第64話 グラーデンの屈辱(4)


 寒さは、ため息すらも凍らせた。


 進む隊列の前方から、すすり泣くような呻き声と鼻水をすする音が馬蹄に混じる。

 原因が冬の寒さだけでなく、海の水を浴びたというのがなんとも悔しい。これが雪や雨なら多少は受け入れられたかもしれない。


 これが小さな港町の住人のしたことか。

 カラヤン・ゼレズニー。あの壮絶な一騎打ちを見た後で、こんな子供のいたずらのような稚拙ちせつで、陰湿で、狡猾こうかつな策をろうせる人物には思えない。


(このっ、このままでは……っ、我々は、負ける……っ)


 救国の使命を担う精鋭が戦わず。否、姿の見えない敵になす術もなく一方的に、寒さという天候によって敗れるのか。

 そこへ、伝令役のタッカーが駆けてきた。


「申し上げます。第一隊前方二キール先、セニの城壁に王国旗半旗を確認」

「なに、王国旗半旗だと?」


 側近が怪しむ声を洩らした。セニは協商連合傘下都市。外国が隣国の旗を掲げる時は友好を示す時だ。祝い事の意味あいが強い。だが、半旗は弔意を指す。


「御前。旗はカラヤン・ゼレズニーからの挑発でございましょうか」


 側近の言葉に、グラーデンは頷いた。

「間違いなかろう。──タッカー。ドライセンに伝えよ。敵の挑発だ。慎重に進めと伝えよ」


「はっ。敵の挑発。慎重に進め。了解しました」

 復唱して駆け戻るの伝令馬を見送り、グラーデンは思わず呻いてしまった。


「御前。お身体が優れませぬか」

「いや。大丈夫だ。みんなで仲良く海水浴をして少し疲れたのよ」


 カラ元気を出そうと笑い合ったが、寒さで声尻が細る。

 魔眼を持たぬ身で、準備もなく、詠唱魔法を発動したからだとは、口が裂けても言えない。魔法使いの沽券に関わる。それよりも、


「……ワイズマンよ。この道は平坦すぎはせぬか」

「はい。さっきからそれがしも胸がざわめくのを感じます」


 グラーデンも同じだった。先頭を行く第1小隊の様子が森に遮られてここから見えないのだ。


「ですが、斥候の報告では城門は固く閉じ、城壁の上にも人影がなかったと」


「うむ。行政庁に通報しておらんといっていた。それは真実なのだろう。だがな。私は魔法を使ったのだ。いわば戦場においてズルをした。

 不告の魔法による被害は、行政庁が周辺国への通報が国際条約上の義務だ。なのに、半旗一つの挑発では釣り合いがとれん」


「御前。カラヤン・ゼレズニー側から魔法を警戒されておいでですか」

 グラーデンは側近を見つめて目許を緩めた。


「向こうにはペルリカが付いておるのだ。しかも此度の喧嘩で、怒らせたようでな」

「ということは、おそれながら、非は御前にあるのですか」


「ふっ。お前までフランコフカと同じようなことを申すでないわ」

 ノボメスト全市民のペルリカへの信望を苦々しく笑い、側近の胸当てを拳で小突いた。その直後だった。


 背後が真っ赤に燃えあがった。


 同時に振り返ると、重鎧の騎士が複数人、頭を下にしてこっちに飛んでくる。

 側近二人が左右からグラーデンに覆い被さった。


 それがグラーデンが馬上で残っている記憶となった。


 次に意識が復活したのは、数秒後だったか十数分後だったか。

 気づけば茂みの雪泥に横顔が浸かっていた。薄暗く痺れる意識で不思議と冷たさはない。


「御前……っ? 御前っ!?」

「だ、誰だ。な……な、なにが……っ!?」


「少々お待ちを。──グラーデン様ご存命ーっ! グラーデン様ご存命ーっ! 参謀長、こちらですっ!」


 騎士の狂わんばかりの絶叫が水中にあるようにくぐもっていた。


 誰かに身体を仰向けにされ、視界いっぱいに見慣れたワイズマンの顔があった。

 顔に火傷を負い、髪もひどく縮れていた。それでもグラーデンは安堵した。


「ワイズ、マン……無事、だったか」

「おお、神よっ。御前、ご無事でようござりました」


「どう、なった……どう。なった……?」

 うまくしゃべれない。本当に何が起きた。


「ワイズマン大佐、御前はっ」

 視界の外から騎士が訊ねてくる。声から最古参のヴェント中佐か。


「外傷は軽微。だが脳震盪のうしんとうを起こされておられる。安全な場所へお運び申し上げるのだっ。あわせてクラウザー卿もそっちへ運ぶ」


「安全な場所とは何処のことですかっ。この有様ですぞっ」

 別の騎士が悲鳴をあげた。とたんに側近が鬼の形相で吼えたてる。


「なら探せっ! 何人連れて行っても構わん。御前を安全な場所にお連れするのだ!」


 何が起きている。いや、起きたのだ。確かあの時、魔法の気配はどこにもなかったはずだ。そもそもこれは魔法によるものなのか。


 そこへ、甲冑の音をかき鳴らしてまた騎士が駆け寄ってきた。

「ワイズマン大佐っ。ランゲ隊が犯人と思われる射手を捕捉。現在、追跡中っ」


「殺すなと伝えろ。必ず捕らえて俺の所に連れてこい。自害や悪足掻きをするようなら手足を切り落としてもかまわん。生かして連れてくるのだっ。行けっ!」

「了解っ」


「アーネスト隊。シュテルグ隊に通達。ランゲ隊と同調し、射手を追え。くれぐれも殺すなと伝えろ」


「了解っ」

「ワイズマン……戦況は」


 グラーデンがあえぐように言った。側近は苦渋の面持ちのままで、


「三〇分前。本隊後方で正体不明の爆炎発火が発生。直後に先頭のドライセン隊付近でも同様に発火。以後、数秒おきに二〇から三〇近く起き……我が軍は現在、およそ四分の三が交戦不能です」


「四分の、三……交戦、不能っ?」一二〇〇騎の騎兵が、潰滅、か。

「味方の実損はわかっておりません。ですが、これ以上の交戦は、もう……」


 交戦と言うが、交戦らしい交戦など一度もなかった。あったのは一度の水攻め。敵は徹頭徹尾姿を現さなかったのだから。


「クラウザーは、どこだ」

「クラウザー大佐は、飛んできた将校二人の下敷きになり、落馬。その時に左足を骨折。現在も意識が戻りません」


 私のせいだ。グラーデンは気力を奮いたたせて、上体を起こした。


「御前……っ!?」

「馬に、乗せてくれ」

「無茶です。そのお身体では」


「ならば、ワイズマン。お前も……一緒に来てくれ。城門だ」

「まだ三キールはございます。次にまた炎が上がれば──」


「わかっている。だが行かねば、私が行かねばこの喧嘩は終わらぬ……頼む」


 グラーデンは返事を待たず、拳で膝を打って立ち上がると前に歩き出した。


「誰か、馬を。御前の供は、私だけで良い」


 言い置くと、後ろから主人に肩を貸し、ともに歩き出す。

 それを他の騎士が追いすがる。


「ワイズマン卿……しかしっ」

「諸君。終戦だ。動ける者は救護を急げ。……吾々は本来の使命に戻るのだ」


  §  §  §


 ゴーダは頭の中を空っぽにして走っていた。

 弓も鉄矢も、興奮も達成感もその場に置き去りにして逃げた。

 後ろから馬が雪を蹴散らして迫ってくるのが聞こえた。


 恐怖が追いかけてくる。ヒュンヒュン音をさせて迫ってくる。


 後方から自分を追い越して目前の雪に次から次へと槍が突き刺さる。

 走る呼吸がひっくり返って、いつ吸って吐いたか記憶が飛ぶ。


(わざと行く手に投げてるのか。止まれってことかねっ)


 ゴーダはとっさに雪道から外れ、森に入った。

 木々を盾にして、槍の追撃を逃れようと思い立った。

 だが、慣れないことは、するものではなかったらしい。


 突然、後ろから足を蹴られたと思った。身体が雪に投げ出された。

 足が動かない。何事かと後ろを振り返ったつもりで、右の太腿ふとももを槍で貫かれたのを知った。


 なんじゃこりゃ。そこでようやく熱い杭を打ち込まれたような激痛が脳天に走った。


(ぐっ。ついに、ここまでか……っ)


 腹這いのまま少しでも町に戻る。二頭の騎馬がざっすざっすと雪を蹴って近づいてくる。穂先が腿を貫いて雪を赤く染めあげていた。


 死にたくない死にたくない。女房に会いたい。子供たちに会いたい。死にたく──ない。


「覚えてるな。ジヴ。殺すなとの命令だ。おれの手柄を潰すなよ」

「わかってますよ。隊長。だから──殺さなきゃいいわけだ」


うたえる程度に正気は残しとけって言ってんだよ。半殺しで正気まで飛ばしちまったら、ワイズマン参謀長あたりがうるせぇんだよ」


「だから、わかってますって」


 理性をたもつ狂気の会話。彼らの目には怒りを通り越したどす黒い殺意が灯っていた。

 突き下ろされた槍の一撃はゴーダの肩を抉った。やすやすと引き抜かれると、頬に熱いべったりとした飛沫が飛び散った。それが自分の血だとは思えなかった。

 遅れてやってくる激痛と瀕死の恐怖にゴーダは悲鳴をあげた。


「なあ、おっさん。オレがあんたをなぶり殺すと思うか? いや、思ってんだろうな。けどな。あんたはそうなるだけのことをしたんだよ」


「ううぅ……ああ。そうだな」

「あ?」


「おれ達はな。お前たちが連れて行こうとしている人間を、もっていかれるわけにはいかなかったんだ」


「人間? 人間……でしたっけ?」部下が上司に確認をとる。


「いや。狼の頭を持った魔人だと聞いてる。それをどうするのかは聞いてない。それは上がやることだ。

 それよりも、俺はこんなとことっとと切り上げて、町に入って酒で身体を温っためてぇんだよ。この後、仲間の救護活動か護送役のどっちかが回ってくるとしてもな」


「異議なしですね。じゃ、こんくらいにしときますか」

 気軽に言って、部下が捕縛縄を持って鞍を降りた。その時だった。


 鞍に、少年が着地した。

 馬は驚きもせず、まんじりともしない。


「お疲れ様でーす」

「はん? お前。誰?」

「オレ? オレは、あんたらの──」


 敵だよ。


 せつな、部下の喉笛から血が噴き出した。

 くずおれる部下の肩を踏んで、少年は上司に跳び移る。


「この──」


 上司が剣に手をかけた。が、それより少年は速かった。

 騎士の柄頭を踏んで抜剣を抑え込むや、ムーンサルト。着地した時には、上司は柄を握って歯がみした顔のまま、下あごを短剣に貫かれていた。


「あんたの手柄は、オレが回収させてもらうよ。いいよな?」


 短剣を引き抜くと、上司は口と喉の二カ所からごぼりと赤黒い固まりを吐いて、雪の中に突っ伏した。


「ロカルダの親父さん。大丈夫か」

 歩み寄ってこられて、ゴーダはとっさに両腕で逃げ出していた。


「あ、あんた……息子の知り合いなのか」


「スコールって言うんだ。ロカルダが作った〝水酸化カリウム〟で魔物をやっつけたこともあるぜ。立てそう?」

「いや、無理だな。誰か助けを呼んで──」


 言い終わる前に、太腿に刺さった槍の柄が切断された。それから死体のそばに墜ちていた捕縛縄をゴーダの負傷した肩を下から巻きつける。


「狼から教わったんだ。腋の下から肩を縛ると血止めになるんだって。あと太腿もやるからね」


 それが終わると、少年はゴーダをひょいっと肩に担いだ。


「……っ!?」

「はい。任務完了。撤収しますよっと」


 息子とかわらない年頃の子に麻袋みたいにして肩に担がれた。不思議な感覚に、ゴーダは目をぱちくりさせた。


「なあ。きみは、誰に頼まれて、おれを?」


「え? そんなの決まってんじゃん。うちの先生だよ。驚いた? 戦う勇気を見せた人をそんな簡単に見捨てるわけないじゃんか。……んじゃ、帰るよ」


 帰る。帰れるんだ……家族の元に。ゴーダは思わず涙が出た。


 この日。

 ゴーダは生まれて初めて、空から自分の生まれ育った町を見た。

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