第15話 ハティヤ、狼を想う


 ハティヤがマチルダと一緒に仕事先の町市場から帰ってきたのは、日没のこと。


「ただいま。帰りましたあ」


 家に入ると、シャラモン神父が帰宅を待っていたようにテーブルから立ち上がった。


「二人ともお帰りなさい。ハティヤ。すみませんが、彼らの手当てをお願いします。私はこれから、狼さんとヤドカリニヤ家に呼ばれていますので」


 彼らという言葉で、ふと居間のソファに顔を向けた。


 スコールとウルダが、小さなソファで身体を相手に預けるように頭を並べて寝ていた。二人の顔や手足には大小のアザがいくつもあり、だが表情は穏やかだった。どうやら、お互い支え合って帰宅したが、自室にたどり着く前に体力が尽きたようだ。


 シャラモン家の教育方針で、兄弟ゲンカで作った傷はシャラモン神父に魔法で〝なかったこと〟にしてもらえない。しかしケンカにしては派手にやり合ったものだ。


「わかりました……夕食はどうしますか」


「戻ってから、いただきます。話が長くなりそうなので、夕食は私を待たずにすませて構いません。カラヤンさんの急報で、あまり良くない報せのようです」


 ハティヤは表情を引き締めてうなずくと、養父と狼が出かけるのを見送った。

 いつもなら狼からも「行ってきます」の声があるのに、今日は無言で出て行った。


 ドアが閉まる音で、ウルダが先に目を覚ました。

 スコールが鼻先で眠っていることに驚き、ソファから飛び起きた。


「ウルダ。お帰り。戻ってこれて、よかったね」


 ハティヤが声をかけると、ウルダは目をじわりと潤ませ、唇をぐっとへの字にして抱きついてきた。


「みんな、狼とハティヤ達のおかげ……っ」

「うん。それより傷を見せて。狼の〝魔法薬〟で傷を洗ってあげる」


 傷は、打撲と擦り傷。しかしどれも手厳しい打撃で青紫になっていた。

 ハティヤは打撲した部位へ、布にたっぷり湿らせた魔法薬で洗う。


〝アルコール消毒液〟と狼は呼んでいた。


 バラのリキュールを作る際の蒸留装置で精製した高濃縮アルコールと精製水で創ったと説明されたが、要は乾くのが早いきれいな水だと解釈。これで傷口を洗ってから、シャラモン神父特製の〝聖ヨハネの湿布〟を貼れば不思議と傷の治りが早い。


「うぐっ!」

「あ、ごめん。この魔法薬。すごくみるけど、効能は間違いないから」


 ウルダの背中は様々な古傷で埋め尽くされていた。とても十三歳の少女の背中ではない。


 その白い背にまとう筋肉は鎧そのもの。硬すぎず張りがあり、指で押せばその力の分だけ押し返してくる弾性。スコールの背中によく似ていた。


「ねえ。今日、何があったか教えてくれる?」

「え、うん……。アンダンテと狼が──」


 内容を聞き終わると、ハティヤは困惑した。


(どうしたんだろう。狼が、焦ってる……?)


 話を聞く限り、アンダンテはウルダとともにスコールを鍛えようとヤドカリニヤ商会の工場予定地に横槍を入れてきただけだ。


 練習鍛錬が、どうして急に模擬戦闘に──実戦形式に変更されたんだろう。

 スコールとウルダの実力を知りたかったのは、アンダンテ以上に狼なんじゃないか。ハティヤにはそう思えた。でも、理由がわからない。それに、


(私だって戦えるのに……っ)


 内心で、少し不満を吐露してみる。

 経験豊富なカラヤンがいないから不安もあるだろう。町で聞き込みをしていたみたいだけど、うまくいっていないのかもしれない。


 なにより、〝爆走鳥亭〟の閉鎖が、彼の焦りに拍車をかけているのは確実だろう。

 敵の存在。友人の死。


「あの。ハティヤ」ウルダが聞いてきた。

「うん?」

「狼のこと、好き?」


 思わずアルコール消毒する不織布の手が止まる。


「家族としてね。頼り甲斐はあるし、落ち着いてるし。個人的には……どうなんだろう。まだわからない。彼、忙しいし、すごく優しいから」


 そう優しいのだ。同時に、守るという手段の難しさも知っている。

 スコールみたいに敵が現れたら、大胆不敵に突っこんでいって拳で叩きのめす。という守り方を好まない。それでは本当の意味で望んだものを守りきったことにはならない。そのことを知っている。


 守るとは、奪おうとする害意を寄せ付けないことだ。


 羊の群れにとっての牧羊犬のように。国家にとっての兵隊のように。


 ロジェリオの事件後から、狼は急に視野が広がった子供みたいに動き回っている。

 その証拠に、狼のベッドのサイドテーブルには、ヤドカリニヤ家から借りてきた高価そうな書物が三冊積まれていた。上から社会論や経済論、そして戦争論だ。そのページの間に羊皮紙を裂いて作った短冊がいくつもはさまっている。


 彼は石けん造りから解放されてすぐ、もう次のことを始め、足掻いている。これからも足掻き続けるのだろう。


 失わないために。

 彼は、失うことをひどく恐れている。ハティヤは、そんな気がした。

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