第34話 傍若無人の追走止撃(パルティアンショット)


 俺は、手鏡で後方を覗きこんだ。

 追走してくる騎馬の数は、五騎。


 道は一本道。馬車の横滑りを恐れて蛇行は少なめの道を選んだ。


 騎馬と違って、荷馬というのは速度が出ない。その代わり持久力があり、物を引っぱるという力に粘りを持っている。


 ともすれば、俺の馬は遅くて、追っ手の馬は速かったということになる。

 まあ、荷物つきの馬車と騎馬じゃあ、そのうち追いつかれるよなという漠然とした予感はあった。


 もちろん、追いつかれた後に彼らを迎撃することも想定に入っていた。

 ハティヤが矢で追撃を遮っている間に、どこか迎撃できる場所を探そう。


「狼。終わったよ。敵影ナシっ!」

「えっ、はあ? うっそ~ぉっ!?」


 手綱を引くのも忘れて、俺は後ろを振り返った。

 雪のカーチェイスならぬホースチェイス。開始からわずか十五分で、終了。


 馬から男を射落とす楽しさ(?)を覚えてしまったか。ハティヤの弓の冴えがとどまるところを知らない。


「ただ真っ直ぐ突っこんでくるんだもの。張り合いがなかったわ」


 最近、俺が密かに思い始めているのは、この世界の騎馬で弓を装備している騎士は稀なのかもしれない。ということ。カラヤンでも馬上は槍か剣だそうな。


 ハティヤは家族の食料調達のために馬でウサギなどの獲物を追っていたから騎射ができる。独学で身についた技能らしい。

 カラヤンも「馬を止めずに矢を当てるのは、おれでも無理だ」と驚いていた。


 だから馬車の荷台が揺れたくらい、彼女にはどうということはないらしい。


 ハティヤは頭もいいし、見た目の涼やかな美貌とも関係なく、内面は周りの男性を驚かせるほどアクティブだ。スポーツ万能系女子。モテない理由がない。


 ただ、浮気がバレたら、逃げても馬で追いかけられてヘッドショットされる自信が、俺にはある。


  §  §  §


 ズィーオ牧場に戻ると、ジジイとジジイが泥だらけになりながら殴り合っていた。


 ラリサが両手を振って喧嘩を止めてくれと訴えてくる。

 ハティヤがもの悲しそうに眺めている。


「ズィーオさん……。ボウガンで外しちゃったんだね」

「ハティヤさん。外してないよ」


 俺が視線を促すと、納屋のそばで傭兵の一人が鎧ごと胸を貫いて倒れていた。


 仕方なく馬車を降りて、俺が冷たい雪泥でのたうってるジジイどもを引き離す。という名の、投げ飛ばし。お年寄りには優しく。


「くそっ。つつっ。狼っ。テメェなんのつもりだ!」

 腰をさすりながら、ズィーオが吠える。

「こちらの話を聞いていただこうと思いまして。このまま帰ろうと思います」

「おうっ。勝手に帰りやがれっ。エディナ様によろしくな」

「はい。後ですね」

「あぁん? まだなんかあるのかっ」


 俺はポケットから、羊皮紙のメモ紙を取り出した。泥だらけの両手で触られないよう、相手の鼻先に近づける。


「この人物の顔にピンときませんか。後日、エディナ様にもお尋ねしようと思ってるのですが」


「こいつは……この御方は」

 ズィーオがふいに押し黙る。それから俺を見上げて、


「たぶん、グラーデン・フォン・ミュンヒハウゼン閣下だ」

「どなたです?」


「ネヴェーラ王国国王カロッツⅡ世の実弟だ。彼を知る者は、国王が与えた領地シトゥラ侯爵と呼ばず、グラーデン侯爵。あるいは母方姓のミュンヒハウゼン侯爵と呼ばれてる」


「人気のある方なのですか」


「ああ、大物だ。帝国諸侯や協商連合の大商家とも太いツテがある。少なくとも国王が殺したくても、殺すのはマズいと思うくらいの実力者だ」


「では、弟の方は兄のことをどう思ってるんでしょうか」

「そりゃあ、テメェで調べろよ。すぐわかる」

「すぐですか?」

「ところで、お前。ノボメストから出た三〇万の行き先、分かってんのか?」


 難民の行き先?


「三〇万人の離散です。わかってるも何も、ネヴェーラ王国内全域に散らばられたら把握しきれないでしょう」


「まあそうだな。本当に全域まで散らばってれば、な」

 難民が国内全域に散らばっていれば。


(逆説に考えれば、無作為に散らばっていない? だとしたら……っ)


 ウソだろ。俺の後頭部に衝撃が走った。あまりに突飛すぎて目眩めまいまでした。


「帝国との決戦中ですよっ。……本気ですか。そのグラーデン侯爵という人は」


 老人は笑わなかった。血で汚れた口許をグッと引き結ぶ。


「本気も何も、実際にノボメストから住民はきれいさっぱりいなくなった。あの方はとっくの前にさいを投げちまったんだろうよ」


 ぶっきらぼうに吐き捨てるとふらふらと起き上がり、またジジイがジジイへ向かっていった。


「……だったら、もう。止めようがないじゃないか」

「狼?」

 ハティヤが声をかけてくる。俺は彼女をせき立てるように馬車に上げた。


「行こう。今はこのまま進んでみるしかない。──ラリサ」


 俺はしっかり者のがっちり少女を呼んだ。まだ若干こちらに警戒心を抱きつつ駆け寄ってくる。俺は彼女に中型の革袋を差し出した。


「当座のバロメッツの飼育代とマフラーの代金だ。金貨で三〇〇〇入ってる」

「えっ!?」


「ズィーオが言ってただろ。俺たちが約束してあった信用筋だって。受け取ってくれ。あとあの二人に、と言ってみてくれ」


 呆然とする少女に、俺はヤドカリニヤ商会メドゥサ会頭の名刺となる木札を渡した。裏書きに俺の名前と記した町の名が入っている。名前は、狼だけど。


「何かあったら、ズィーオとセニの町を訪ねてみて。できるだけのことはするから」

 俺は御者台へ乗りこんだ。


  §  §  §


 帰り道。狼は、となりで地図ばかり眺めていた。

 休憩のあいだも極端に口数が減り、周りが暗くなると地図を見るのをやめて、星を眺め始めた。


「ねえ、狼……」

「ハティヤ。たとえ話を聞いてくれるかい」


 こちらの心配など聞こえなかったみたいに話し始めた。


「たとえ話?」

「うん。本当にたとえ話。でも、ハティヤに答えて欲しい」

「いいけど……」

「たとえば、俺が、シャラモン神父とスコールに戦場に出るように命じたとする」


「うん」

「二人がその戦場で死んだとする。でも、それは俺がきみを自分の物にしようとして、わざと二人が死ぬような戦場に送り込んだとしたら、きみは俺を許してくれるかい?」


「それは無理よ」

 私は即答した。考える余地などない。


「二人は、私にとって大事な家族だもの。代わりが利かない。病気で助からないのなら諦められるかもしれないけど。あなたが私を好きになってくれたとしても、二人を邪魔だと感じて死に追いやったんだとしたら、それは許せないよ」


「……うん。そうか。そういうものだよね。ごめんね」

「なんなの?」


「俺にはずっと家族がいなかった。この世界に来る前からずっと。でもようやく、それに近い仲間ができた。大事にしたい。でも、血を分けた家族がどういう意味を持つものなのか。よくわからないんだ」


「馬鹿ね。狼、それは馬鹿よ」

 私は思わず涙が出そうになった。


「今、大事にしたいって言ったじゃない。それが家族の意味よ。家族の中にいたって、仲の悪い家族だってある。実際、血を分け合ってもお金のために殺し合ってる家族もあるでしょ。

 でもそれだって家族なの。先生がたまに言うよ。同じ世界を共有していると感じることが家族である証拠なんだって。だから愛し合えるし、憎しみ合うこともできる」


「同じ世界を共有か……大きな話だな」


「宗教に関わって、そういう〝見方〟もあるのかと気づかされたって先生言ってた。神様なんてちっとも信じてない神父なのにね。学問としては面白かったみたい」


「そうか……見方か」

「ねえ。なんなの?」

「ユミルが見た男のことを、ずっと考えていた」

「うん」


 それくらいずっと私のことも考えて欲しいんだけど。


「望遠鏡の反射光くらいで、望遠鏡を壊しに子供を差し向けるような狡智に長けた知恵者だとしたら。その男はもしかしたら、偶然であったにせよ、ユミルに望遠鏡ごしに顔を見られたくなかったんじゃないかって思った」


「それって、次はユミルが」

 狼は闇の中で首を振った。

「十日経ってもシャラモン家には何事もなかったみたいだから大丈夫だよ。それは王国外の町だからなのか、望遠鏡の持ち主が小さい女の子と分かったからなのか、それはわからない。今回だけ見逃してもらえたのかもしれない。

 でも望遠鏡を壊したくなるほど、誰にも見られたくなかった顔だとしたら、あの目のつり上がった男は、どうしてその顔を人に見せたくなかったんだろう」


「それは……それが自分の、本性?」

「うん。本性の中でも、自分で抑えに抑え込んでいた負の感情だったと思う」


 ノボメスト難民が、セニの町領域の木を伐採した時、死人が出た。

 あれがあの男の指示による、威力偵察だとしたら。


「それって……誰かを殺そうとしている、とか」

「俺はね。彼が、あの王国そのものを殺したいんじゃないだろうかと思い始めてる」

「王国そのものを、殺す?」


「うん。だとしたら……彼の企画立案は、傍若無人すぎる。犠牲をいとわなさすぎだ」

 狼はそれきり、黙り込んでしまった。

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