちゅう外だ。バチなんざ当たりっこねーよ。でも暗殺屋らしく一発で仕留めろ」


 おざなりな励ましに、ウルダは無言で狙撃銃を構えなおした。


「いいか。直接狙っても距離が離れてる分、弾の到達に遅れがでる。相手の進路方向と速度をよく見て、想像しろ」


「遅れるの、どれくらい?」

「そうだな。この距離なら……四秒?」


 ズダォン!


 ノートパソコン画面の中で、兵士の〝兜〟が六、七メートル高く舞い上がった。


「ごめん。外した」ウルダは素直に謝った。


 オルテナはぐうの音も出ない様子で、盛大に鼻息を吹き出した。


「ったく。さすが特技が暗殺っていうだけのことはあんな」


 のちに、この伝令を途絶とぜつさせたことが、ロイスダールを困惑させ、中央軍にとっての悲劇をもたらすことを、二人は最後まで知ることはなかった。


  §  §  §


 馬車を取り戻して野営地へ出発する前。

 マクガイア・アシモフのオフィス。

 俺は熟練技師と魔法使いを交えて、ある提案をさせてもらった。


「スナイパーライフルに〝樹形連環陣〟セフィロトエンジンを載っけたらどうなるのでしょうか」


 俺の提案に、その道のプロたちは一様に変な顔をした。


「あんたが何言だしたのか、あたしにはちょっとわからないんだけどね」


 アルサリアには通じてなかった。俺は慌てて一から説明した。


「えっとですね。この世界には、〝火薬〟という物質が存在しません」

「カヤク? なんだいそりゃ」


「はい。火をつけると硫黄のように燃え上がり、爆発現象を引き起こす粉ですね。スナイパーライフルというのはですね。その火薬を使って金属片を飛ばして、遠くにいる敵にぶつけて殺傷する武器なんですが……想像できます?」


「要は、弓矢を遠くに飛ばしたいのかい?」

「ま、まあそんな感じですね。ただし大きさはひと抱えくらいの装置なんですが」

「ふうん。それじゃ、材質は?」

「魔女さん。こいつだよ」


 オルテナが部屋に入ってきて、デスクに細長いアタッシェケースに似た銃器ケースを置き、開いて見せた。眠っていたのは部品単位で納められていたが、紛れもない世界最高峰の狙撃銃だ。


 俺はオルテナに頼んで、組み立ててもらった。


「これが弓かい? 誰が撃つんだい」

「それなんですが、ウルダに頼もうかと」

「この子、まだ小さいじゃないか」


 群青の魔女がとなりの少女を引き寄せて灰髪を撫でる。なんか気が合うらしい。


「この場で、ティボル・ハザウェイの姿を知っているのが彼女しかいません」

「カラヤンがいるじゃないのさ」


「カラヤンさんには、すでに別働として下山してもらいました。行き先はティミショアラです」

「おい。そいつは聞いてねぇぞ。オレは何気にあの人の腕を当てにしてたんだがな」


 マクガイアが自分の席で赤髭をしごく。俺は、さもありなんと頷く。


「カラヤンさんには野営地から離脱する翡翠軍と呼応して、バトゥ都督補とともにニフリート様の救援に向かってもらうように頼みました。ティミショアラ内から中央軍を一掃できれば、拠点防衛に専念することができます」


「アルジンツァン家もアウラール家もか?」

「アウラール家はオラデアへ向かってもらう予定です」


「なるほど。そりゃあ助かるが……とにかく狼のアイディアを聞かせてくれ」


 俺はうなずくと、


「このスナイパーライフルという武器を素材として〝樹形連環陣〟セフィロトエンジンを乗せ、魔法の矢弾を飛ばしてティボルを仮死状態にし、俺が救出してきます」


 室内は静まり返った。リンクスがくしゃみを一つ。


「前にも言ったと思うが、ここから野営地まで十二キールだ」マクガイアが面倒くさそうに言った。「例え、その魔法技術を応用して乗ったとしてだ。十二キール先の人間をどう見分ける。それこそ千里眼だぜ」


「はい。そこで、この〝ナーガルジュナⅩⅢ〟に装備されている周波探知システムを応用してティボルの居場所を索敵、そのデータをマクミランTAC50の光学照準器のサポートシステムに繋げてスコープ内で補正し、発射します」


 マクガイアは赤髭をしごく手を止めて、大きなため息をついた。


「オルテナ」

「ん?」

「マシューに仕事だつって呼んでこい。それとコーヒー。ミルクと砂糖たっぷりだ」


「あいよ」

「あの、内線電話があるのでは?」俺はおずおずとデスクにある電話を指差す。


 マクガイアはデスクに頬杖をつくと、またため息。


「マシューのヤツは自由時間はゲームを始めるんだ。ゲームサウンドをマックスにしてな。内線のコール音くらいじゃ聞こえねぇんだよ」


「あのぉ、このアイディア。ダメでしょうか?」


「さあな。ただ、なんでわざわざ仲間を撃たなきゃいけねぇのかなってな。さっさと中央軍の指揮官を撃ち抜けば済む話じゃあねえのかい?」


「いやぁ。実は俺、その指揮官をまったく知らなくて」


「ん。あー……そうなのか。いや、そりゃそうか」

「マクガイアさんは、ご存じなんですか。誰なんです?」


 マクガイアはなぜか教えてくれなかった。

 今にして思えば、それがよかったのかどうか俺にもわからない。

 俺は、あの悪魔の予備知識を持って野営地に行かなかった。

 おかげで、ロイスダールという〝鉄狼〟への恐怖が、絶望へ向かわずにすんだ。


 その代わり、俺の抱いた恐怖は俺自身にさえ手のつけられない方へ向かってしまった。


 ──〝怒り〟へ




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