第31話 幸運の女神はヤンデレでした


 俺の記憶が正しければ、粘土2。黒鉛8の比率だったと思う。


 鉛筆の芯の話だ。


 一般的なHB鉛筆の比率は、粘土三に、黒鉛七。それよりも濃く柔らかくする場合には黒鉛の量を増やせばよかったはずだ。

 まず黒鉛と粘土を水で混ぜ合わせる。


 黒鉛は本名をグラファイトといい、炭素を含む元素鉱物だ。鉛とは別物になる。でも、どんな鉱物粉でも肺に入れると基本的にまずいので、口を布で覆うことは忘れない。


 次に、これを直径一〇センチの銅製の円筒容器に流し込む。その上から直径九センチの銅円柱と木の梁を乗せ、左にユミルとロギ、右にギャルプとグローアを座らせて押し固める。


 空気が抜けたところで容器の底板を抜き取り、円柱状の黒光りした〝鉛芯〟を押し出す。この段階で鉛芯はまだ粘土の柔らかさを残している。


 ここからは、俺のいた前世界と違う試みで進めてみた。


 これを水平な鉄板で厚さ二ミリまで押し潰し、パスタ製造機にかける。ハンドル式のシュレッダーだ。パスタと違うのは、強力粉のグルテン質よりも硬く、イカスミよりメタリックな黒であること。

 そこから出てきた黒鉛スパゲティ(約一・九ミリ)を落下で潰れないように板で支え拾って、長さ二〇センチに切りそろえる。


 この段階で芯は四角形なので、落としブタをした木箱の中でゴロゴロと転がし、角を取る。


 これを天日で乾かすこと一日。

 乾燥を待つ間に、俺は子供たちを連れて馬車で山にでかけた。


 せっかくの入会権を有効活用すべく、人海戦術で薪を拾いながらカジノキを探す。


「ない……けど、あった」


 カジノキが見つからない代わりに、クワ科本家の〝真桑まぐわ〟の群生地を見つけた。桑は落葉樹なので、冬になると葉を落として枝だけの寒寂たる姿となる。


 その外皮の繊維質は、カジノキやコウゾと同じく、和紙の原料だ。

 桑紙は、前世界のウイグル族が、公文書に使用したほどの高級紙に用いられた。シルクロードを使ってヨーロッパにもたらされたそうだ。


 だが、西洋の公文書にはすでに羊皮紙があったため、紙材とは見られなかった。


 西洋人の目に、桑は、その葉を主食とする〝あの御方〟の飼料であり、絹織物の原材料の一部と見なされた。


 そういえば、この時期の根っこの皮が漢方薬としても重用されると、ツカサから聞いたことがあるな。


 とりあえず、成木を二株ほど掘り起こして、試験的に漢方薬と紙きの材料を確保する。


 ちょうど町に生薬しょうやくの専門家である薬師がいるから、彼女に買い取ってもらうのもいいかもしれない。


 どうしよう。金鉱を探していて、ダイヤモンド鉱を見つけた気分だ。大銅貨三枚の元が取れたどころじゃない。この幸運のツケはどこで払わされるのだろう。小市民のさがで、ついビクビクしてしまう。


 夕方前。自宅に戻って持って鉛芯の乾燥具合を確かめる。

 手に持ってふにゃりと曲がらなくなった物だけを集め、今度は鉄製の円筒容器に入れる。


 それを明日、ガラス工房に持っていって一昼夜、焼いてもらう。

 その役目を、俺はロギに託した。


「工房長には、俺からだって言って頼めば渋々でもやってくれると思う。完全に冷めるまでフタは開けないこと。次の朝に引き取った時は、この中にオリーブオイルを芯が浸るくらいにいれておいてくれ」


「油? なんでだよ」

「芯に油が染みこむことで折れにくくなるし、引っ掛かりなく線が引けるようになからだよ」たぶんな。


「ふーん。それで」


「俺の部屋に板が二枚ある。もう二種類の溝を掘ってるから、その片方の細い溝に芯を入れて接着。それで、二枚を貼り合わせて接着。最後に太い溝に沿って棒状に切断すれば完成だ。片っぽの端をナイフで尖るように削れば使えるよ」


「細い方に芯、太い方を切断……うん、わかった」

 ロギはもう面倒くさそうにはしなかった。俺が自分のために何か作っていると気づいたのかもしれない。


 夕方。

 発注しておいた品物を〝検品〟。荷積みして、俺は、ツァジンへと向かった。


   §  §  §


「ハティヤは、どうしてついてきたの?」

「どうして? あなたが言ったからよ。一緒にいるから、ついてきて欲しいって」


 荷物の隙間を埋めるように肩を並べて寝袋にはいる。

 風は凌げてもやっぱり幌の中は冷えこんだ。白い息を絶えず吐きながら会話して、寒さを忘れることが夜の作業になった。


「ペルリカ先生の昔話を聞いても、ウルダほど動揺しなかったわ。わたしって変なのかな?」


「変じゃないよ。でも、ウルダの動揺というのか、求める絆の不安があまりにも直情的だったから、ハティヤもそんなだったらどうしよう。とは思ったけどね」


「ふふふっ。わたし、あの子みたいに素直じゃないの。ウルダみたいに好きが単純に身体で表現できない。むしろ、あの子が羨ましいくらいなんだから」


「好きが単純じゃない、か」

「これでも、普通の人を好きになったつもりよ。他の人じゃ、きっと物足りなくなってるんだわ」


「もうじき……君に言い寄ってくる男がたくさん現れると思うよ」

「どうして?」

「それは、きみが……魅力的になっていくからかな。うん」

「あなたは?」


 二人きりの時だけ、ハティヤは俺をあなたと呼ぶ。


「俺は変わらない。きみは変わっていくけど、俺はずっと狼のままだ」

「狼のままは嫌?」


「嫌という気持ちはないよ。あるがままさ。変わりようがないからね」

「それは諦めてるってこと?」


「ううん。あるがままを受け止めてる、つもりかな。否定しようのない物を否定し続けるのって、結構心をすり減らすんだ。壁が思っている以上に高かったり、周りから無駄だと思われてることなら、尚更ね」


「そういうことわかってるのって、大人よね」


「どうかな。諦めが早い。信念がないとも言える。とにかく、目の前にあるやりたいことを手当たり次第にやって、カラヤンさんやシャラモン神父のおかげで、道筋が見えてきているような気がする」


「それじゃあ、狼は、どこへ行こうとしてるの?」


「それは……。まだ見えてこない。普通に生活できるだけのお金を得た。人に出会い、問題を解決して信頼を得た。それもこれも、きみが最初に言葉を教えてくれたからだ。俺は幸運だったと思う。

 次は、この生活を維持すること。向上させること。そして、家族を持つこと。その家族を養って、守って……結局、俺はどこにも行けないのかもしれない。

 俺が人でいたいと思う限りは、傍にいてくれる人の笑顔を見て安心したいからね」


「それが、あなたの目標。あなたの、幸せ?」

「……」とっさに答えが出なかった。


「やっぱり、ツカサ・シロタカに、会いたいのよね」

「ごめん。忘れられないんだ」


「ううん。いいの。わたしも亡くなった人に挑むほど無謀じゃないわ。でも」

「でも?」


「もし、ツカサ・シロタカがあなたの前に現れたのなら、わたし、殺すわ」

「えっ?」


 横を向くと、ハティヤの真摯に見つめ返してくる目とぶつかった。


「あなたをられたくないの。ツカサ・シロタカにだけは。それがわたしの嫉妬なんだとしたら認める。でも、あなたを奪わせない。必ず殺すわ。先生やおじさん、メドゥサさん。スコールやウルダ達に嘘をついて巻き込んででも」


「ハティヤ」


「ペルリカ先生も言ってた。こんな男に惚れるなんて自分でもどうかしてたって。でも、顔を見ると、声を聞くと、自分の許に帰ってきてくれると、たまらなく満たされる。生きててよかったと思う。これが真の幸福。理屈じゃないんだって。

 その気持ち、すごく共感できたの。あなたを見て、本当にその通りだと思った」


(ハティヤがまさかの、ヤンデレ化……っ!?)


 ペルリカ先生。洗脳完了しちゃってるじゃないか。周りの大人より地頭がいい分、恋愛若葉マークのウルダよりひどいぞ。どうすんだよ、これ。


「ハティヤ。でも、ツカサはもういないんだから、そんな修羅場にはならないよ」

「シュラバ?」


「前いた世界の恋愛用語、だったのかな。一人の相手を巡って、複数人の当事者が現れた時に紛争状態になる現場をそう言うんだ」たぶん間違っていないはず。


「ふぅん。でもツカサさん現れたら、わたしでしょ。ウルダでしょ。あと、フェニアに……」


「ちょっと待って。なんでそこに博士が?」


「え。ペルリカ先生の話を聞いた後に、狼の名前をふっただけで、鼻血吹いて倒れたんだけど?」

 どんだけ妄想膨らませてパンクしたんだよ。あの複製体ホムンクルス。しっかりしろ異世界女子代表。


「恐れながら、ハティヤ様。申し立てたき異議、これあり」

「うむ。苦しゅうない」


「本当にツカサはもういないんだ。俺が勝手に心の処理がし切れてないだけだから」

「でも、あなたはその人のせいで、まだわたしを心から好きになってくれてないんでしょう?」


 寝袋の中で凍りつくほど汗をかいている。朝起きたら霜柱になってなきゃいいけど。


「いや、ですから。それは……いろいろと障害があるかと」

「わたしはないと思う。誰か好きになるって、この世界で一番自由なことだと思うから」


 うごごっ。ティーンエイジャーが宇宙の真理を悟ったぞ。最強だな。無敵だな。


「確かにそう、かもね……あの、もう寝ませんか?」

「ちょっとぉ。今の切りあげ方、不自然だった」


「だって、ハティヤには討論で勝てないよ。降参」

「何言ってるのよ。普段から、いろんな権力者を言い負かしてるじゃない」


「それは……ハティヤが可愛いから、さっ」

「ブー。そんなティボルみたいな軽薄なお世辞は通じませんっよぉ~だ」


 俺は笑って誤魔化した。ティボル、どんまい。


「あ、そうだ」こちらを追いこみ過ぎない匠の技か、ハティヤが話題を変えた。「フェニアがね。狼に聞いておいてくれって。頼まれてたんだけど」


「博士が? なんのこと」

「スミリヴァルさんが太った経緯、誰に訊けばよく知ってるんだろうって」


 スミリヴァル族長の肥満原因?


「それ、どういうことかな」

「さあ。わたしは奥様に訊いてみたらって言ったんだけど、コネがないから接見できないって」


 ライカン・フェニアは世界過干渉を気にしている。自分がこの世界に干渉できない異世界人だから、現地人と不用意な接触をできるだけ避けておきたいらしい。


「そうかぁ。なら、カラヤンさんかメドゥサさんに仲介頼んでもいいけど。一体どうしたんだろう」

「わかんない。できるだけ急いだ方がいいみたいなことは言ってた」


 太った原因で急ぐこと。嫌な予感しかしない。


「もしかすると、スミリヴァル会頭代行……身体が悪いのかもしれない」

「どうして?」


「うん。博士はアスワン帝国の学校や研究施設で学者でもあるんだ。何か気づいたんだろうね」

 この世界には医師という職業はまだないから帳尻を合わせておく。


「へえ。……見えないね。恋バナで鼻血出したのに」

「ねぇえ!?」

 ほんと意味わかんねえよ。あの人。

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