第30話 粘土屋ブランツィン商店


 行きつけの鍛冶屋ホヴォトニツェの金床に顔を出すと、なにやら夫婦そろって忙しそうにしていた。


「こんにちは」

「あっ。狼。帰ってたんだね」


 女将のヴェルビティカが玉子が転がるように店先に出てきた。


「なんか、忙しそうですね」

「そりゃあ忙しいさ。開店準備をしてるからね」

「開店準備?」


「ふふっ。やっと資金と共同経営者が決まってね。〝爆走鳥亭〟を買ったのさ」

「えっ!? あそこを」


 女将さんは心底嬉しそうに顔をほころばせる。


「薬膳居酒屋を開こうと思ってさ」

「や、薬膳?」

 なぜだろう。なんか嫌な予感がした。


「そりゃあ、ロジェリオは腕のいい料理人でもあったから、最初はうまく客がつかないだろうけどね。でも、あの場所をあのままにしておくのは、あの家族にとっても寂しいんじゃないかと思ってさ」


「確かに。いたむだけじゃなく、彼を知ってる連中でバカ騒ぎも供養ですかね」

「そうともさ。それに、共同経営者はあたしより商売上手だからね」


「ええっ。それって……まさか、ペルリカ先生とかじゃあ、ないですよね?」


 俺の知ってる人で薬膳と商売上手と言えば、あの魔女しかいない。

 すると女将さんは、こいつはすごいとばかりに諸手を挙げて驚いて見せた。


「狼。あんた、魔法使いかい。実はそうなんだよ。あのペルリカ先生がカーロヴァックに見切りをつけて、この町に腰を落ち着けになるんだ。

 いいかい、狼。これは間違いないよ。この町はデカくなるよ。リエカと肩を並べるくらいにね」


「おい、ヴェルビー。これどこにやるんだあ?」

 旦那のカールが店奥で声をかけてくる。彼女は俺への挨拶もそこそこに店の奥へ引っ込んでいった。


 手配りが早すぎる。そんな話、本人からひと言も聞いてないぞ。

「俺を見張る気かなあ。いや、さすがにそこまで粘着質でも……どうだかなあ」


 困惑しつつ〝金床〟を出ると、すぐに陶食器の陳列が目に飛び込んできた。


   §  §  §


〈ブランツィン商店〉

 店に入ると、陳列棚にうっすらと埃がかぶっていた。

 奥で赤いバンダナを海賊巻きにした女性が無心で粘土をこねていた。


「あのぉ。すみません」

「はいよ。悪いけど手が放せないんだ。気に入ったのがあったら持ってって。代金は値札通りでいいから」


 一人で経営しているのか。確かに、食器に木札が乗っていた。


「あの、粘土が欲しいんですが」

「粘土? ……何に使うの?」


 スコールから噂を聞いているだけに、説明しづらい。


「黒鉛と混ぜて窯で焼こうかと」


 ふいに女性の手がピタリと止まる。顔を上げると、化粧っ気のない二〇代前後の童顔。やけに若い店主に驚く。


「あ、狼っ。なになに、ウチにも何か商売繁盛の魔法をかけてくれるわけぇ?」


 ああ、俺この界隈かいわいでそんな風に見られてるのか。向かいの鍛冶屋が忙しくなっていくのを、彼女は店の奥でずっと見てたのだろうか。やりづらい。


「いやあ。えっと。画材を作りたいだけなので」

「画材? 絵を描く?」


 俺はこくこくとうなずく。途端に、女性はガッカリと肩を落としてまた土をこね出した。


「ウチは見ての通りっ、〝土器屋〟なんだよ!」


(訊いたのそっちだから。同じ粘土で、なんでキレてんだよ)


 卑下する理由は、すぐにわかった。彼女の作品群が、くすんだモノトーンの素焼きだったからだ。器自体は立派な形になっているのに地肌がざらっとしている。


 これは釉薬ゆうやくを塗ってないからだろう。だから低い温度で焼く〝土器〟になる。しかし使われているのは赤土じゃない。この灰白色はなんの土だろう。


 前世界でも、土の素朴な風合いを楽しむ陶芸手法はある。でも、その風合いを残しつつも釉薬は塗る。器の景色(見た目)に変化を付けるためと、焼き締めた時に割れにくくするためだ。

 これがないと窯の温度は上げられない。土器から陶器、磁器へのランクアップができない。


 と、訳知り顔で考えてみたが、俺自身の陶芸経験は一日。いや数時間だ。


 修学旅行先の北海道。陶芸体験教室で土を触らせてもらった。その程度。

 ただ、学校に帰ってからはちょっと興味があって少し調べた。ガラスの時とそう変わらない。


 例えば粘土のこね方は同じなのに、地方の数だけ工夫がある。どれが元祖でどこが本家なのかなんて、どうでもよくなるほどに窯元は多い。

 にもかかわらず、廃れず大名や大商人に愛され、保護を受けて四〇〇年以上生き延びた器作りの技術。それが陶芸だ。


 ヨーロッパの陶芸も似たような経緯で生き残った。時の権力者に献上し、気に入られて支援保護を受けた。やがて人口に膾炙かいしゃしてブランド会社として今日まで技術をつないでいっている。


 待てよ。これもある意味、画材だよなあ。


「あの。スマルト液(ヴェネーシア共和国陶芸における釉薬ゆうやくのこと)は何を使ってます?」

「スマルト液? 何それ?」


(うっほーい。やっぱり土器は比喩じゃなかった)


「それじゃあ、焼き窯はどちらに?」

「……見えんでしょ。そこの奥」


(うそだろ。あれ……なんか壊れてなくなくない?)


 耐火レンガで積み上げた自動販売機を五、六台並べた奥行き。窯としては小さい。燃料が入らない。大量生産もできない。反射炉に携わった経験上、火力はせいぜい摂氏六〇〇度だろうか。ガンガンに炊き込んでも八〇〇度に届くかどうか。

 陶器の焼き入れ最適温度は一〇〇〇度を維持しなくてはならない。


 なにより炎の機密性が必要なのだ。なのに、窯の横っ腹に穴が大口を開けている。


 粘土屋──。

 スコールが聞いた時点での呼び名は、昨日今日の屋号じゃないのだろう。

 修繕する金がないのか。店主が外からタオルが投げ込まれるのを待っているのか。


 どちらにせよ。この店──、終わってる。


「ちょっと。そこで考え込むのやめてくれない?」

 女店主ににがった声を向けられて、我に返る。


「失礼。さっきレンガ工房で新しい焼き窯の建設を発注してきたばかりなんですよ」

「……ふーん。そりゃ商売繁盛で何よりだわね」


「まことに申し訳ないんですが、ご店主」

「んん?」

「俺に、引き抜かれてくれませんか」


「……おたく、何言ってんの?」

 女店主は無表情でまばたき一つせず、見つめてきた。


 俺は、われ知らず自分の踵が背後の床をこする音を聞いた。でも言うべきことは言う。


「この店を畳み、ヤドカリニヤ商会の手代として、ガラスやレンガや鉄の精錬に携わってくれませんか。お給金はちゃんと出します」


「あんた……っ。あたしをバカにしてんのか、って言ってんのっ!」

「もうその窯では、客が欲しいと思う物を生み出せません。潮時です」


 言った直後に、さっきまでこねていた粘土が飛んできた。


〝金眼〟がスローモーションに接近する物体を捉える。

 直径四〇センチのいびつな土塊つちくれ。重さから石とそう変わらない。顔面で受け止めれば、首のむち打ち症は必至。避ければ食器達に当たる。

 仕方がないので、たたき落とすことにした。


 ビタンッ。


 床に貼りつく湿音とともに肩が痺れた。拾ってみて予想以上の重さにゾッとする。


(くっ。本気で投げたな。てことは、自分でこの現状に気づいてるわけだ)


 それと……なんだろ、この土。この手に吸い付く感じ。


「ふざけんじゃないよ! 親から守り抜いたこの店を続けるのに、あたしがどんだけ苦労してるのか分かってんのっ!?」


 守り抜いた。そのセリフは使い方あってるか。


「でも、その苦労が結果を伴っていなかったわけでしょう? 俺みたいなバケモノの魔法を待ち焦がれるほどに」

「べ、別にあんたなんか、待ち焦がれてなんかないわよ! 勘違いしないで!」


(照れ屋か。なら、さっき商売繁盛の魔法を期待してたのは誰だよ)


「もし、俺の提案に乗ってくれるのなら、器作りのアイディアを出します。そのための助手も一人つけます。期限は、春の窯開きまで待ちます。

 その間に、この店を完全に閉めてレンガ工房に来てください。その時、助手にも引き合わせますから」


「はんっ。誰が!」

「あなたは少し、他の窯の熱も感じてみるべきだ。この店の窯は正直、ぬるいですよ」


 女店主がすくっと立ち上がった。手には、泥水の桶。


 俺は全力疾走で店を飛び出した。

 でもまあ、粘土はタダで手に入ったから、ヨシとしよう。

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