第52話 魔法使いが憩う店 後編


 その朝。

「どうだ、狼。私のもとにこないか」


 カラヤンとメドゥサ会頭。ペルリカ先生とシャラモン神父が同席するテーブルで、ブツの受け渡し。

 米飴の瓶を見て、白長髪の魔法使いは俺に向かってぬけぬけと勧誘を吐いた。


 その瞬間、俺の中で何かがブチリと音を立てて切れた。


「では、商談に入る前にまず、弁償代三〇〇〇ロット。いただきましょうか」

「商談? 弁償? 何の話かな。なんのことだ」


 勧誘の言葉を無視して、勝手に始めた俺の議案に、グラーデンは不愉快を隠さなかった。


 俺は言った。

「望遠鏡のです。子供を使って壊させたでしょう? あれ、俺が幼い少女に貸し与えた物なんですよ。

 その少女に暴力を振るって、望遠鏡を壊した子供四人の人相書きもできあがっています。こちらで彼らを探し、弁償できないとわかりました。なので指示者に使用者責任として、その賠償を請求します。三〇〇〇ロット。お願いします」


 グラーデンは鹿革に包まれた瓶をちらちら見ながら貴族の顔を整えた。興ざめしたような無関係を装うような虚無の顔になる。


「ふん……どうして、その指示をしたのが、私だと? 証拠があるのか」


 往生際の悪いジジイだ。俺はずっと持ち歩いていた似顔絵をテーブルに滑らせた。誰のとは、もう言うまい。


「これが、指示者と見られる人物の似顔絵です」

「っ……ばかなっ」


 グラーデンは、テーブルから似顔絵を鷲掴んで握り潰した。あーあ、ロギの作品が。

 俺はしれっと話を続けた。


「それと、今回のその〝薬〟の代金が二〇〇〇ロットで、締めて五〇〇〇ロットですね」

「に、二〇〇〇っ。五〇〇〇ロットだとっ!?」


 さしものグラーデンも目を剥いたが、事前に値段交渉をしなかったのが、このお貴族様の落ち度だ。

 もしかすると俺に脚気は治せないと思っていたのかもしれない。まあ、そういう世界だけどな。ここに、あの生真面目なライカン・フェニアがいなくてよかった。


「まさか俺が夜なべまでして、この〝薬〟をタダで作ったと? ペテンをお疑いでしたら何もお持ちにならず、どうぞお帰りください。脚気に苦しむ貴族はごまんといるでしょうから。

 ヤドカリニヤ商会の名の下に、特効薬としてジェノヴァで競売にかければ、安くても五〇〇〇はくだらない品でしょう」


 となりに座るペルリカ先生が、給仕服の袖で口許を隠す。俺は続ける。


「ヤドカリニヤ商会のをヴェネーシアに呼んで連日連夜の酒漬けにし、そこで聞き出した情報で、あなたは死んだムラダー・ボレスラフを脅したつもりのようでしたが。生憎、こちらは亡霊に気兼ねなどしない生活を送っていますから」


「狼どの、それはどういう……っ」

 メドゥサ会頭が目を見開いて、俺を見る。


「お父上は、嵌められたんですよ。この人にね」


 ヤドカリニヤ父娘は自覚があっても、気づいていないのだろう。

 元もとウスコクはずっと、ハドリアヌス海上の通商において厄介者だったのだ。


 ヴェネーシア共和国が融和政策をとって大人しくさせ、アスワン海軍にぶつけてガス抜きさせていたのが実情。要は、持て余されていた。ロジェリオも言っていた。


 そんな自由海族が石けんでひとヤマ当てたからと言って、手のひらを返したように一国の元首がハドリアヌス海の問題児を晩餐会に呼ぶだろうか。そんなはずがない。

 いまだヤドカリニヤ商会は、二大商家の支援は受けられたが、ぽっと出の新興商家に過ぎないなのだ。


 呼ぶなら他店に差を付けたい大商家や石けんを優先的に融通してもらおうとする耳敏い貴族の私的なパーティがせいぜいだろう。なのに、いきなり国家元首が主催する晩餐会。話がトントン拍子で、うますぎる。カラヤンが把握していれば驚くのも面倒になるほど罠の存在に気づいたはずだ。


 そもそもヴェネーシア共和国向けの石けんは株仲間協定によってマンガリッツァ・ファミリー名義で販売されている。


 その裏事情を知った上で、マンガリッツァ・ファミリーの窓口役であるレントの〈ジョーヴェルデ商会〉を迂回して、直接販売元のヤドカリニヤ商会だけを呼びつけるのは不自然と見るべきだった。


 だが、スミリヴァル会頭代行は栄誉に目が眩んで、まんまと飛びついた。

 つまり、ヤドカリニヤ商会は、このジジイに嵌められたんだ。


 石けんの製法を聞き出すために。


 一方、グラーデンにしてみれば、娘が来ると思っていたのに、やって来たのは製法をまるで知らない親のほう。当てが外れたと思ったことだろう。

 けれど打ち解けていく間に、スミリヴァル会頭(無権限)は酒酔いの中で奇妙なことをほのめかした。


 義賊ムラダー・ボレスラフの生存説。ひいては石けんにも彼が一枚噛んでいるようだとわかって興味を持った。

 エディナ様がカラヤンに、「関われば家族に会えなくなる」と言ったのはこのつながりがグラーデンの罠を見越しての警戒感からだろう。


〝ハドリアヌス海の魔女〟が石けん絡みだと告げなかったのは、グラーデン・フォン・ミュンヒハウゼンが大貴族であると同時に、同業者でもあったからだと思う。


 魔法使い──。

 魔法使いは他の魔法使いのやることに口を出してはならない。


 この不文律があるから、エディナ様は俺たちにはっきりとグラーデンの目的を警告できなかった。そして、ズィーオの言葉だ。


『帝国との決戦中ですよっ。……本気ですか。そのグラーデン侯爵という人は』

『本気も何も、実際にノボメストから住民はきれいさっぱりいなくなった。あの方はとっくの前にさいを投げちまったんだろうよ』


 とっくの前に賽を投げていた。

 ズィーオから聞いたグラーデンの動きは、俺が思っているよりも前。つまり、ノボメストが帝国によって陥落する前──株仲間締結前後には既に始まっていたのだ。


〝黒狐〟ゲルグー・バルナローカが業務提携より上の株仲間カルテルを持ちかけてきた真目的がグラーデンの暗躍に気づいて危機感を抱いたからではないかと思う。


 このことを俺たちに話してくれなかったのは、マンガリッツァ・ファミリーと情報共有することで情報網が大きくなりすぎ、情報統制しきれなくて漏洩する恐れがあったからだろう。大貴族に知られれば、株仲間など一瞬で叩き潰されるからだ。


 一方で、ノボメスト三〇万人の難民化は、彼が資金を与えて起こした大反攻計画だ。

 だが先日、セニ管轄の森で不告伐採が起きた。燃料不足によるものだったが、言い換えればグラーデンの資金援助が滞っているサインでもあった。


 この反乱が、援助する資金を用意する目処メドが立ってこその計画だとすれば、ではグラーデンはどこからその資金を得ようとしていたのか。


 それが、石けんだ。


「狼どの。わたしの……せいなのか?」

「えっ?」予想外の応答に、俺は虚を突かれた。


「わたしが石けんなど売ろうと言い出したから、父上は貴族の奸計に嵌まったのか」

「メドゥサ。そいつは違うぜっ」


 カラヤンがイスを蹴って立ち上がり、妻の膝元へ屈みこんで手を握った。揺れる妻

の目をしっかりと見つめて頷く。


「スミリヴァルは自分の意思で名誉を欲したんだ。ヤドカリニヤ家はこのハドリアヌス海でウスコクという民族同胞を養いながら、周りから取り残されて肩身の狭い思いをしてきた。誰からも褒められない半生だった。

 そこにお前が、スミリヴァル自身ですら諦めかけてた晴れ舞台をつくってやったんじゃねえか。

 そこで調子に乗って酒食に溺れ、甘言に欺されたのは、あいつが単純に田舎者だったからだろ? まあ、なんだ。父娘揃って、舞台では笑い者にされちまったのかもしれんがな」


「ふっ、ふふっ。そうだな。父上も私も、舞台に上がるのはヘタクソだったということだな」


「ああ、だが次はうまくやればいい。あいつには懲りてもらわなけりゃならんがな」

 メドゥサ会頭は深く目を閉じて、夫の手を両手で握り返した。


 俺がこのカラクリに行き着いたのは、今朝だ。

 ひらめいた瞬間、暖炉の前で毛布かぶってたまま寒気が止まらなかった。まさか大商家ではなく侯爵家が反乱資金として石けんの製法を狙うとは思ってもみなかった。


 そのことに気づくのが遅れたせいで、狼男の見てくれを持つ俺は、恥ずかしながら死を覚悟するほど狂乱する羽目になった。


 だってそうだろ。〝俺様ホーリツ〟を地でいく大貴族から、ある日突然、罪もないまま俺は生命身体の自由を奪われかねない強迫を受けたんだ。

 俺は人にあらざる外見。商家会頭はもちろん、地方長官タマチッチでさえ庇いきれるものではない。それが貴族だ。金も権力も持ってる社会的チートに、誰が抗えるというのか。


 だが事ここに至り、魔法使いとわかって、グラーデンの弱点が透けて見えてきた。


〝家族の前では人でありたいという願望〟だ。

 家族の病気のために薬を得ようと奔走した。魔法使いとして病を研究する時間もないほど事態窮迫していたのだろう。


 わかるー。チョーわかるぅ。

 だから容赦なく、慈悲なく、その弱点を突かせてもらうことにした。

 今回は、俺も怒ってるんだからな。


「いいですか、グラーデンさん。俺が慈善とか、忠義とか、名誉とか、そんな腹の足しにもならないモノでこれを造ったのではないことは、ご理解いただきたいものですね。

 そして、ここはジェノヴァ協商連合ヴェネーシア共和国セニの町です。あなたの権力が及ぶネヴェーラ王国じゃない。あなたに恩を売っても、俺にはなんの実入りもないんですよ。


 金がすべてとは言いませんが、給仕の娘に色目を使ったり、俺にナイフを突きつけて脅したり、あなたが単に貴族という身分だけでは許されぬ非行儀をされ、あまつさえ褒美は望むまま? そんないい加減な契約で誰があなたにこれを喜んで売り渡すでしょうか。


 その屈辱を忍んだ上でこの薬を調製したのは、他ならぬペルリカ先生の面目カオを立てるためです。味は穀物の甘みで飲みやすく作りました。毎日ひとさじ飲んで、これが空になる頃には脚気は治まっているでしょう。俺は提示できる物は提示しました。さあ、次はあなたが誠意を見せる番ですよ」


「誠意、だと?」

「金ですよ。五〇〇〇ロット。今回は一切割引はしません」


「ぐっ、それは……出せぬっ」


 なら仕方ないね。俺は無言で、米飴の瓶に手を置いた。

 そこにすかさずグラーデンの手が俺の手にかぶせてくる。剣ダコの硬い手だ。魔法使いなのに、剣も相当使うらしい。


「頼むっ。私には、私の孫にはこれが必要なのだっ!」

「そのために、望遠鏡を持った幼い子を複数人でいじめても構わないと?」


 真っ直ぐ白髪の狂紳士を見つめた。

 俺、あんたの反乱に微塵も興味ねーから。国の大義どうこうとか言いだしら、マジ渡さねぇからな。


「いや。それは……不可抗力だ」

「では指示はしたのですね。難民街の子供四人に、望遠鏡の存在確認と破壊を」


「うぬぬっ……したっ。指示を出したっ。子供ならこの町へ探索に入っても怪しまれないと思ったからだ」


 聞いていたメドゥサ会頭やシャラモン神父が呆れきった嘆息を洩らした。

 俺は真っ直ぐ相手を見据えた。


「では、少女の慰謝料に二〇〇〇ロット追加しましょう。七〇〇〇ロットでお買い上げ願いましょうか」

「き、貴様っ……人の足下を見る気か!」


 俺はくわっと目を見開いて、相手に眼光を飛ばした。


「もともと仕掛けてきたのはそっちだろうがっ。不告伐採で大人しくその場を立ち去っていればいいものを。望遠鏡の反射光に反応したあなたが優秀すぎたのですよ」


 グラーデンの顔が屈辱に紅潮し、全身をわななかせた。

 俺は臨戦態勢をとった。爵位も魔法使いもかなぐり捨てて、かかってこいよ。


 その時だった。


 店の窓ガラスが一斉にカタカタと震えだした。

 ガラスだけでなく壁まで震え出す。


「地震……?」

 直後、震源地──ペルリカ先生が大哄笑した。

 あのドラゴンブレス級の。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る