第65話 グラーデンの屈辱(5)
城門の扉を拳で叩く。
ややもして薄く開かれた鉄扉から、まっ先にあの顔が現れたのは意外だった。でも、どこかで安堵もした。
グラーデンは口を開く。
「カラヤン・ゼレズニー。……降参する。兵を助けてくれ」
すると彼は抱きしめてくると、グラーデンは町の中に引き込まれた。
「おれ達が勝ったぞぉ! 門を全開にしろ。王国旗を下ろせぇっ」
歓喜とはほど遠い厳しい声音で勝利宣言したあと、カラヤンはウスコク兵に命じた。
「町の馬車を総動員して、負傷者の収容急げ。女たちは湯を沸かせ! 清潔な布と下着。温かいスープの用意を頼む。彼らはもう敵じゃなくなった。助けてやってくれ!」
「カラヤン……ゼレズニー?」
「ああっ、わかってる。ここの連中も、あの大火炎を見てタマが縮みあがったもんだ。よく生きてたな。大将」
思わずグラーデンは相手の肩に悲しみを預けてしまった。
「だが、いたずらに兵を死なせてしまったかもしれん」
「うん……。それは家に帰ってじっくり考えるんだな。死んじまった連中の忠義を無駄にするのもしないのも、あんたの心一つだ。魔法使いは長生きするんだろ」
「そう、だな。こんな莫迦な真似は生涯に一度でよい。もう……懲りた、わ」
「なら、狼のことも諦めるんだな」
「……」
「おい。ジジイ」
「ゼレズニー殿。御前は眠ってしまわれたようだ」
ついてきた側近が神妙な表情で言った。
「おい、うそだろ。ったく……肝心な話で逃げんじゃねえよっ」
長身の老人を背負うと、歩き出した。
「ゼレズニー殿、どこへ?」
「悪いが、今夜は朝までどこも人手を取られててな。迎賓の用意ができねぇ。ヤドカリニヤ家に泊められるのは、この大将だけだ。
おめぇさんらは別邸やあちこちにある空き家に入ってもらうぜ。最低限の燃料と糧食は出してやるからよ」
「かたじけない。どうか、侯爵をよしなに頼む」
会釈すると、側近は門の外に出た。
「ちょっと待ちな。少し、そこで待てっろ」
カラヤンは呼び止めて、グラーデンを背負って町に戻っていった。それからすぐに木の器だけを持って戻ってきた。
「〝魚のスープ〟だ。食ってけ、暖まるぞ」
「いや、それは。兵の手前、遠慮させていただこう」
カラヤンはそれを許さなかった。厳しい目で顔を横に振る。
「そいつは逆だぜ。おめぇさんがこれを食って戻るんだ。その匂いを周りにさせろ。それで終戦したことを仲間に自覚させるんだ。大将も保護されたってちゃんと言えよ」
「っ……なるほど」
「それに、あんたみたいな面は、最期の最後まで働き続けるんだろう。米入りだ。今のうち腹に入れておけ。朝まで身が持たんぞ」
側近の騎士は、それでも逡巡していたが、やがて受け取るとそれを口に運んだ。
「ふぅ~……これは、うまいっ」
「だろぉ? うちの狼のレシピだ。料理が得意なんだ」ニカリと笑う。
「あの爆炎の設計者は、料理もできるのか」
笑顔が一転、カラヤンは厳めしい顔でうなずいた。
「それとあの水袋の計略もだ。あとな、これだけは言わせてくれ。後で大将にも言うつもりだ」
「なにか……」
「狼は、ミュンヒハウゼン家が召喚通告したことで、おれに殺してくれと頼んできた。それがこの喧嘩の端緒だ」
側近は目を見開いて、二の句が継げられないでいた。
「うっ。なっ、なるほど……。そういう事情だったのか」
「大将から聞いてなかったのか」
「うむ。ご本人に非があることは承知の上で、推し通るつもりでおられたようだ。余程気に入られたのだろう」
「あのジジイは手癖が悪いのかい」
「まさかっ。そのような俗物であれば、ノボメストが三〇万もの一大都市にならなかった。今回は正直……我らも戸惑っていた。余程の好ましい魔人に出会ったのだろう」
「魔人好きなのか」
「うむ。研究テーマにされているとは聞いた。かつて三〇〇年かけて魔界召喚したばかりの魔人と契約で揉めて、中位魔だと知らずに斬り殺した。それがために魔界から出禁になっているそうだ。そのことが、ノボメストでは子供に聞かせるおとぎ話にもなっている」
「なんてこった。やっぱり魔法使いってのは、ソッチの人種のかよ」
カラヤンは憮然と肩を落とした。
「おめぇさん、名前は」
「申し遅れた。参謀のヴォルター・ワイズマンだ」
「その家名、クリムゾン騎士団領の出か」
ワイズマンは顔を振って器を返すと、馬に跨がった。
「拾っていただいたのだ。〝わが父〟に」
「なるほど。わかった。話はまた後でしよう。とりあえず、そっちで損害をとりまとめて、後で必要な物があれば言ってくれ。できるだけのことはしてやる」
「かたじけない。よしなに頼む」
こうして、騎兵一千騎相手の大喧嘩は、商会側の勝利で終わった。
けれど勝った負けたで線引きをするのは、のちの歴史家の仕事。そう彼らはこの夜を述懐することになりそうだった。
§ § §
焼入れを終えて、刀身を長水槽につっこむ。
水の中で燃焼が鎮まるのを待ってから引き上げる。
「やった……入った!」
鍛冶神に感謝を捧げる。刀身に見事な〝
「ん……なんだ、これ」
よく見ると刃文の黒と白の境界部分に赤や青の粒子がちりばめられていた。
前世界の日本刀で〝
刀剣美術ではここも鑑賞ポイントになるんだが、色が付くなんて聞いたことがなかった。
(もしかして、俺のせいか?)
これ、たぶんマナだ。
この世界では沸や匂のかわりのマナ結晶が粒子のように散らばっているのだろう。
最近、疲れが溜まっているのか、夢中でやってるとマナが漏れてる気はしてた。そういうところは人間らしくなくていいのに。
いや、待てよ。
もしかして、あのガス風船にも俺の漏れ出たマナが混じってるなんてこと、ないよな。熱さを感じながら作業してたから【火】のマナとか。
経験上、マナは環境増幅素子のことだと思う。風には【風】のマナを。氷雪には【水】のマナを当てれば、自然法則を崩さぬ限り目的効果を派手にできる。
だったら【火】のマナを含んだ風船に火が着火するなり、家くらいなら軽く吹っ飛ばしかねん。
そして、あのカラヤンのむさ苦しい会心の笑み。あれは意図的な作り笑顔だ。
(やばいけど。もう……どうにもならん)
この直感が当たっていれば精神衛生上、心臓に悪い。動いてないけど。
「おい、どうなんだ?」
店主カールが訊いてくる。
俺は刀身を金床においてちょっと押し曲げて反りを修正してから、店主にも出来映えを確かめるよう促す。
「悪くないと思います。店主が言ってたこの武器の力っていうのは、多分、鉄にマナが含まれたからじゃないかと思います」
「鉄に、マナだって?」
そんな話は聞いたことがないと、店主は顔をしかめて金床から刀身を掴み、刃文をしげしげと見つめる。
「どれだ?」
「刃のところ。境界線に、赤や青の粒があるんですが……ここです、見えます?」
刀身にカンテラの明かりを近づけて、指で示してやる。
「いや、色は見えんな。粒が光ってるのはわかる。白いヤツだろ?」
あ、この人。魔法使いじゃなかったよ。魔法使いと結婚した普通の器用な鍛冶屋だった。
「そうですそうです。それが俺の目には青や赤に光って見えます。鉄がさっきの焼入れによってさらに硬さを増した証拠なんです」
「それじゃあ、マナ結晶がこんなにびっしりか?」
「ええ、まあ。でも研ぐと減っちゃうはずなんで、今だけですね」
美術品としてもちょっと〝
でも、今日はここまで。さすがに疲れた。
「なあ、狼。これ……おれが研いでもいいか?」
「えっ? でもあそこの研磨石は使って欲しくないのですが」
足こぎ式の回転砥石のことだ。かなりの粗砥だ。この世界のファンタジー的で無骨な剣ならいいが、日本刀だとあっという間に刃の肉を持って行かれそうだ。
「おい、狼の。ここをどこだと思ってやがる。オレだって職人なんだぞ。そんなヘマはしねえよ」
急に不機嫌になってギロリと睨まれて、俺も愛想笑いで後退った。
「わ、わかりました。それじゃあ、お願いします。あ、作業は年明けでいいんで」
「ああ。わかってるよ」
よいお年を。そう言い残して、俺は店を出た。
残念ながら、ここから東城門の様子はわからない。もう静まり返っていた。
こうして、長かった俺の異世界生活。最初の年が改まる。
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