第58話 魔術師パンクィナムって、誰?


「おきて。おきて。おきて。おきて……っ」


 ペチペチ、ペチペチ。


 小さな感触で目の前にユミルの顔が像を結ぶ。仕事中だったのか、フリフリ制服のままだった。


「おきたー! お姉ちゃーん、狼、起きたよーっ!」

 身体を起こすと、部屋にフレイヤが飛びこんできた。


「狼っ。大変なのっ」

「どっちが?」思わず訊いた。


 フレイヤは細い金眉をハの字して、


「どっち? えっと……両方?」

「ユミル。ペルリカ先生は今、どこ?」


「狼を叩き起こしてでも、お屋敷にこいと伝えろ。それでわかるからって」

 だから、俺は本当に叩き起こされていたわけか。


「うん、わかるよ。──フレイヤ。リンゴある?」

「え、ええ。食堂に。スコールが狼が起きたら必要になるだろうからって……本当にもう大丈夫なの?」


 両手を胸元で握りしめておろおろするフレイヤ。

 俺はベッドの下から魔法斧を掴み出すと、それを杖代わりにして立ち上がる。


「あの、狼。それとね。ハティヤがね」

「うん」


「ライカン・フェニアが確かに受け取ったって言ってた。って」


 冷たい空気を吸っただけの〝エンジン〟に、じんわりと熱が行き渡る。

 ガラス工房の職工たちに感謝。〝金床〟の店主に感謝だ。


(それなら、俺の仕事はもう、一つだけだな)


「わかった。ありがとう。フレイヤ」


 彼女のほっそりした肩に手を置いて、俺は部屋を出た。

 廊下に出ると、グローアとギャルプがいた。

 西に向かって俺は謝ると、一度母屋に戻って腹拵えをした。


「おおかみ」グローアがやってきた。

「わたしも何かしたい。できるのは、歌うことくらいだけど」


 俺はありったけのリンゴをポケットにねじ込みながら、


「それなら、みんなでヤドカリニヤ邸に行った時に、ノルバートさんにお願いしてみよう」


「ユーもっ。ユーもやるぅっ!」

「わかったわかったって。じゃあ、ユミルは望遠鏡係を頼むよ」


 ユミルは小さな鼻をぷくぷくさせて得意げな笑顔になり、自室に走っていた。


「あの、狼……私も何か、できそう?」

 フレイヤが遠慮がちに見つめてくる。俺は小首を傾げて、


「きっとね」

 四〇秒後。家は無人になった。

 家の前には、既に荷馬車が止まっており、御者が座っていた。


「狼。お前の読み通り、面倒なことになってきたぞ」

〝霧〟のグリシモンだった。


  §  §  §


 黄昏の刻。

 甲冑姿の男女が頻繁に出入りするヤドカリニヤ邸に子供たちを連れて入る。

 ノルバート卿の案内で食堂に通されると、知っている顔と知らない顔が半々だった。


「遅くなりました」

「おお、ギリギリで間に合ったな」

 カラヤンが革鎧姿で手を挙げた。


「すみません。それで、グラーデンの所在は」

 カラヤンはテーブルに広げられた地図を指さして、


「南東の隣町オグリンに七〇〇が駐留。すべて騎馬だ」

「誰からの情報ですか」


「ティボルだ。ヴボルブスコまで行商に出てた」

 そう言えば最近、町で見かけないと思ったら、マジメに仕事してた。


「よく拘束されずにセニまで戻ってこられましたね」

「いいや、しっかり捕まったらしい。ヤツらに追い抜かれてオグリンまでついていく形になったらしい。だから、コイツを押しつけられて夜行させられたってよ。今、使用人部屋でぶっ倒れてる」


 地図の端に置いていた羊皮紙を引き寄せて、俺に差し出した。


【      告 

 ヤドカリニヤ商会に告ぐ

 先般、貴殿らが保護した獣人は、当家で長年保護、捜索を

 続けていた魔術師パンクィナムであることが判明した。

 ついては、尊師の身柄を金五〇〇で──        】


 最初の三行で馬鹿馬鹿しくなって読む気にもならなくなった。


「あの人、本当に魔術師ですか?」

「ペルリカによれば、専攻は錬金術と降霊術。術書もいくつか出しているそうだ」


 ペルリカ先生がこの場にいないところを見ると、手術の立ち会いについたらしい。


「書き口も、こんなノリで?」

「まさかな。そりゃあ書記官の書き癖だ。おおかた。戦場捕虜の身柄返還要求書ばっかり書いてたんだろう。きっと書きながら、なんで獣人なんか引き取るのかって頭を傾げてただろうぜ」


 カラヤンが皮肉ると、ウスコクの兵士達が俺に遠慮するように笑った。


「しかも俺の価値、金五〇〇ですか……安く見られたもんですね」

「なあに。今回のことで目が覚めたら魔術師パンクィナムを見る眼も変わる。五倍は堅てぇぞ」


 カラヤンは嘯くと、ニヤリと笑った。俺は目を細めて怪しんだ。


「そのむさ苦しい笑顔。もしかして、もうあの風船。一つ試したんですね」

「ったりめぇだ。威力がわからなきゃ、どう配置するかもわからねぇだろう。結論から言っておく。ありゃあ、いい魔法だ」


 俺は思わず耳を倒して、肩を落とす。


「うまく……いっちゃいましたか」

「そうしょぼくれた顔をするな。大丈夫だ」

「それで、企画立案はどうなりました」


 するとカラヤンが振り返る。シャラモン神父がうなずいて、指示棒で地図を指さした。


「オグリンからセニの町までは約十八キール。これを約六キールごとに三つの区画に分割して、戦法を変えていきます」


 すなわち、第1区画。

 ノボメスト騎士団に対して、カラヤンによる戦前いくさまえ口上を行い、彼らを挑発。


「待ってください」俺は説明を止めた。「戦前口上って何ですか?」

 シャラモン神父は話の腰を折られて気分を害するでもなく、


「敵陣に向かって、相手の非を挙げ連ね、こちらの正当性を並べて、敵の戦意を挫くこと。あるいは怒らせることですね。騎士の戦場作法として、この口上が終わらないうちに進軍や攻撃をさせてはいけないことになっています。要は、足止めです」


「もしかして……。時間を稼いで、ノボメスト軍の身体を冷やすのが目的ですか」

「ご明察です。時間稼ぎは姑息ですが役に立ちます」


「なるほど。寒さで彼らの戦意を奪うわけですか」


 重鎧を着ての進軍なんて、冷却プレートを身体に貼りつけているような物だ。汗が冷えれば防寒対策をしていても低体温症まったなしだ。


「しかも、仮にも侯爵家が戦前口上を受けながら、黙って聞き流すのは武門の恥ですから、大抵は反論者を前に立てて、自分達の正当性を説いてきます」


「カラヤンさんのヘリクツに付き合えば、長引きますね」

「そういうことです」

「おい。誰がヘリクツだ」


 次に、第2区画。

 およそ六キールの直線に、水を撒き、雪を凍らせる。


「カラヤンさんはこの区画を往来できますか?」

「馬の蹄鉄に穿鋲スパイクを履かせています。ただ」


「ただ?」

「ちょっとやり過ぎましてね。この区間がすべてカッチカチなのです」


 六キロもアイスバーンかよ。俺は肩を落とした。


「……迂回されますね」

「ええ」

                        

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