第66話 手術室、ひと悶着


 ──星導師さま。帝王たってのご希望なのですぞ

 ──正気とは思えん。吾輩は臨床医学士ではない、病理の医学士なのじゃぞ!?

 ──病理だろうと病気だろうと、やっていただかねば星導師の権威が地に落ちます。主命であれば、拒めば極刑ですぞ


 ──失敗しても死であろうが!

 ──それは……まあ。

 ──陰謀じゃ。吾輩は嵌められたのじゃ! しかも初めての臨床施術がの手術など嫌がらせではないか!


 結紮けつさつの余り絹糸を鉗子かんしで切断した時、ライカン・フェニアは夢から醒めた気がした。


「……終わった」

 疲労困憊の補助者二人と、人工呼吸器の革袋を押し続けたメドゥサを見回す。


「終わったのじゃ。時間」


 ぼうっと虚空を見つめていたハティヤがハッと顔を緊張させて、養父から借りた懐中時計を見る。


「八時間、二四分です」

「メドゥサはバックそのまま。──ウルダ、外のウスコク兵を呼んでくるのじゃ。患者を搬出せよとな」


「りょ、了解……」


 ウルダがフラフラと小屋を出て行く。

 ライカン・フェニアはナイロン手袋を足下に捨て、患者の首筋に指を這わせて脈を取った。


「……うん。この世界で奇跡は起きたようじゃな。峠をまず一つ、越えたぞ」


 自然と笑みが浮かんだ。そばで人工呼吸器の革袋を押すメドゥサが感極まって泣き出した。八時間も休まず一人で革袋を押し続けたのだ。妊婦に酷な仕事をさせたが、よく頑張った。

 ちなみに、ペルリカは二時間前に「薬が切れたら起こせ」と薪ストーブそばのイスで毛布にくるまって寝息を立てていた。


「フェニアしゃんっ!」


 外からウルダが血相を変えて戻ってきた。その背後にはスコールが人を肩に抱えて入ってきた。


「急患か。スコール」

「うん。右肩と右の太腿に槍の刺し傷。一度カラヤンおっさんに診てもらって、ここに行けって」


 ライカン・フェニアは顔をちょっと動かした。スコールの背後で、患者の太腿を貫く金属と、足の爪先から滴っている雫を見た。


(大腿部貫通刺創。出血は……傷ほどでもないか?)


「わかった。スミリヴァル殿の搬送急げ。その者を次の台に乗せるのじゃ。──ハティヤ。煮沸分の器具をすべて引き上げよ。──メドゥサ、お父上の意識が戻るまでバックを絶やすでないぞ」

「承知っ」

「ペルリカ。出番じゃぞ。新たな患者じゃ」


 小屋内で患者の入れ替え作業がバタバタと始まった。

 ライカン・フェニアが新しいナイロン手袋を付けた。ペルリカがむくりとイスから立ち上がるが、眼帯顔でもまだ眠っているのがわかる。


「っ……ゴーダではないかっ!?」


 手術台に寝かされたばかりの患者をみて、小屋を立ち去りかけたメドゥサが声を上げた。


「その搬送待つのじゃ。──メドゥサ。知り合いかや」

 メドゥサ会頭は人工呼吸器で父親に空気を送りながら頷いた。


「父が経営している廻船の操舵長だ。今回の作戦にも参加してくれた」

「家族は」

「無論、知っている。妻と子供が三人だ」


「呼びにやらせるのじゃ。急いでくるように伝えるのじゃ」


 メドゥサは息を飲んで頷くと、小屋を出て行った。

 ライカン・フェニアは、ゴーダのももの付け根を縛っている紐をほどくと、さらにきつく縛りなおす。傷口から血が溢れ漏れた。

 なのに患者はうめき声もない。出血と寒さのせいか、意識が薄弱していた。


「な、なあ。フェニア。オレ、なんかミスった?」


 スコールが狼狽した様子で答えを求める。再び集中を高めるのに、正直鬱陶しかったが、ライカン・フェニアは告げた。


「紐の縛りがまだ緩かった。お前はこの者を運ぶのに町の塀を飛び越えてきたのじゃろう。その際にこの者の身体が激しく動いたために出血が不必要に流れ出てしまったようじゃ」


 説明を半分も理解できているようではなかったが、スコールは目に見えてしょげた。


「スコール。狼を叩き起こして消毒液を作って持ってくるように言うのじゃ。大量に必要になるでな」


「……わかった」

 スコール悔しそうに小屋を飛び出していく。


「本当にスコールのせいなの?」

 薪ストーブにのせた小ぶりの寸胴鍋からだる医療器具を取り出しながら、ハティヤが呟いた。


「ここまで運んだ彼の善行を軽率とは言うまい。ただ、攻撃特化で頭角を現し始めた少年には、人命搬送はちと荷が重すぎたのじゃ。苦いが、よい経験になってくれればよいがの」


「……」

 ウルダが手術台の前で立ったままうつらうつらと船を漕ぎ始めた。彼女もまだ十三歳の少女だ。体力が限界に近づいているのだろう。ハティヤがウルダを後ろにあるイスに座らせる。


「その人、長くは持たないの?」

「愚問じゃぞ、ハティヤ。その長さを伸ばすために、吾輩らはここにおるのじゃ」


 ライカン・フェニアはハサミを手に取り、患者の袖と裾を根元から切り始めた。


(とはいえ、刺さった槍を抜かずに穂先を残した判断。未熟ながら効果的な場所を縛った止血処置。とっさの判断ではなかろう。指導されなければ知らぬ知識じゃ。狼かのぅ。……肩は動脈を逸れておる。今、戦うべきは太腿あしだけじゃな……ヨシっ)


   §  §  §


「あんたっ、あんたぁっ!?」

 がっしりした体型の中年女性がドアをぶち破る勢いで入ってきた。

 眠っていたウルダがとっさにイスから飛び起きて自分の腰を探る。


「マルガリータさんっ!?」

 ハティヤが目を見開いた。知り合いらしい。

 マルガリータは手術台に横たわる夫を見つけるや、色をなくした顔を両手で撫でながら泣き出し始めた。


「女房か。悪いが、そこで泣き喚かせるために呼んだのではないのじゃ」

 ライカン・フェニアは額に汗をにじませて厳然と見据えた。

「やってもらいたいことがある。亭主殿を救うためじゃ」


「ああっ、なんでもやるよっ。心臓をよこせってんなら、今すぐにでもっ」

「では、血をくれぬか」


「どれくらいだいっ」

「まずは、一滴じゃ。それをおぬしの亭主の血と混ぜる」

「血を、混ぜる?」


 ライカン・フェニアは止血ガーゼで浮かせた血管に縫合針を動かしながら、


「亭主の血が足りぬのじゃ。だから亭主の血と混ぜる資格のある者を探しておる。それは家族が望ましい。じゃから、まずはおぬしを呼ばせたのじゃ。わかるな?」


 マルガリータは恐怖で頭が冷えたのか、即答しなかった。


 ライカン・フェニアは、その思考停止に驚かなかった。ペルリカから、この世界の医学情況をすでに教わっていた。


 この世界では外科手術や輸血が禁忌となっている。それらを禁忌と定めたのはサンクロウ正教会である。

 その一方で、瀉血しゃけつ(血液を外部に排出することで病状を改善させる治療法のこと。一時代効果はあった)は黙認されていた。


 そのため、エセ医者が横行し、施術中に患者が失血死する事故が多発。医者の地位がペテン師と同列にまで墜落していることも知った。


 医者が血のことを言い出したら、吸血鬼と思え。その流言飛語デマコギーを聞いた時、ライカン・フェニアは腹を抱えて笑ったものだ。

 それが、再びメスを執る現場になって障害になっていた。


「一滴でよいのじゃ。それで資格がなければ、子供を呼んでくるのじゃ」

「あ、あたしの血じゃダメだって言うのかい?」


「今、ここでの口答えは許さんっ! 亭主の命は一刻の猶予もないのじゃ。さっさとするか、しないか。お前が決めるのじゃ」


 ライカン・フェニアに叱咤されて、さしものマルガリータも眉をしなびさせて夫の顔を見つめる。禁忌の壁を乗り越えるのが怖いのだ。


(たった一滴の勇気を絞り出すことも阻む宗教とは、まったく厄介な存在じゃの)


 大腿部の大動脈と深動脈を二センチずつ切除して縫合を完了。大静脈を損傷していなかったのはラッキーか。伏在神経はとっておきの髪の毛ほど細い糸で一針だけ縫い合わせておく。

 ナイロン縫合糸がなければ、座して見守るだけの致命傷だった。骨も単純骨折で済んでいるのは幸運材料にして良いだろう。後遺症は五分五分。


 あとは、彼のための血だ。


「わかったよ。あたしの血を調べとくれ」

「ハティヤ」


 補助者に命じて、ワインボトルの底からつくったシャーレに溜めたゴーダの出血液とマルガリータの親指の爪元に針を刺した出血を混ぜる。


「なんだい。たったこれだけでいいのかい」

 拍子抜けした本人の声は、無視された。


「ペルリカ先生」

 ハティヤから差し出されたシャーレに、ペルリカが試験液を垂らして、両手がふさがった執刀医に見せる。試験薬はただの生理食塩水だ。血液型など確立されていない世界では、信じ込ませるだけの見せかけだけで充分。


 型が違えば、抗原反応で血液の凝固が始まる。血しょう分離までしてる時間がない。こんな非科学的なやり方、自分がいた世界の同僚が聞いたら原始時代に先祖返りしたかと笑われていただろう。だが、ここではやるしかなかった。


「……だめだ。不適合。マルガリータ。息子を呼んでくるのじゃ」

「ええっ、なんでだい!?」


 そこに折りよく、ドアがノックされ、ロカルダが顔を出した。


「あ、母ちゃん。父ちゃんは……っ」

「ロカルダっ!?」


 母親は息子を抱きしめて、事情を話す。息子は最初驚いた顔をしたが、すんなりと親指の爪元を針で刺した。


「……不適合だ」

 シャーレを見てライカン・フェニアは残念そうに顔を振った。患者に見た目がそっくりだったからいけると思ったが。


「えっ!?」息子も意外そうな顔をした。

「ロカルダっ。こうなりゃあ、ノエミを連れてくるんだよ」

「姉ちゃんなら、外にいるけど」


 マルガリータはドタバタと部屋から飛び出していって、野良猫でもひっ掴むように娘を掴んで戻ってきた。


「は、離せよっ」

「お黙りっ。父ちゃんの一大事にジタバタおしでないよっ!」


(なんとっ。世間は狭いもんじゃ)

 ガラス工房で石炭の乾留作業をしている窯の前で、狼を襲って返り討ちにされていた娘だった。


 母親と息子で事情説明を途中まで聞いて、娘はさっさと爪元に針を刺した。割り切りが早い。剣士か冒険者か何かだろうか。


「……適合しておるっ」

 ライカン・フェニアもつい驚いてしまった。


「どうすりゃあいいわけ?」

 ちょっと得意げにノエミと呼ばれた娘が腕を組む。


「今からその針より太い針をお前の左腕に刺す。それをこの管を通してお前の父親の心臓に入れるのじゃ。父親の血色が戻るまでお前の血を移すがよいかや?」


「父ちゃんに移すだけ。ふんっ。ならさっさとしてよ」

 普段から血の気が荒い性格なのか。ライカン・フェニアはちょっと気後れした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る