第32話 本人のいない所で動き出す衛生隊(メディックス)


 夜明けを待って、俺はヤドカリニヤ商会専用の伝書鳩を放った。

 ヤドカリニヤ商会には伝書係という伝書鳩を管理する係が古くから存在する。

 ノルバートという執事が、そうだ。

 その人宛てに、俺は相談を持ちかける伝文を書いた。単文ではなく、長文で。


【極秘。家政ノルバート殿宛て

 議題 スミリヴァル様ご病状の兆候

 発議者 狼/ライカン・フェニア

 用件 速 会議招集手配を求む。参加者以下

 カラヤン・ゼレズニー/メドゥサ・ヤドカリニヤ

 同家夫人ブロディア/司祭シャラモン

 ライカン・フェニア/薬師ペルニカ/ティボル

 尚、ノルバート殿におかれても同席されたし 】


 議事はライカン・フェニアから関係者への事情聴取から始まり、スミリヴァル会頭代行の健康懸念が表されるだろう。ただ彼女にとっては抜き打ち招集になる。対応が不安だ。

 それに、この世界にはまともな医療知識がない。俺の医学は災害用の応急処置くらいしかないから、どんな内容で、どこまで彼らが理解できるのか予想もできない。


 ライカン・フェニアはオーバーテクノロジーとして、医師のスキルを隠そうとしてきたが、やはり仁術の徒として見過ごせなかったのだろう。まさか異世界不干渉を盾に自己満足程度に聞きかじって、日和見ようとは……しないだろうな。

 それなら、彼女の誠実を軽んじるのは仲間として怠慢だ。


「狼、早いね」

 毛布を頭からかぶって、ハティヤが大欠伸で幌から出てくる。


「一応、ヤドカリニヤ家に根回しの手紙を送っておいた」

「そう。ありがと……ねえ。朝食は、町に着いてからにしない?」


 やっぱり昨夜は話し込みすぎたかな。


「たしかに町までもうすぐだけど、紅茶もいいの?」

「うん。燃料もったいない。朝市で売るもの売ったらランチは豪勢にしない?」

「いいですねえ。そうしよう」

 この後、俺たちは馬に水と飼い葉をしっかり与えて、町を目指した。


  §  §  §


 どうしてこうなった……。

 ふとした思いつきをハティヤに持ちかけただけ。のはずじゃった。

 あの娘から狼が動いて例の男性の生活習慣を聞き出し、そこから病状を判断すれば納得したのじゃ。

 見殺しになったかもしれんが、少なくとも吾輩が表に出ることはなかったはず。


七城塞公国ジーベンビュルゲン〟の外で医学をふるうと、後でムトゥがうるさい。だからその場の知的欲求さえ満足させられれば、それでよかったのじゃ。


 なのに──

 吾輩が〝発議者〟って、どゆことなのじゃ!?


『そうか。まぁ、今回。吾輩だけなんの役にも立っておらん。肩身が狭いの』

『大丈夫ですよ。博士にはセニの町に着いてから、しっかり科学の叡智を振るってもらいますから』

『うむ。そうか。その時が来れば、吾輩の科学のすいを見せてやるのじゃ』


 あの風呂のあとの宴会で、いつの間にか狼に言質を取られておったらしい。


(あのようなこと……言わねばよかったかの)


 連れて行かれた場所はヤドカリニヤ家の食堂。そこには、狼がおらぬだけの主要メンバーが揃っておった。

 いや、あと患者と見なした男性も見当たらんか。


 みな真剣な目で吾輩を見つめ、何を言い出すのか身構えておる。

 何千年ぶりかな。この緊張感。〝徨魔バグ〟の襲来とは違った静謐な空気。


「お前さんの席は、そこだ」


 ハゲ頭が指示する。左右の机が並んだテーブルの一番奥。一段高い椅子。炎上必至の火磔ひあぶり柱に見えた。


「か、上座はちょっと遠慮したい。あがり症なのでの」

「あがり症? そうか。──おい。テーブルの前にイスを出すぞ。輪席にしてくれ」


 ハゲ頭のひと言で使用人が現れ、テーブルがどかされる。イスだけが円状に並べられていく。実に手際がよい。つい最近にも同じようなことがあったのじゃろうか。


 吾輩は、ハゲ頭とメドゥサ殿の間に座らされることになった。

 彼女のとなりには、患者の妻。次にシャラモン神父は、今世話になっている家の主人じゃ。そのとなり──吾輩の正面がペルリカ、そして少し間が空いて、ティボルとなる。

 この場に子供がいないのが、なにやら不思議な気がする。


「ノルバート。お前も狼どのから同席するよう指示がでているのだろう。座ってくれ」


 メドゥサが壁際に控える壮年男性に声をかけた。

 見せられた手紙に彼も指定されておるのか。ということは、患者に近しい人物か。


「いえ、お嬢様。わたくしは部外者が立ち聞きせぬよう、注意を払わせていただきます」


 メドゥサは毅然とかぶりを振った。

「ならぬ。事は父上の健康の話だ。父上を幼少より見てきたお前だからこそ、応えられることもあろう。今日は頑固を通すな」


「恐れ入ります……それでは」

 彼はハゲ頭とティボルの間にイスを挿し入れた。座るの時も一礼を欠かさず。慇懃を崩さない。そうか。彼はこの家の古株の使用人なのじゃな。


 とにかく、三〇分か。吾輩は一応、挨拶を述べる気になった。

 昔のブリーフィングの感覚を思い出せればよいが。


「それでは改めて、おはよう諸君。吾輩は、ライカン・フェニアじゃ。狼の友人にして、アスワンで学術を究めんとしておった者じゃ」


 この世界に合わせて自己紹介するのが難しい。ムトゥやカリネスコは自分の素性を隠したままこんな面倒くさいことをよくやっておるわ。


「フェニア。その前置き、長くなりそうか?」

 ペルリカがどこから取り出したか、ティーカップで悠然と紅茶をシバいておる。


「ここには吾輩を知らぬ者もおる。おぬしは黙ってそれを飲んでおればよいのじゃ」


 ペルリカが肩をすくめるのを視界の隅に置いて、吾輩は患者の妻を見て続ける。


「とにかく。……いや、もう単刀直入に言おう。吾輩は先日、この家の主人殿の顔を見て、病を見て取った。すなわち顔色が黄色い。これは黄疸おうだんといって肝臓を傷めている証拠と見出したのじゃ」

「肝臓……というと?」


 これじゃ。この世界は自分の内臓の名称まで一般的ではない。厄介じゃ。それでもこの世界にまで知識レベルを落とす努力をする。


「酒を飲み過ぎると身体に毒だ。という言葉を聞いたことはないか。その言葉の通り、身体には酒を飲んだ時にその酒を処理する器官がある。それが肝臓という」


 吾輩は自分の鳩尾みぞおちの少し下を拳で押してみせた。


「酒を長きにわたって、あるいは短期間に大量に飲み過ぎると、やがて酒を処理しきれなくなって、ここが壊れる。

 御当家の主人殿はまさに、その状態の……どの程度に来ているのか知りたくて、皆の衆にここへ集まってもらったのじゃ」


「どの程度というのは?」

 ハゲ頭が吾輩の顔を覗き込んでくる。


「病はケガのように一度では起きん。花が枯れるがごとく、ゆっくりと着実に進むのじゃ。それを初期、中期、末期と区別する。最悪、修復不可能の末期となれば、ご主人殿は死ぬ」


 患者の妻の頭がくらりと揺れた。横からメドゥサが支える。


「あいつが急に太ったのは、その病のせいか?」

 吾輩は顔を振った。


「ゼレズニー殿。其許そこもとは勘違いしておる」

「なに?」


「急に太ったのではない。徐々に肥満していったのを、周囲の者達は看過しておったのだ。仕事上の暴飲暴食で太るのは、社交界においてはごく一般的で、他の参加者たちも肥満しておった。本人は元より周囲の家族も当然のことと思い込み、誰も不摂生をいさめなかったのではないかや?

 急に太ったと感じておるのは、彼が健康だった頃の姿が頭に焼き付いておるから、長期間の時間があき、改めて会ってみて過去との記憶違いに驚いただけではないのかや?」


 吾輩の問いかけに対し、返事がない。


「では、手始めに。誰かに応えてもらおうかの。ご主人殿の年齢はいくつじゃ?」

「四三、です」患者の妻が弱々しく言った。


「うん。ご主人殿は身体もさほど大きくはない。その年齢で、あれほど肥え太りはやはり尋常ならず。酒の量が多く、仕事の負担も大きいのであろう。疲れがたまっていることに本人も気づいておらん節がある。あと問題があるとすれば、あの腹だ」


「腹?」ハゲ頭が聞き返す。


「異様なまでに膨れて下がっておる。もしかすると腹の内に水がたまっておるかもしれん。いずれ歩くことも、ままならなくなるかもしれんのじゃ」


「そ、それでは、どうすれば」患者の妻が怯えた目で見てくる。

「方法はある。だが容易たやすいことではないぞ」

 この異世界の文明レベルではな。


「っ……お聞かせください」

「うむ。腹を切り裂いて溜まった水を出すのじゃ」


 ああっ。患者の妻はか細い声をあげてイスに座ったまま卒倒した。

 アスワンでは外科手術の事例が散見されたが、やはりネヴェーラ王国近辺はいまだ未発達なのじゃ。ここで成功例を出せたら……ムトゥがうるさいの。


「フェニア、それは戯れではなかろうな」

 ペルリカが静かにこちらにめしいた顔を向ける。


 吾輩は真っ直ぐに見返した。この場に医を汲む者がおることは心強かった。


「彼の腹を直に触って、その張り具合を診たいのじゃ。吾輩が学んだこの医術という学問はいまだ道半ばじゃ。しかし自分から言い出した以上、診立てをたがえることがあってはならん。ゆえに現段階では五分五分とさせてくれ」


「肝の臓に効く薬なら調合してみせよう」


 吾輩は顔を振った。

「おぬしの出番は、腹の水を抜いた後じゃ。腹に水が溜まっておれば、いかなおぬしの妙薬でも役に立たん。それよりも、痛みをマヒさせる妙薬は作れるかのぅ」


「痛みをマヒ? 痛み止めか?」

「頭痛薬や腹痛の薬ではない。外傷の麻痺薬じゃ。刃物で切り開く際に激痛を伴う。それを感じさせぬ薬を作って欲しいのじゃ」


 麻酔ばかりは、異世界過干渉になるから我が手で作ってやることはできん。

 しかしアスワンでも外科手術による死亡の最たるものが麻酔手術によるショック死じゃった。二番目は輸血できないことの失血死。

 まずは痛覚の壁を乗り越えねば、勝負にならん。


 ペルリカはカップソーサーを片手に持ち、反対の手で自分のおとがいを摘まんだ。


「ふむ……いつまでに?」

「早ければはやいほど、患者殿には良いはずじゃ。あと、なんと言うたかのぅ。おぬしだけの魔法」


「〝秩序の昏瞑とばり〟か?」

「うむ。それで患者殿の身体の中を見通すことはできぬかや?」


「体内を? ……残念だが、妾のこの目では体内患部の詳細までを見ることはできんな。──レイ。いけるか」


「わかりました。やってみましょう」

「神父が魔法かや?」

「この男は、妾の弟子だ。今は帝国魔法学会の目を盗むためにサンクロウ正教に入信した」

「なんじゃ。師弟そろって盾突いておるのか」

「ふふっ。おかげで、幸福だぞ。なあ?」


「あの。卒爾そつじながら、申し上げたきことがございます。よろしいでしょうか」

 ずっと黙っていた執事ノルバートが挙手する。

「なんじゃ?」


「はい。ただいまのお話。どなたが旦那様に申し上げるのでございますか?」

「ん? それは……えーと」

 吾輩らはとっさに目線で、何かを押しつけ合うのだった。

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