第33話 魔物から編んだもの


 ツァジンの朝市に出店し、あらかたの品物が売りさばけたのが昼前だった。

 俺とハティヤは欠伸しながら、飲食店にくり出す。


 その店の席に座るまでに、「今回も連れてる女の子が違うじゃないか」と意味深に声をかけてきた町住民は男女七人。マジ勘弁してくれ。


「ずいぶん町ぐるみでなつかれちゃったわね」欠伸しながら、ハティヤが笑う。


「まったくだよ。俺をなんだと思ってるんだか」

「その割には、うまくあしらってたじゃない?」

「いじめないでくれます? むしろ他にどんな態度すればいいか教えて欲しいんだけど」


 俺は疲れた声を洩らす。

 サラミソーセージ級に太いソーセージグリルと生果実の盛り合わせを注文。ハティヤはクレープみたいな挽肉入りオムレツと蜂蜜入りジンジャーティを注文した。


「それで、狼。今後のご予定は?」

「カラヤンさんの古い知り合いで、ズィーオさんの牧場に行く」

「牧場……加工肉の取引?」

「ううん。羊毛」


「今、冬だけど。秋でも毛刈りってしないわよね」

「そうだね」

「なによ。もしかして〝悪企み〟?」

「ちょっと前のね。うまくいってればいいんだけど」


 そう言い置いて、俺は肉にかぶりつく。腹を満たして店を出ると馬車に乗り、郊外へ。


 久しぶりのズィーオ牧場は人が増えていた。しかも十代の少年少女ばかり。

 母屋の前に馬車を止めると、一番年上とみられる十七、八歳くらいの少女がピッチフォークを手にやってきた。肩幅ががっちりしているので、迫力がある。


「うちに、何か用?」

「三日前に手紙を送っておいた、狼なんだけど」


「おおかみ? 見たまんまだね……待ってな。聞いてくる」


 少女は牧羊場に駆けていく。少しして、中からズィーオが頑固そうな目をして現れた。


「ご無沙汰してます」

「おおっ。やっときたか。間に合ったな」


「そのご様子だと、繁殖に成功したみたいですね」

「ん? ワシのことか?」


(子供の前でそういうオヤジギャグやめろよ。女の子たちシラけてるぞっ)


 俺は愛想笑いで受け流す。ズィーオの機嫌は良さそうだ。


「アレグレット(カラヤン)は息災か」

「ええ。夏に子供ができます」

「なにっ。そりゃめでたいな。まあ、母屋で話をしよう」


 オレとハティヤは馬車を母屋に寄せ、老人について母屋に入る。


「ラリサ、〝アルゴノート〟を」

「ズィーオっ、嘘でしょ。こいつらにアレを売るんですか?」


 がっちり系少女が語気も強く抗弁した。


「そうだ。はなからそういう約束だった。心配するな。こいつは信用筋だ」


 少女は顔を振りながら太腿を叩いて失望を示すと、広間を出て行った。


「すまんな。オメェたちのことは、あいつに細かく説明してなかった」

「あの子達は一体?」


「ラリサだ。ワシと同じさ。アスワンに一切合切を奪われて……その上、親を失った。他のガキもな。お前らがビハチ要塞を襲って帰った後、数日たって牧羊場で寝ていたのを、バロメッツが見つけた」

「あの魔物が?」


 ハティヤが怪訝そうに俺を見るが、老人の話は途切れない。


「それから三日おかずに子供が次々とワシの牧場に流れてきた。。上はさっきのラリサが十八。一番下はまだ乳飲み児で五人もな」


「あ、うちとおんなじだ」

 ハティヤが急に親近感を持ったように微笑する。


「あの、うちもシャラモン神父に拾われて七人なんです」


「神父か……。ふんっ、お前は確かハティヤだったな。ここが孤児院に見えるか。ワシはあいつらを育てる気なんかこれっぽっちもねえんだよ」

「えっ」


「ここはワシの牧場だ。羊を育てて売ることはするが、人を育てることはしねえ。あいつらにもそう言った。勝手に育って出て行くのは構わんが、ワシはお前らの親にはなる気はねぇとな」


 ハティヤは困惑した目を俺に向けてくる。俺は笑いを堪えるのが精いっぱいだった。素直じゃない〝頑固ジジイ〟も相変わらずか。


「ところで、ズィーオさん。バロメッツの数は増えたのですか」

「ああ。ガキと同じ六頭になった。飼料代がかさんで仕方がねぇがな」


 逆算すると毎月一頭、産み落としたことになる。さすが魔物。繁殖力が違う。


「繁殖成功、おめでとうございます。それで羊毛の収穫高は?」

「ふんっ。現段階で──、二・二パンドだ」


 前の世界なら、ほぼ一キロか。マフラーなら悪くない量なのではないか。


 そこへ、ラリサが布袋を両腕に乗せてやってきた。スーツ生地を扱うような丁重な運び方に、俺の期待は高まった。


 布袋が老人の腕に渡されると、彼はそれをテーブルの上に置いた。そして、俺に高級そうな綿の白手袋を渡された。


「えっ、わざわざ手袋ですか?」

「狼。始めに言っとくぞ。エディナ様献上のマフラーはもうできあがってる」

「えっ。できあがってる? それじゃあ、これが」


 ズィーオは俺をぐっと見据えたままうなずいた。


「お前からもらった金で、人を雇えた。刈り取った羊毛をすぐ糸にさせ、腕のいい織り師に仕事をさせた。それだけバロメッツから穫れた毛が素晴らしかったんだ。

 そしたら、案の定だ。戻ってきた完成品のデキが良すぎてな。その織り師が周囲に言いふらして、貴族の耳にまで入れやがった」


「貴族って……誰の耳です?」

「オクタビア王女だ」


 俺は眼玉をぎょろ~りと一回転させて、正面で止まる。


「国王カロッツⅡ世の娘。スペルブ・ヴァンドルフ中将夫人のっ?」

「ほう。そこまで知ってるとはな。方々でいい仕事をしてきたのか」


 なんかズィーオから褒められた。


「でも、夫が戦死したのに、マフラーなんか買ってる場合なんですか?」

「ところが、あの国王の娘はそういう神経の持ち主だったのさ。貴族ってのはそういうトンチキなことをやる人間が多いんだ」


「それで、いくらで?」

「王女の支援を後ろ盾に、二万五〇〇〇」


 もちろん、単位はロットだろう。ただのマフラーだぞ。バイクの排気筒じゃないんだ。絶句する俺に、ズィーオがニヤリと笑った。


「さあて、お膳立てはしたぜ。それだけの価値があるかないか、オメェの目で確かめてみるんだな」


 盛り上げてくれるな。俺は布袋に手を入れた。

 やわらかい。指の間からこぼれ落ちると錯覚するほどのなめらかさは、牝馬のたてがみのよう。それでいてずっと持っていると手袋ごしでも手に温かさが生まれてくる。おれはゆっくりと袋からマフラーを取り出した。


「う、うわ……はぁ」


 となりで見ていたハティヤが驚嘆と恍惚をブレンドした吐息をこぼした。

 俺が思っていたカシミヤと、なんか違った。

 魔性の白玉金毛。神々しい光沢を放つ、月女神のプラチナブロンドだった。


「それでは、ハティヤ鑑定士。鑑定をお願いします。おいくらでしょう」

「えっ。えええ。もう、狼っ。イジワル言わないでよぉ」


 ハティヤは眉をハの字にして、顔を振った。


「どうだ。狼」

「いいですねえ。艶、手触り、色。織り目のつまり具合。これは最上、いや至高のマフラーです。……織り師の名前と国籍は?」


「ドナチェロ・アレハンドロ。ジェノヴァ協商連合ランゴバルド共和国」


 老人はおもむろに立ち上がった。

 暖炉に歩み寄り、マントルピースに掛けられたボウガンを手にした。

 すでに弦は引かれており、ボルトを装填するだけの状態だ。


 どゆこと?


「ワシの古い馴染みだった男だ。絹織物ギルドの元組合長でな」

「それならなぜ、売り込みはジェノヴァ僭主せんしゅではなく、ネヴェーラ王女へ?」


「ふふふっ。バカ言うな。〝ハドリアヌス海の魔女〟のお膝元で、ヤツがこのマフラーを売り歩けるはずがねえだろ」


「えっ。それじゃあ、エディナ様に連絡を出してたんですか」


 老人はむっつりとした顔で頷いた。


「ドナチェロに撚糸ねんしを渡した直後にな。モデラートに連絡した。オメェがエディナ様に献上したがってる物があるから楽しみにしとけってな」


「なぁんだ。せっかくエディナ様に驚いてもらおうと思ったのに」


 がっかりしてみせると、老人は口の端を吊り上げた。前に会った時と比べて顔が柔らかくなっていた。


「粗忽モンなんだよ、オメェは。近所の余り物の野菜じゃあねえんだ。上になればなるほど、そういう不意打ちは下心と読まれて不興を買う。お前がやろうとしてる相手は、小悪党の賄賂わいろってケチな品格じゃねえんだ。

 ちゃんと用件を告げ、貢ぎ物ごと受け取るか受け取らないかの選択つきで予約しねえと、上から相手にもされねえんだ。これが正式な〝請願せいがん貢物こうぶつ〟のやり方だ。覚えておけ」


「ご教授痛み入ります……。それじゃあ、その織り師の変心はいつから」


「七日前だ。ヤツが三月かけて織り上げてきたブツを納品しに来た。その場で二万で買い取りたいとな。ワシは突っぱねた。もうマンガリッツァ・ファミリーからの裁可が下りてるってな」


「ドナチェロは、それでも諦めなかったのですね?」


 ズィーオはボウガンに箭を装填して構えると、窓に向けた。


「ヤツはそれから二度ほどやってきて、ワシに二万五〇〇〇まで値を上げてきたが、ワシは、うんと言わなかった。その場も引き下がったが、ヤツの去り際がどうにも気に入らなくてな。

 試しに、子供を使って途中まで後を追わせた。そしたら、ジェノヴァ行きの停泊港へ戻らず、ザグレブへ向かった。それがオメェが手紙をよこす、二日ほど前だ」


 俺は魔性魅惑のマフラーを布袋にしまってハティヤに手渡し、立ち上がった。窓辺に立つ老人の横に歩み寄る。来るとすれば、方角は北か。


「それなら、そんな人にどうして糸織りを頼んだりしたんですか?」


 ハティヤが布袋を両手のひらに載せたまま窓辺にやってくる。握るとやわらかさでこぼれるからだ。

 老人の答えは明快だった。


「知れたことだ。ヤツの織り師としての腕が良かったからだよ。小娘。人なんざ金を前にすりゃあ本性が出る。だが人の本性ってのは、日常生活で出してる面と同じモンとは限らねえだろ?」


「そうですね」俺はうなずいた。


 金やギャンブル、酒や女にだらしのないロクデナシでも、仕事をさせれば超一流。仕事には手を抜かない。それもまた、その人の本性だ。いろんな本性が糸のように縒り合わさって、一本の人間なんだ。


「だが、まあ。ヤツもワシと同じ、いいとしだ。ここらで同じ悪党らしく汚泥にまみれた最期として、みっともなく締めくくろうってな」


「ズィーオっ!?」

 ラリサが悲しそうな顔で寄ってくる。老人は目に力を滾らせた。


「ワシのことはいいっ。お前は子供たちを避難させる用意をしろ。バロメッツに火をかけた時の対応。覚えているなっ?」


「う、うんっ」

「よし。なら、行け。もうじき来るぞ」

「ええ、来ましたね。ドンピシャリだ」


 人の目には見えないが、俺の〝金眼〟が、狼耳が、雪を蹴立ててやってくる騎影を捉えていた。


「大丈夫。全員傭兵です。ネヴェーラ騎兵だったら話が大きくなってましたけど」

 間に合ったとは、このことのようだ。俺は母屋のドアを開けた。


「ハティヤ。行くよ。マフラー持ってきて」

「えっ。でも……あー。はいはい。わかりましたよ」


 判断が速い。頼りになるなあ、相棒。


「おいっ。お前ら……! もう戻ってこなくていいぞっ」


 俺とハティヤは示し合わせたわけでもなく、息ぴったりに肩をすくめた。


「今、出て行くから勝機があるのです。二時間ほどしたらまた戻ってきますから。ズィーオさん。彼らが現れたら、慌てた様子でこう言ってやってください」

「あん?」


 ハティヤが不敵な笑みで、布袋を持ち直した。

「あいつら。お金も払わずにマフラーを奪っていったぞお! ってね」

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